太田述正コラム#4482(2011.1.6)
<映画評論20:アビエイター(その3)>(2011.2.6公開)
 (3)ヒューズの畢生の大勝負
 映画で、ヒューズの前半生のクライマックスとして描かれるのが、上院議員のブリュースター(Ralph Owen Brewster。1888~1961年)との対決です。
 ヒューズについてのウィキペディア(G)にはほとんど出てこないのですが、ブリュースターのウィキペディア(H)には詳しく載っています。
 
 「ブリュースターは、当時米国で最も金持ちであったハワード・ヒューズの商業権益に対する反対によって全米の注目を浴びた。
 ブリュースターは、第二次世界大戦中の国防調達について調査する上院の特別委員会の委員長だった。
 彼は、ヒューズが提供すべく契約していた航空機を実際に引き渡すことなく、4,000万ドルを国防省から受け取っていた疑惑について言挙げした。
 しかし、彼には<後述する>隠された動機があった可能性がある。
 ちなみに、ヒューズは、このH-4ハーキュリーズの試作にはもっとカネがかかったのであって、不足分は自分のカネを投入したと述べたものだ。
 ヒューズは、審問するブリュースターと積極的に戦い、ブリュースター側に腐敗があることを示唆した。
 ・・・ブリュースターは、「<パン・アメリカン航空(Pan American World Airways)の創業者であり社長の>ジュアン・トリップ(Juan Trippe)<(注3)>及び同社の使いっ走り」である、と。
 (注3)トリップについてのウィペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Trippe 
にも、ヒューズと対決した話は出てこない。(太田)
 ブリュースターは、パンナムに米国の国際線を独占させることとなる法律の制定に向けて画策していた。
 <この映画では、ブリュースターが腐敗しており、ヒューズのTWAのライバルであったパンナムから賄賂をもらっており、また、彼がFBIを使ってヒューズの自宅等に執拗にガサ入れを行う等によってヒューズの弱みを掴もうとした、としている(E)が、恐らく事実なのであろう。(太田)>
 ヒューズは、ブリュースターがパンナムと密接な関係があるという噂をふりまき、彼が、TWAの大西洋横断路線の政府による認可を撤回させるための法案等の立法と引き替えに、パンナムから無料の搭乗券や特別扱いといった便宜を供与されていると仄めかした。
 全米に衝撃を与えたこの上院聴聞会で、ヒューズは、TWAのパンナムとの合併に同意するなら上院での審問は終わりにするとブリュースターが約束した、という非難を繰り返した。
 (・・・ヒューズは、この聴聞が始まる時期を<、情報収集したり噂を流したりすべく、>遅らせるために、あえてトリップと合併話を開始してみせた。)
 これに対して、ブリュースターは、審問会の委員長であるというのに、自ら同委員会の証人となって、<ヒューズに関する>様々な疑惑をあげて<ヒューズを>攻撃した。
 もっとも、そのおかげで、ヒューズはブリュースターに直接質問することができた。
 ブリュースターは、ヒューズがあげた様々な疑惑を否定し、反撃的ないくつもの主張を行ったが、聴聞会が終わった時には、ブリュースターの評判は大いに失墜していた。
 逆説的だが、ヒューズは、あれほどの金持ちであったというのに、・・「議会と戦って勝利した」「小っこい奴」・・・と<世論に>受け止められたのだ。
 1952年には、ヒューズは、ブリュースターの政治生命を絶つために力を尽くした。
 そして、メイン州知事であったフレデリック・G・ペイン(Frederick G. Payne)に<同州の>共和党上院議員候補指名にあたってブリュースターに挑戦するよう説得した。
 ヒューズからの事実上無限の選挙資金で武装し、ペインは、ブリュースターに対し、そのマッカーシズム(McCarthyism)や人種主義集団との関係に触れて挑戦するとともに、ブリュースターが腐敗しているとのヒューズの主張も取り上げた。
 これによって、異例にも予備選挙で現役の上院議員が敗北することとなった。」
 (以上、特に断っていない限り、Hによる。)
 既にこの頃、彼の持病とも言える強迫性障害(obsessive-compulsive disorder)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
が、航空機事故の後遺症である痛みを和らげるためのモルヒネの常用ともあいまって、ヒューズの精神を相当蝕んでいた(E)のですが、ブリュースターとトリップとの戦いの際の、上述したところの、ヒューズの用意周到さと、公聴会の席上での弁舌の見事さは奇跡的である、と言うほかありません。
 ここまでヒューズを頑張らせたのは、冒頭で触れたところの彼が先祖の高貴な血を引くことからくる矜持と、公人の腐敗や公人の抱くいかがわしいイデオロギー(人種主義等)に対する公憤であろうと私は考えています。
 (なお、『スミス都へ行く』についての評論(コラム#4364)でも書いたように、米国の議会は、日本の議会と比べても、相当いかがわしい存在である、と思った方が良さそうです。)
 以上から、ヒューズは、少なくともその前半生においては、即物的な意味での米国の体現者であるだけでなく、理念としての米国の体現者でもあった、と言って良いのではないでしょうか。
3 終わりに
 この映画は、まことに忠実にヒューズの半生(ただし、1920年代から1947年まで)を描いています。(E)
 そして、「第77回アカデミー賞において最多の11部門にノミネートされ、スコセッシ監督初の監督賞、作品賞、ディカプリオ初の主演男優賞が期待された<ところ>、どれも受賞には至<りませんでし>た<が、キャサリン・ヘップバーンを演じたケイト・ブランシェットの助演女優賞(E)等>5部門を受賞し<まし>た。」(F)
 必ずしも楽しめる映画ではありませんが、ハワード・ヒューズの伝記を映像化したものであると割り切り、あなたがディカプリオのファンであればなおさら、米国を理解するために実にふさわしいことから、この映画を鑑賞されることを奨めます。
(完)