太田述正コラム#4480(2011.1.5)
<映画評論20:アビエイター(その2)>(2011.2.5公開)
(2)ハワード・ヒューズ
ハワード・ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr. 。1905~76年)は、「米国の航空士、エンジニア、産業家(industrialist)、映画制作者、映画監督、慈善事業家、そして世界で最も金持ちの一人だった」と彼のウィキペディアが記しています。
彼の父親は、石油掘削のドリルの技術革新を成し遂げ、石油掘削工具の会社を創設し、一代で大資産を築きます。
テキサス州で生まれたヒューズは、小さい時からモノづくりに異常な才能を発揮し、14歳の時から飛行機操縦の練習を始め、テキサス州ヒューストンのライス大学に入学するも、自主退学していますが、その前に、カリフォルニア州ロサンゼルス郡パサディナのカリフォルニア工科大学で数学と航空工学の聴講生になっています。
そして、ヒューズの国、米国は、フランクリンから始まるところの、大はライト兄弟やエジソン、小はヒューズの父親といったエンジニアを輩出した国でもあります。
すなわち、エンジニアとしてのヒューズを生み出し、その才能を花開かせたのは、米国であり、かつ米国の世界に冠たる大学システムなのです。
(この間、ヒューズは、1922年に母親を失い、18歳の時の1924年には父親を失い、ヒューズ家の資産の75%を受け継ぎ、若くして大資産家となります。)
ヒューズは、ハリウッドのあるロサンゼルスにいた時に映画の虜になったということなのでしょうか、まず、カリフォルニアで映画制作に乗りだし、最初の2作で成功を収めた後、自分の航空機への関心と映画製作欲とを結び付け、空中戦を描いた大巨編を制作した後、暴力を描いた映画、更には、女優ジェーン・ラッセル(Jane Russell)の肉体美を見せつけた映画、を次々に世に問います。
映画に係る技術の多くはエジソンの発明に拠っている上、米国の映画産業は、世界で最も古く、しかも一貫して世界最大の売り上げをあげ続けており、映画産業は、米国のソフトパワーの象徴的存在であると言えるでしょう。そして、その中心はハリウッドです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cinema_of_the_United_States
http://en.wikipedia.org/wiki/Film_industry
(1月5日アクセス)
すなわち、映画制作者・監督としてのヒューズを生み出し、その才能を開花させたのは米国であり、とりわけハリウッドなのです。
(ヒューズは、ラッセルを始め、錚々たる女優と次々に浮き名を流します。
ラッセルのほか、ジーン・ハーロウ(Jean Harlow)、キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn)、フェイス・ ドマーグ(=ダミューア。Faith Domergue)、アヴァ・ガードナー(Ava Gardner)、らがそうですが、この中には彼と肉体関係があった者もなかった者も含まれています。
しかし、ヒューズが本当に愛したのは、二番目の結婚相手でやはり女優だったジーン・ピータース(Jean Peters)だけだと言われています。
いずれにせよ、大資産家にして製造会社社長で映画の制作者兼監督であったヒューズ青年に女優達が群がったのは、少しも不思議なことではありません。)
以上と平行して、ヒューズは、自分が設計した飛行機で、自ら操縦桿を握って、スピード記録に挑戦したり、1937年には、この飛行機と同じ機種の改造機で、飛行機でロサンゼルスとニューヨークの間を飛び、アメリカ大陸横断飛行時間の最短新記録を達成します。
そして、翌1938年には、ロッキード社の機種を使って、世界一周し、これも飛行時間の最短新記録を達成するのです。
1946年には、米軍の偵察機用に自分の会社で試作した飛行機(XF-11)のテストパイロットをヒューズ自身が務めていたところ、故障でロサンゼルスのビバリーヒルズに不時着し、大やけどを伴う大負傷をするという事件も起こっています。
1947年には、米軍の水陸両用輸送機用にやはり自分の会社で試作した巨大な飛行艇(H-4 Hercules)のテストパイロットを無事務めています。
この点においては、まさにヒューズには、「飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロット。・・・自転車屋をしながら<自分達自身の資金で>兄弟で研究を続け、1903年に世界初<飛行を実現した。>」ライト兄弟(1867~1912年、1871~1948年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E5%85%84%E5%BC%9F
(1月5日アクセス)が乗り移っていた、としか形容のしようがありません。
次に産業家としてのヒューズです。
ヒューズは、父親から受け継いだ会社の子会社としてヒューズ航空機をつくるのですが、この会社が発展して、巨大な航空宇宙軍事会社たる Hughes Space and Communications Company となります。
また、彼は、航空輸送会社のTWAのオーナーになります。
すなわち、ヒューズは、航空機をコアとする産業複合体の総帥になるわけです。
ヒューズは、この点では、石油(スタンダード石油)をコアとする産業複合体を一代で築き上げたジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr。1839~1937年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC
や自動車(フォード自動車)をコアとする産業複合体を一代で築き上げたヘンリー・フォード(Henry Ford。1863~ 1947年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89
(どちらも1月5日アクセス)ら一連のいかにも米国的な産業家達に比肩されるべき存在です。
最後に、慈善事業家としてのヒューズです。
若くして両親を突然死で失ったヒューズは、19歳の時から暖めていたところの、生物と医学を研究する研究所・・Hughes Medical Institute・・の設立を1953年に果たします。
成功した(産業家を含む)実業家は慈善事業家であることも求められる米国においては、必ずしもめずらしいことではありませんが、現在、この研究所は、基金の額において、全米で2番目に大きい慈善事業団体であり、存命中のヒューズの入れ込みぶりが想像できる、というものです。
(http://en.wikipedia.org/wiki/Howard_Hughes_Medical_Institute
(1月5日アクセス)も参照した。)
(以上、特に断っていない限り、Gによる。)
(続く)
映画評論20:アビエイター(その2)
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