太田述正コラム#4572(2011.2.20)
<映画評論21:ブレイブハート(その2)>(2011.3.21公開)
2 欧州人の心情をあからさまに映画化した作品
この映画は、「欧州人」の理念型的存在たるギブソンが、欧州人の反イギリス(反アングロサクソン)心情をあからさまに映画化したものである、というのが私の見解です。
ギブソンは、ハットン・ギブソンとアイルランド生まれの母親の間の11番目の子供の6番目としてニューヨークに生まれました。
彼のメルという名前はアイルランドの5世紀の聖メルからとったものですし、正規にはメルとギブソンの間に入る、彼の2番目の名前であるコルム –シル(Colm-Cille)も、ギブソンの母親の郷里の聖人の名前からとったものです。
この母親の関係から、ギブソンは生まれた時からずっと米国とアイルランドの二重国籍者なのです。
そして、ギブソン一家は、豪州に移住するのですが、そこでの高校時代、ギブソンはカトリックの修養団体に入っています。(G)
ギブソンの父親も面白い人物であり、1918年生まれでまだ存命のこの父親は、自前の保守的カトリシズム信奉者であり、陰謀論者であって、とり わけホロコースト否定者として知られており、かつまた、IQが高く、米国でも豪州でも様々なクイズ番組で賞をさらっています。(H)
こんな両親の下に生まれ、育ったのですから、ギブソンが「欧州人」の理念型のような人物へと人となったのはしごく自然なことでした。
すなわち、ギブソンは、ホモ差別、黒人差別、女性差別発言をしていますし、ユダヤ人の警官に向かって、「ユダヤ人のこん畜生め…ユダヤ人は世界のすべての戦争について責任がある」という言葉を吐いています。
『ブレイブハート』の次に彼が制作、監督、ただし出演はしていない『パッション(The Passion of the Christ)』(2004年)は、反ユダヤ映画であるとの批判を受けています。
また、私自身、同じくギブソンの制作、監督、ただしやはり出演はしていない『アポカリプト』(2006年)の映画評(コラム#4248、 4250)で、非キリスト教文明に対する彼の侮蔑意識を指摘したところです。(G)
まさに、理念型的な欧州人、ここにあり、と言ってよいでしょう。
そして、理念型的な欧州人であれば、当然のこととして、そして、「アイルランド人」であればなおさら、欧州とは対蹠的な存在であるイギリスに対して、反イギリス(Anglophobia=反アングロサクソン)的心情を抱くわけです。
この心情を、ギブソンは『ブレイブハート』の中でいかんなくぶちまけたわけです。
分かりやすい例を一つだけあげれば、イギリスのエドワード1世がスコットランドのイギリス人領主達に領民に対する初夜権(primae noctis)(注2)を与えたことが、スコットランド人の怒りを呼び起こした有力な要因としてこの映画は描いていますが、そのような事実は全くありませ ん。(A、B)
(注2)「中世のヨーロッパにおいて権力者が統治する地域の新婚夫婦の初夜に、新郎(夫)よりも先に新婦(妻)と性交(セックス)することが出 来たとする権利である。世界各地で散見されたという伝説や伝承は多く残っているが、その実在については疑問視する専門家が多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%9C%E6%A8%A9
このように、一事が万事、歴史をでっちあげてまでして、イギリスを悪く悪く描こうとしているわけです。
イギリスの主要紙は激しく反発しました。
「エコノミストは、この映画は「拝外主義的(xenophobic)」であるとしたし、ガーディアン・・・は「『ブレイブハート』は有毒なイギ リス嫌いを解き放った(give full rein to)」と述べ、コリン・マッカーサー(Colin MacArthur)は ‘Brigadoon, Braveheart and the Scots: Distortions of Scotland in Hollywood Cinema’ を書き、この映画を「どうしようもなくひどい映画」であると呼び、それが「(ネオ)ファシスト集団やそれに伴う心情」に訴える側面がこの映画にあることを 憂慮すると記した。
ロンドン・タイムスによれば、マッカーサーは、「<この映画の>政治的な様々な効果は真に有害(pernicious)であり、これは排外主義 的な映画だ」と語った。
インディペンデンスは、「『ブレイブハート』現象、すなわちハリウッドが鼓吹したスコットランド・ナショナリズムは、<この映画がもたらしたと ころの>反イギリス的偏見の増大と関連がある」と論じた」といった具合に・・。(B)
結論としては、欧州人の心情(psyche)を知りたかったら、この映画を鑑賞されることをお奨めします。
『アポカリプト』以上に、それをアクション映画と割り切れば、よくできた映画ですよ。
3 エピローグ
この映画で主人公にとっての最大の敵役(悪役)として登場するのがイギリス王のエドワード1世(Edward I。1239~1307年。英国王:1272~1307年)であるところ、その渾名には、背が大変高かったことからきた「長脛(Longshanks)」のほかに「スコットランド人の叩きつぶし屋(Hammer of the Scots)」があったことからも、彼が、スコットランドに対する戦争と過酷な扱いで悪名をはせた人物であったことがうかがえます。
しかし、その一方で、議会を恒久化し、それによって徴税制度を整え、制定法を整備した名君としても知られています。
ちなみに、彼はユダヤ人を約300人殺害している上、ユダヤ人追放令を1290年に発出しています。(1656年まで撤回されず。)(コラ ム#380)(E)
この点じゃ、ギブソン、エドワード1世ファンであってもおかしくない、というのはご愛敬ですね。
蛇足ながら、エドワード1世の、この映画で描かれている通りの柔弱で両刀遣いであったところの、息子のエドワード2世(Edward II。1284~1327?年。英国王:1307~27年)が、その(フランス国王フィリップ4世の娘たる)イサベラ王妃と織りなすところの、この映画には出てこない史実には、実に興味深いものがあります。
エドワード2世は、王妃とその愛人の一派によって1327年に国王の座から引きずりおろされ・・とは言っても、ちゃんと議会の承認を得てます が・・、その上で暗殺されるところ、エドワード2世とイサベラの間にできたエドワード3世(Edward III。1312~77年。英国王:1327~77年)が、後に(当時、彼、まだ18歳前だったが)がその仇を討つ、という史実です。
このエドワード3世は、文字通りの名君として、半世紀に亘ってイギリスに君臨します。(F、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_III_of_England
による。)
(完)
映画評論21:ブレイブハート(その2)
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