太田述正コラム#4146(2010.7.22)
<もう一人の戦犯ルース(その1)>(2010.11.23公開)
1 始めに
いささか鬼面人を驚かすタイトルをつけましたが、パール・バックと並ぶ対日戦犯という趣旨でつけました。
ヘンリー・ルース(Henry Luce)のことです。
アラン・ブリンクレー(Alan Brinkley)の ‘The Publisher: Henry Luce and His American Century’ の書評をもとに書くことにしました。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/3a036676-906a-11df-ad26-00144feab49a.html
(7月20日アクセス)
B:http://www.nytimes.com/2010/04/25/books/review/Keller-t.html?pagewanted=print
(7月22日アクセス。以下同じ)
C:http://www.theglobeandmail.com/books/review-the-publisher-henry-luce-and-his-american-century-by-alan-brinkley/article1560408/
D:http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/ent/books/stories/DN-bk_luce_0502gd.ART.State.Bulldog.74b19.html
E:http://www.powells.com/review/2010_06_10.html
F:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/04/16/AR2010041602801_pf.html
G:http://www.nytimes.com/2010/04/20/books/20book.html?pagewanted=print
ちなみに、ブリンクレーは、コロンビア大学の歴史学の教授です。(D)
2 もう一人の戦犯ルース
(1)序
ヘンリー・ロビンソン・ルース(Henry Robinson Luce。1898~1967年)は、タイム(1923)、ライフ(1936)、フォーチュン、スポーツ・イラストレーテッド、ピープル等の雑誌を世に送り出した人物です。(C、D)
(2)青少年時代
「・・・彼は、支那において、長老派の宣教師の息子として生まれ、入信者を勝ち取る熱意、ただし彼の場合は世俗的にだが、を抱き続けた。・・・」(D)
→パール・バックとの類似性を感じませんか?(太田)
「・・・彼の父親は、・・・エールで教育を受けた、開化した(enlightened)人物であり、自分の任務は、自分の宗派に支那人を入信させることだけではなく、彼等が自発的にキリスト教の引力に引かれるようにすべく、彼等を欧米の教育と繁栄の水準に引き上げることである、と考えていた。
この少年が父親から受け継いだものは、偉大さへの大志・・宣教師的自己意識・・と自分にその資格がないのではないかという深い恐怖心だった。・・・」(B)
「・・・彼は、・・・14歳の(G)・・・少年になって初めて米国にやってきた。・・・」(A)
「・・・<有名な全寮制私立中等学校である>ホッチキス(Hotchkiss)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hotchkiss_School (太田)
とエール大学の学生当時、ルースは学業成績に秀でていたが、金持ちの家の出身ではないことを痛ましいほど自覚していた。
生まれつき特権を持っている人々に対する彼の怒りに満ちた羨望は、彼と彼の諸雑誌の、満足的かつ包摂的中産階級的理想へと彼を啓発した。・・・」(B)
(3)パートナー
「・・・<ホッチキス>とエールで、彼はブライトン・ハッデン(Briton Hadden<。1898~1929年。31歳で急病死
http://en.wikipedia.org/wiki/Briton_Hadden (太田)
>)とともに<ギリシャ・ローマ>古典を学んだ。そこからタイム誌のホメロス的スタイルが出てくる。
彼とハッデンは、共同でわずか24歳の時に<タイムという>新しい雑誌を創刊し、それは速やかに成功を収めることになる。・・・」(A)
「・・・彼等は、ともにスカル・アンド・ボーンズ(Skull and Bones)<(コラム#305、4011)>・・エールの撞着語法的によく知られた秘密結社・・の会員になっている。・・・」(G)
「ルースとハッデンは、今では主流メディア(mainstream media)と呼ばれるところの、扇情主義的なタブロイド紙と大まじめな新聞類に対する軽蔑の念を共有していた。
彼等は、これらを退屈で慢心している(bloated)とみなしていた。・・・
しかし、ハッデン以外で、この本の中でルースにとって最も重要な支え的人物として描かれるのは、クレア・ブース・ルース(Clare Boothe Luce)(注1)だ。
彼女は、このメディアの大立て者の2番目の妻にして、戯作者、下院議員、駐イタリア大使にして 精神異常の(certifiable)大バカ者(fruitcake)だった。・・・」(B)
(注1)1903~87年。彼女の母親は高級コールガール的な生活をしていた時がある。本人も大した教育を受けていない。20歳の時に最初の結婚をして一女・・スタンフォード大学4年生の時に交通事故で死亡・・をもうけるも6年弱で離婚し、1935年にルースとバツ一同士の再婚をする。二人の間に子供はいない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Clare_Boothe_Luce (太田)
「・・・彼は、最初の妻を離婚してグラマーなクレア・ブース(注2)を選び、二人はブリンクレーが形容するところの地獄での結婚生活を始めたのだ。
ブリンクレーは、彼等が「どちらも甚だ自己中心的で例外的な大志抱懐者であり、お互い同士、一定程度、自分の野望を追求するための手段と見ていた」と語る。
これぞ、双方を惨めにする完璧な公式とも言えた。・・・」(D)
(注2)グラマー(?)なクレアの写真・・2行4列のと4行1列のをご覧あれ。
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4SUNA_jaJP315JP315&q=Clare+Boothe+Luce&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=RDhITKCWGILZcZWRpbMM&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CEMQsAQwAw (太田)
(続く)
もう一人の戦犯ルース(その1)
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