太田述正コラム#14670(2024.12.29)
<木村敏『人と人との間』を読む(その2)>(2025.3.26公開)
「・・・律儀、苦労性、几帳面、そのほかにも、馬鹿正直、融通がきかない、などという表現は、日本語としては誰にでもすぐ理解できる日常用語である。
しかし欧米の言葉に、これを的確に表現できる単語を探してみても、なかなかこれといったものが見つからない。
⇒とんでもない。
木村は学校で習ったはずの英語をすっかり忘れてしまっていたようですね。
律儀はfaithful或いはconscientious、苦労性はpessimism、几帳面はmethodical、馬鹿正直はnaively honest、融通がきかないはinflexible、
https://ejje.weblio.jp/content/%E5%BE%8B%E5%84%80
https://ejje.weblio.jp/content/%E8%8B%A6%E5%8A%B4%E6%80%A7
https://ejje.weblio.jp/content/%E5%87%A0%E5%B8%B3%E9%9D%A2
https://ejje.weblio.jp/content/%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E6%AD%A3%E7%9B%B4
https://ejje.weblio.jp/content/%E8%9E%8D%E9%80%9A%E3%81%8C%E3%81%8D%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84
と、ほぼイコールの単語がすぐ出てきます。
もちろん、それぞれ完全にイコールではありませんが、それは、文明、文化を異にするのですから、そういうものです。
naively honest は単語ではないではないか?
いや、馬鹿正直は馬鹿と正直の2語からなる複合語なのでおあいこです。
逆に、融通がきかないは2語どころか文章ですが、inflexibleという一つの単語でほぼイコールです。(太田)
土居健郎をはじめとして、翻訳困難な日本語独特の言い廻しの中に、日本的な心性の表現を見出すというやり方は、現在流行の手法のようだが、この論法でいくと、メランコリー<(注1)>親和型の人柄を表わす言葉は、日本語の中には特に豊富であり、日本人は欧米人とくらべてすらメランコリーとのより大きな親和性をもった民族だ<(注2)>、ということになるだろう。」(25~26)
(注1)’Today, the term “melancholia” and “melancholic” are・・・used in medical diagnostic classification・・・to specify certain features that may be present in major depression.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Melancholia
(注2)「近現代の精神医学では、フーベルトゥス・テレンバッハがその著書『メランコリー』にて提起した、うつ病が起こりやすい性格としての、几帳面で良心的といった特徴を持つ「メランコリー親和型」が主にドイツや日本にて関心を集めたが、1977年の日本の報告以来、うつ病像がそういった特徴を持たないものへと変化して<いる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC
⇒「注2」から、その後、「メランコリー神話型」という概念が死語化してしまったことが読み取れますし、「注1」から、その後、「メランコリー」という言葉自体が重度うつ病の症候群の一つへと矮小化されてしまったことが読み取れます。
これらは、科学が日進月歩であることの証左であると言えそうではあるものの、私には、精神医学なるものがいまだ科学になりえていないことの証左のように思えてなりません。
辛口に過ぎるとお叱りを受けるかもしれませんが、そんな精神医学の専門家たる土居健郎や木村敏に、果たしてまともな科学的思考ができるものだろうかとさえ、私は言いたくなるのです。(太田)
(続く)