太田述正コラム#3634(2009.11.8)
<アイン・ランドの人と思想(その2)>(2009.12.14公開)
 (3)ランドの思想
 「・・・自由放任資本主義と個人的諸権利の擁護者として、米国に向けて1926年に<ロシアを>去ったランドは、彼女の反集団主義哲学である客観主義(Objectivism)<(コラム#2069)>を創建した。
 これは、利他主義への不信とともに、自由市場資本主義と私利の追求を道徳的善とする哲学だ。・・・」(F)
 「・・・彼女は、彼女の読者達たる「大衆」は「虱」であり「寄生虫」で全く生きるに値しないという根拠の下、民主主義に反対した。
 にもかかわらず、彼女は米国において最も人気のある作家の一人であり続けている。
 既に鬼籍に入っているというのに、彼女の本は年間80万冊も売れ続けているのだ。・・・
 ・・・彼女の主張は、政府は「悪」であって利己的であることがその「唯一の徳」であるというものだ・・・
 彼女はハリウッドを目指し、そこで彼女は、共産主義と対蹠的であると彼女が思ったところの一連の思想・・彼女の哲学を表現した諸物語・・を紡ぎ出し始めた。
 彼女は、この世界は、生産的であるところのごく少数のスーパーマンと、レーニン主義者達のごとき連中が資源として利用しようとしたところの「裸で性格がゆがんだ、何も考えていない人間のくずである奴」とに分かれている、と発表した。
 後者は、「足の下で踏みつけられるべき泥であり燃やされるべき燃料」なのだ。・・・ これが<彼女の>一種の政治的PTSD<の症状の発症>であることを見て取ることは容易だ。
 ランドは、ボルシェヴィキのついたウソであるところの、彼等が人民を代表しているとの主張を信じたので、彼女はボルシェヴィキに窃盗と殺人で反撃することを欲したのだ。
 汚い皮肉と言うべきか、彼女はボルシェヴィキの戦術をそっくりそのままマネしたのだ。
 彼女は、最初の小説、’We the Living’ (1936)を書き始めた。
 その初期の草稿において、中心的登場人物である、ランド自身の粗っぽい分身が、ボルシェヴィキに向かってこう言う。
 「私は君達の諸理念が大嫌いだ。だけど君達のやり口は尊敬している。もし人が自分の権利を追求しようと思ったら、その人は何百万ものバカ者どもが納得するまで待つべきではないのであって、彼等に単にそれを強いればいいのだ」と。・・・
 <ランドにとっては、>スーパーマンのエゴを満足させるものは何でも善であり、エゴの満足を妨げようとするものは悪なのだ。・・・
 「人が互いにできる唯一の善、そして彼等の正しい関係に関する唯一の声明は、ほっといてくれ! だ。」・・・
 「・・・彼女は、米国の超金持ち達が累進税に対するストを決行することを夢想した。・・・
 彼女の伝えたかったことは、自由に考えよ、そうすることがあなたが私に対して完全に同意することに導く限りにおいては、だ。・・・
 ・・・人間関係で価値があるのは、ドルの交換に立脚したものだけだ。・・・
 ランドは、少女時代にボルシェヴィキによって破壊されたところ、彼女に彼等が残した足跡が彼女から消えることはなかった。
 彼女は、自分の哲学は、ボルシェヴィズムの正反対だと信じていたが、現実にはそれは瓜二つだった。
 彼女もソヴィエト主義者達も、どちらも、絶対的理性を持っている少数の革命的エリートが権力を掌握してそのビジョンを従順な低能者たる大衆に押しつけなければならない、ということを強く主張した。
 唯一の違いは、レーニンが踏みつけなければならない寄生虫と考えたのは金持ちだったのに対し、ランドは貧乏人だと考えた点だ。・・・
 <米国のような、>全般的にほとんど全員が、誤って、自力で自分自身を造ったと信じ込んでいる国では、自分自身を大事にしなかった人々に対し、侮蔑の念を抱きがちだ。
 ランドは更に深いところまで飲み口をつける。
 米国の建国の神話は、理性と意思の力だけを用いて、無から民族が造り出されたというものだ。
 ランドは、この神話を個々の米国人に適用する。
 あなたは自分自身を造ったのだ。あなたは、出世し支配的地位を得るためには、誰も必要としないし自分の理性以外に何も必要としない、と。
 あなたは自分の体と自分の頭だけで米国になれるのだ。・・・
 これが矯正されるべき問題ではなく、道徳的に称賛に値することであると信じる米国人公衆が相当程度存在する、ということを知っておくことは、息苦しくなるかもしれないけれど、有益だ。・・・」(A)
