太田述正コラム#3214(2009.4.14)
<風前の灯火のタイ王制>(2009.5.28公開)
1 始めに
タイの情勢がのっぴきならない状況になっているのですが、日本の主要紙の電子版の反応はにぶいようです。
主としてガーディアンに拠って、最新情勢を追ってみましょう。
2 タイの最新情勢
「・・・オックスフォード大学で教育を受けた経済学者であるアピシット・ウェーチャチーワ(Abhisit Vejjajiva)は、選挙違反を犯したとして裁判所が親タクシン派の前政権を解任した後、12月に首相に就任した。
しかし、先週末、タイ政府は、タクシン派がリゾート地のパタヤでのASEAN首脳会議になだれ込み、参集していた首脳達をヘリコプターで避難させる羽目になるという屈辱を味わった。・・・
土曜日、タクシンはインターネットで、彼のタイ帰国を可能にする、革命を起こすよう呼びかけた。
「連中は戦車を街に繰り出した。今や人々が革命のために参じる時が来た。そして必要になった時、私はタイに戻るだろう」と彼は・・・言った。」
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/14/bangkok-protest-deaths
(4月14日アクセス)
「・・・2005年末からタイで起こっていることは、貧者と古いエリートとの間の次第に激しさの募りつつある階級戦争だ。
もちろんそれは、純粋な階級戦争ではない。
過去における左翼の空白のため、百万長者やタクシンのようなポピュリストの政治家が貧者のための指導者となることができたという意味で・・。
有権者の過半を占める都市と農村の貧者が、赤シャツ隊<として行動している。>・・・
彼らにとっては、真の民主主義とは、長きにわたって受け容れられてきたところの、軍の将軍達と宮廷による静かなる独裁制を終わらせることなのだ。
<この静かなる独裁制の下で、>将軍達や枢密院(privy council)に集う国王の顧問達、そして保守的エリート達は、あたかも彼らが超憲法的な存在であるかのようにふるまってきた。
2006年以来、これらのエリート達は、軍事クーデターを起こさせ、裁判所を使ってタクシンの党を2度も解散させ、王党派たる黄シャツ隊を支援して街で暴動を起こさせ、厚かましくも選挙の結果を何度も覆した。
現在の民主党政権は軍によって権力の座に就かされたものだ。
赤シャツ運動に加わっている人々の大部分はタクシンを支持しているが、それにはもっともな理由がある。
彼の政権は、タイ最初の全国民向けの健康保証制度を含む、貧者のためのたくさんの近代的政策を実施に移したからだ。
ただし、赤シャツ隊は単なるタクシンの操り人形ではない。
彼らは地域グループの形で下から組織されており、その中には、タクシンの進歩的リーダーシップの欠如、とりわけ彼の王室への「忠誠」の顕示的固執にいらだちを示す者もいる。
共和主義<(=王制廃止)>運動が伸びつつある。
・・・現在英国に亡命中の・・・私のような左がかっているタイ人はタクシン支持者ではない。
我々は彼の人権侵害に反対した。
我々は「真の民主主義」なる市民運動とともにある。
黄シャツ隊は保守的王党派だ。その中にはファシスト的傾向を持つ者もいる。
連中の護衛達は火器を携行し、かつ用いる。
連中は、2006年のクーデターを支持し、政府の建物をムチャクチャにし、昨年はタイ各地の国際空港を閉鎖した。
連中の背後には軍がいる。
だからこそ、部隊は決して黄シャツ隊には発砲しないのだ。
だからこそ、オックスフォードで教育を受けた、現在のタイ首相は黄シャツ隊を罰するようなことは何もしてこなかったのだ。それどころか彼は、黄シャツ隊を何人か自分の閣僚に就けたのだ。・・・
<赤シャツ隊は、>最低限でも非政治的な立憲君主制<の樹立>を欲している。」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/apr/13/thailand-human-rights
「・・・先週、新たに総選挙を実施せよと言って最終期限を設定したのはタクシンだった。
しかしそれはタイ政府によって無視された。
昨日、正義無き平和はありえないと宣言して、「平和革命」を追求せよとタイの人々に呼びかけたのはタクシンだった。
彼に現在逮捕状が出されているというのに、彼の古里たるタイへの帰還の可能性を注意深く否定していないのはタクシンだ。
「もしバンコックとすべての地方のタイの人々が連帯すれば、私は今回、この国を変えることができると思う」と彼は述べた。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/apr/13/thailand1
「・・・革命、もしくは再度の軍部の政権奪取が次第に不可避になりつつある。・・・ タイは、更なる流血が起こる前に、タイにおける分裂を乗り越えることができる民主的な指導者を見つけることが、この上もなく必要となっている。」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/apr/14/leader-thailand-political-crisis
「・・・第一に弾圧(crackdown)が直ちに中止されなければならない。第二に、アピシット・ウェーチャチーワは辞職しなければならない。第三に、交渉が行われなければならない、と最も著名な反対派の指導者の一人であるチャクラポブ・ペンカイル(Jakrapob Penkair)は述べた。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/13/AR2009041300140_pf.html
3 終わりに
タイが立憲君主制になったのは1932年ですが、それまでは国王親政で首相はいませんでした。つまり、それまでは、権威と権力は分離していなかったわけです。
日本の場合は、権威と権力の分離は、大昔からですし、日本には1885年に早くも首相が置かれ、1889年には憲法が公布され、1890年に施行されています。
そして、1898年には初めて政党内閣が成立し、その後1925年の普通選挙制導入を契機に政党内閣制が定着するに至ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%86%85%E9%96%A3
ところがタイでは、ついに政党内閣制が定着することなく現在に至っているわけです。
アジアやアフリカにおいて、植民地や半植民地になることがなかったという意味で極めてめずらしい存在である日本とタイですが、日本がいかに例外的な存在であるかが分かります。
これは、両国の自由民主主義的伝統の有無と、最近の歴代君主の君主制存続に向けての、良い言葉で言えば柔軟性、悪い言葉で言えば執念の違いによると言えるでしょう。
私には、タイの王制が崩壊するのは、もはや不可避のように思えてなりません。
革命が起こってすぐ崩壊するか、クーデターを経てしばらくして崩壊するか、どちらかではないでしょうか。
それにしても、タイの現在の首相は英国で生まれ、育った人間です
http://en.wikipedia.org/wiki/Abhisit_Vejjajiva
し、反体制派も亡命するのは英国、というわけですから、日本のタイにおける存在感の薄さは絶望的なものがありますね。
風前の灯火のタイ王制
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