太田述正コラム#3156(2009.3.16)
<イギリス人のフランス観>(2009.4.24公開)
1 始めに
イギリス人がフランスをいかに軽蔑しているかという話を時々とりあげていますが、今回は、今月の英オブザーバー紙(ガーディアン紙の姉妹紙)と英BBCの記事からです。
2 オブザーバー紙の記事
「・・・フランスの著名な哲学者であるアラン・バディウ(Alain Badiou。1937年~。元仏グランゼコールの一つのエコール・ノルマル・シュペリオール(ENS)教授)は自由民主主義がお嫌いだ。
彼は、彼が「議会主義的先天性甲状腺機能低下症(parliamentary cretinism)」と呼ぶところのものの諸前提を受け容れることを拒み、「共産主義仮説群」が含んでいる絶対的道徳的真実にどれだけ近いかで政治家達の評価を下すことを好む。
だから、彼が現在のフランス大統領を欠陥ありとみなすことは驚くべきことではない。
<大統領>選挙後にバディウが上梓した著書の初英訳である、彼の怒りの瞑想の産物であるところの『サルコジの意味(The Meaning of Sarkozy)』では、彼はこの本の主役の名前を書くことさえ厭い、単にその人物について、もっぱら「ねずみ男」と言及しているほどだ。
英国では、この類の超左翼主義が大学の構内から外に出ることはまずない。
しかし、パリのいくつかの地区では、バディウは文字通り有名人だ。
この本が初めて出版された時は沢山のサロンでこの本について熱いおしゃべりが交わされた。
だから、彼が毛沢東を肯定的に引用したり、文化大革命の善悪について口を濁したりするにつけ、純粋な政治的抽象化の暴虐性に対して予防注射をしてくれるところの我々のアングロサクソン流の実務的な経験主義をちょっと自慢したくなるのも頷けるというものだ。
バディウは、自分の見解をデータを引用して裏付けるという当然なすべきことをなさずして、抽象的な名詞を次から次へと重ねつつ、巨大な理論的金字塔を打ち立てるのを常とする。
彼は考える、ゆえにそれでいいのだ(He thinks, therefore it is)というわけだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/world/2009/mar/01/nicolas-sarkozy-politics
(3月1日アクセス)
これは、フランス人の演繹的な思考法、というか妄想癖を徹底的にバカにしている論説です。
3 BBC電子版のパリ特派員記事
「・・・フランス共和国大統領として、ドゴール将軍が米国のリンドン・B・ジョンソン大統領と行った会話の話がある。ドゴールがジョンソンにフランスは北大西洋条約同盟から離脱すると伝えた時のことだ。
その20年近く前に設立されてからというもの、NATOの本部はフランスにあった。今やNATOは引っ越ししなければならなくなったというのだ。
ドゴールは更にこう言った。米軍は全員フランスから出て行かなければならないと。
その時ジョンソンは、「埋葬されている者もですか?」と聞いたという。・・・
しかし、ノルマンディーの墓地群に行ってみると、<ノルマンディー上陸作戦>がどんなにアングロサクソンの所業であったかが、そしてフランスの解放が本当はいかなるものであったのかが分かろうというものだ。
歴史学者のアンドリュー・ロバーツ(Andrew Roberts)は、後で振り返ってみると人類の歴史が大きく転回することとなったあの日<(=Dデー)>に亡くなった連合国軍の兵士4,572名中、フランス人はわずか19名であったと計算した。これは0.4%に過ぎない。
そのほか、ノルウェー人が37名、ベルギー人が1名。
残りは英語圏からであり、ニュージーランド人が2名、オーストラリア人が13名、カナダ人が359名、英国人が1,641名だ。そして何と言っても決定的なのは、米国人が2,500名だったことだ。・・・
マクミラン<元英首相は晩年において>、フランスのほとんど精神病者的なアングロサクソンの同盟諸国との関係について嘆息しながら語ったことがある。
彼いわく、フランスはドイツとは講和することで、<ドイツによる>侵略という暴虐なるふるまいと4年にわたる<ドイツによるフランスの>占領という屈辱を赦した。しかし、フランスは、英国と米国がフランスを解放したことを赦すことは絶対に、絶対にないのだ、と。
フランスの反米国主義には長い歴史がある。
18世紀の欧州啓蒙主義の哲学者達は新世界が劣っているのは自明のことだと思っていた。・・・
パリは2004年8月にその解放60周年を記念する一連の行事を行った。
パリの市長は、「パリは自らを解放した!(Paris Se Libere! = Paris Liberates Herself! )」と題する祝辞を発表した。
新聞の一つは、48頁にわたる特集を組んだ。しかし、その中で同盟諸国への言及は18頁目にやっと登場する。
この時、週末にパリにいた私のイギリス人の友人は、パリは8月には完全に空っぽになるんだねと言った。この月には住人達が田舎で休暇を過ごすためにパリは空っぽになるのだ。
「これで分かった」と彼は言った。「パリが解放されたのは8月だった。思うにパリ市民達は、彼らがパリに戻ってきた9月までそのことに気付かなかったのだろう」と。・・・
これはひどい(stink)。なぜなら、フランスが戦後自らに語り続けた話は、このパリは自らを解放したというウソの上にでっちあげられたからだ。
この言葉は最初にドゴール自身によって、1944年8月25日の夜、語られたものだ。
パリは自らの人々によって解放されたと彼は宣言した。「フランス軍の助けを借りて、そして全フランスの助けと支援によって、すなわち戦うフランス、真実のフランス、永遠のフランスによって・・」と。
<しかし、そのフランスが、遅きに失した感はあるが、ようやく変わりつつある。>
サルコジの敵達は彼を「米国人サルコジ」と呼んだ。そうすれば彼が当選しないだろうと期待したのだ。しかしその期待は裏切られた。
そしてサルコジはついにこの国を大西洋志向へと引き戻したのだ。」
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7942086.stm
(3月16日アクセス)
これは、プライドだけ高いがだらしがないこと夥しいフランスを完膚無きまでにおちょくった記事です。
しかも、そんなフランスにコケにされ続けてきた、できそこないのアングロサクソンたる米国についてもまた、高いところから、(ただし、フランスに対してよりはるかに暖かく)見下している記事でもあるのです。
4 終わりに
イギリス人は、イギリスを世界の頂点に置き、一段下がったところにイギリス自身を除くアングロサクソン諸国を位置づけ、それ以外を、ざっくり申し上げれば、すべて野蛮の世界と見ています。
そして、この野蛮の世界は、イギリスから見て、イギリスの植民地であった所とそうでなかった所に大きく分かれ、前者の理念型を形作ったのが、イギリスの最初の植民地となったアイルランドであり、後者の理念型を形作ったのが、イギリスの最初の外「国」となったフランスなのです。
そのフランスをイギリス人がどう見ているか、の一端を開陳させていただいた次第です。
イギリス人のフランス観
- 公開日:
欧米のチャイナ!