 「・・・多くの欠陥にもかかわらず、社会主義はある分野では資本主義より明らかに優れている。神話を造り出す点において・・。
 資本主義者達は、社会主義の殉教の英雄達が醸し出す情感的魅力に決して伍しえない。
 しかし、アイン・ランドは、この法則に対する著名なる例外だ。
 彼女は、<米国の>知的エスタブリッシュメントから容赦ない取り扱いを受けてきた。
 文芸評論家達は、彼女のボール紙でできたような登場人物達やタブロイド紙のような文体を嘆いた。
 政治理論家達は、彼女を底の浅い思想家であって、そんなものには青年達しか魅了されない、とこき下ろす。
 しかし、このような侮蔑は、彼女が大衆を魅了するのを全く妨げることはできなかった。
 ランドは、大恐慌の後、資本主義世界全体を覆った集団主義的潮流に対する最も非妥協的な批判者だった。
 彼女にとっては、政府は認可された盗賊以外のなにものでもなく、利他主義は権力掌握のための言い訳に過ぎなかった。
 知識人と官僚は、権力者に抗する人々のチャンピオンであるかのようなポーズをとるかもしれない。
 しかし、現実には、彼等は、嫉みと貪欲の有害な混合物によって動機づけられた帝国建設者なのだ。
 ランドの英雄達は、異なった種族に属した。
 <彼女の英雄達たる>ビジネスマン達と企業家達は、未来を自分自身の体で感じ取り、それを現実のものにするまで決して休むことがない。・・・
 <どうしてランドはこのような思想を形成したのか。>
 第一は、彼女のロシア系ユダヤ人としての生い立ちだ。
 彼女は、アリサ・ローゼンバウムとして生まれ、革命とその後起こったことの直接の証人だ。
 このことが、彼女をワシントンとハリウッドにおける共産主義シンパ達に対する侮蔑で満たし、彼女にニューディールと計画経済の類似性を嗅ぎ取らせた。
 第二は、彼女のビジョンにおける絶対主義だ。
 ほとんどおしなべて敵対的な<米国の>エリート達に対決されつつ、彼女は、本来同盟関係を結んでもおかしくないフリードリッヒ・ハイエク<(コラム#1865、2770、2773、2774、3541)>に対し、彼の著書である『隷属への道』を「彼が国家に限定的な役割があるかもしれないことを認めているがゆえに毒である」とこきおろし、戦いをいどんだ。・・・
 ・・・彼女は、白い帽子をかぶった資本家達を善、黒い帽子をかぶった集団主義者達を悪、とハリウッド的な二分法で両者を扱った。・・・」(B)
 「・・・彼女の資本主義への肩入れと制限的政府の擁護は、どちらも彼女の若かりし頃の、共産主義の下での苦渋の経験から発しており、それは彼女の最も長期にわたるメッセージとなり、大学生達と知識人達、ビジネスの世界の人々と共和党の活動家達、リバタリアン達と保守主義者達という雑多な観衆を惹き付けた。・・・
 「バーンズは、ランドを、ニューディール以前からの、そしてやがて、ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーといった人物達によって最高潮に達したところの、再活性化した制限的政府運動の豊かな知的、文化的伝統の中に位置づける。
 バーンズは、バックレー(<William Frank >Buckley<, Jr.。1925~2008年。両親とも米国人だが、メキシコで第一言語たるスペイン語、フランスで第二言語はフランス語を身につけ、英語は第三言語だった。>)
http://en.wikipedia.org/wiki/William_F._Buckley,_Jr. (太田)
のような冷戦保守主義者達がランドの理性主義を拒否したけれど、彼等がやがて彼女の1960年代における大学生達の間の人気によっていかに裨益したかを、とりわけ鋭く分析する
 彼等の共通の敵であるソ連が崩壊して以降、保守主義者達とリバタリアン達は、ランドとバックレーが何十年も以前に互いに闘った時と全く同じ諸論点で角突き合わせているのを発見した。
 この諸論点とは、世俗社会における宗教の正しい役割から、国家を通常と異った生活様式を制限するために用いることの是非、そして軍事行動を行いうる正当な諸事情に至るまでの諸問題にわたっている。」・・・
 「バーンズの本の一つの長所は、彼女が、他の自由主義者たる学者達とは違って、リバタリアン達と保守主義者達とを分かつ緒論点、及び様々な異った種類のリバタリアニズムの違い、について極めて良く理解していることだ。・・・」(H)
(続く)