太田述正コラム#14684(2025.1.5)
<木村敏『人と人との間』を読む(その9)>(2025.4.2公開)
「・・・和辻哲郎も言っているように、ヨーロッパの農業労働には、自然との戦いという契機が欠けている。
土地は一度開墾されればいつまでも従順な土地として人間に従っており、人は耕した土地に小麦や牧草の種を蒔いてその生長を待っていればよい。
麦の間に他の草が混るとしても、それは麦よりも弱い。<(注9)>
(注9)「ヨーロッパのムギ農耕と雑草の関係に関しては、和辻は見誤っていたのではないだろうか。ムギ畑ではたしかに、汗水流して草取りをする農民の姿はみられなかったであろう。しかしそれは、自然が従順だからではなく、ムギ農耕がこれに替わる除草戦略としての休閑耕–より正確にいえば、休閑耕を基本技術として発達した農業システム–を採用していたからである。」(三浦励一「ドメスティケーションとは何か:雑草とは何か:特にドメスティケーションとの関係において」より)
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/records/1147 からダウンロード
「農業労働が容易であるといふことは、自然が人間に對して従順であるといふことにほかならない。」・・・
唐木<順三(注10)>氏も、「田作りは人間の恣意、己れの我執を離れて山河大地の自然に随順しながら、天地の恵みをここに結晶してゆく行事であった」と書いている(『日本人の心の歴史』)。
(注10)1904~1980年。京大文(哲学)卒、明大文教授。「文芸評論家・哲学者・思想家。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%9C%A8%E9%A0%86%E4%B8%89
西洋の自然が人間に従順であるとするならば、日本では人間が自然に従順でなくてはならなかった。・・・
⇒和辻やそれを受けたと思われる唐木の主張は、「農業経済学者の大槻正男<(注11)>から「ヨーロッパには雑草がない」という示唆を受け」たことを踏まえたものだというのです(上掲)が、彼らは大槻の言を表面的な理解をしてしまったわけであり、それをそのまま木村も受け売りをしているところ、少なくともこの点では、3人とも、揃いも揃って学者失格であると言えそうです。(太田)
(注11)1895~1980年。東大農卒、京大農助教授、教授、名誉教授、東京農大教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A7%BB%E6%AD%A3%E7%94%B7
大野普<(注12)>氏は『日本語の年輪』・・・の中で、英語のネイチュアに当るたる純粋の日本語が存在せず、シナ語から借りた「自然」の語をそれに当てるより他なかったと言い、ヤマト言葉に「自然」の語がないのは、古代の日本人が、「自然」を人間に対立する一つの物として、対象として捉えていなかったからであろうと思う、と述べている。
(注12)1919~2008年。一高、東大文(国文)卒、同大国語研究室副手、学習院大非常勤講師等を経て同大助教授、教授、文学博士、同大名誉教授、東洋英和女学院大教授。
日本語=タミル語同系説を唱えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%99%8B
「ヨーロッパ人にとって、自然<(注13)>は、人間がそれに働きかけ、変革し、破壊し、人間に役立つものを作り出す素材である。」
(注13)「古代ギリシアでは「φύσις ピュシス(自然)」は世界の根源とされ、絶対的な存在として把握された。対立概念にノモス(法や社会制度)があり、ノモスはピュシスのような絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、人為的なものであるがゆえ、変更可能であると考えられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6
これに対して「基本的には、日本人は自然を、人間に対立する物、利用すべき対象と見ていない。
むしろ、自然は人間がそこに溶けこむところである。」(『日本語の年輪』)」(110~113)
⇒大槻正男はれっきとした学者ですが、大野普が学者の名に値するかは、その、眉唾ものの日本語=タミル語同系説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%99%8B 前掲
からも疑問であり、欧米の概念/単語の源たる古典ギリシャにおいて、人間が自然に含まれていた以上は、欧米の人々の日本人の自然観と同じである、とも言えそうなのであり、やまと言葉に自然に相当するものがなかったという大野の指摘が正しいとすれば、そんな全ての事物を総称する言葉がなかったとしても不思議ではないのかもしれません。
(そもそも、支那にも元々は「自然」という言葉はなかったようです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6 前掲
し・・。)
であるとすれば、ここでも大野を主張を無批判に受け売りしている木村に対しては、もはやかけるべき言葉もない、と、言うべきかも。(太田)
(続く)