太田述正コラム#3916(2010.3.29)
<ニューディール・大統領・最高裁(その2)>(2010.7.16公開)
4 詳細
 「・・・ローズベルトが圧倒的な差で1936年に再選されたこと、及び、民主党が上下両院で多数を制していたこと、更には、彼がこの計画を推進した際の不撓不屈さ、を考慮すれば、驚くべきことだが、最高裁詰め物法は投票にすらかけられな<いまま葬り去られることになる>。・・・
 産業復興法(National Industrial Recovery Act)と農業調整法(Agricultural Adjustment Act)は、<実のところ、>不況からの回復を阻害する代物だった。・・・
 「破壊的競争」を(間違って)不況の原因と信じ、皮肉にも復興法と名付けられたところのものは、各産業に「公正競争」規範・・それが大統領によって承認されると拘束力を持つ・・の樹立を奨励した。
 これは要するに、競争関係にある企業の間で価格と、更には組合と連携しつつ賃金を固定する協定だった。
 その結果は、価格の高騰と賃金の上昇になる。
 価格の高騰は単にインフレ的ではなく現実のものとなり、かかるカルテル価格は産出量と雇用を減らす。
 そして、賃金の上昇は経済の復興を遅延させる。
 農業法は産出量を減らすことで農業価格を上昇させようとしたものだが、ここでもそれはカルテルを意味した。
 同様の産出量削減諸法が石炭と石油産業について施行された。
 これらのニューディール諸法等が1935年と36年に最高裁で違憲とされた。
 ただし、それは経済的に反生産的であるという理由からではない。
 最高裁がそれらに反対したのは、それらが行政府に過度の立法権限を委任していたから(これを主たる根拠に復興法は違憲とされた)であったり、議会の商業規制権限を超えていたから(例えば、農業と鉱業は地方レベルの事柄であるとされた)であったからだ。
 これら諸法を違憲とした最高裁は、三つの派から成っていた。
 ブランダイス<(コラム#3543、3545、3548、3728)>、カルドーゾ(Cardozo)、ストーン(Stone)からなるリベラル派、バトラー(Butler)、マクレイノルズ(McReynolds)、スザーランド(Sutherland)とヴァン・デヴァンター(Van Devanter)からなる超保守派、そして、長官たるヒューズ(Hughes)とロバーツ(Roberts)からなる穏健保守派だ。
 穏健保守派は超保守派と1935年と36年の裁判では同じ歩調をとり、それにしばしばリベラル派の一人ないしそれ以上が同調した。
 主としてその混沌たる規制の仕組みによって幅広い層の不人気を博していたところの、復興法は、全員一致で違憲とされた。
 しかし、若干のニューディール措置は生き残った。
 ドル紙幣を要求があれば金に替える契約上の義務の政府による破棄という、最も重要な措置もそうだ。
 インフレのため、紙幣所有者達の償還需要が増大し、政府が替えなければならない金の分量が、国が保有している金準備<を大幅に上回っている可能性があった>のだ。
 ローズベルトは、仮に最高裁が彼のこの措置に反対する判決を下したならば、最高裁判決を無視する決意を固めていた<ほどだ>。
 ローズベルトが最高裁によるニューディール諸計画(program)の否定に心を痛めていたのは、特定の計画がどうこうということよりは、これらの判決がその他のニューディール立法計画に及ぼす影響を懸念してのことだった。
 最高裁のスタンスは、組合に有利なワグナー法、賃金と労働時間法、社会保障、消費者保護、児童労働の禁止、等々の残余の課題を実現不可能にするように見えたのだ。
 最高裁は、経済復興、社会正義、そして(1930年代ににおける全体主義諸体制の増大する威信の下における)民主主義の延命にとって不可欠であるとローズベルトが考えていたところの、連邦権力の増大を妨げるべく決意を固めているように見えた。
 実際のところは、ローズベルトが就任した直後に実施した4つの措置を除けば、ニューディール計画は復興を促進するより阻害する可能性の方が大きいものばかりだった。
 しかし、それは強力な政治的圧力に応えたものであり、この圧力に屈することに失敗すれば、米国の政治的かつ社会的構造を引き裂くことになりかねなかった。・・・
 <最高裁詰め物>計画(plan)は、憲法が最高裁判事の数を定めているわけではなかったので憲法修正は必要としなかったところ、以下のように最高裁判事の数を増やそうとした。
 すなわち、仮にある判事が、70歳になってから6ヶ月以内に(引き続き給与相当額をもらえるけれど)引退しなかった場合、新しい判事を<追加的に>任命できるというものだ。
 <その場合、>最高裁判事の数の上限は15人ということになる。
 判事達のうちの6人は70歳を超えていたので、全員が引退を拒めば、最高裁は判事数の上限に達することになる。
 6人の70歳代の判事(保守派の5人とブランダイス)が全く引退しなかったとしても、ローズベルトは、6人のリベラル派の判事を任命でき、均衡は、保守派に有利な6対3から、リベラル派に有利な9対6に変化するはずだった。
 仮に件の6人全員が引退してローズベルトが彼等の代わりにリベラル派を任命すれば、均衡はリベラル派に有利な8・・カルドーゾにストーン、そしてそれに加えて6人の新任判事・・対1になるはずだった。その場合、ロバーツが唯一の保守派判事ということになるわけだ。
 最高裁詰め物(及び詰め物除去、すなわち、大統領が新たな判事を任命するのを防止するために空きが生じないようにする)が行われたのは初めてのことではない。
 しかし、1867年以来、それは行われたことがなかった。・・・
 <余談だが、>ナチスもこの最高裁詰め物計画を称賛した!・・・
 最終的にこの計画を殺したのは、最高裁詰め物計画が議論されている間に、4人の超保守派の判事の一人であるヴァン・デヴァンターの(この計画を敗北させることを助けるために繰り上げた)突然の引退も加わり、それに更に上院多数党<(民主党)>院内総務のジョセフ・ロビンソン(Joseph Robinson)<上院議員>の突然の死というダメ押しもあって、最高裁において継起的に行われたところの、予想外のニューディールの全部で12回のしかも負けなしでの勝利<判決>だった。
 ローズベルトによって最高裁に生じる最初の空きを埋めるべく任命されることを約束されていたロビンソンは、死の当時、最高裁詰め物計画に票を投じるよう彼の同僚達を説得する英雄的努力を重ねていた。・・・」(C)
(続く)