太田述正コラム#0032(2002.5.13)
<二人の鋭い論者>
外務省や防衛庁といった日本の安全保障関係部局の退廃ぶりは、私がこのコラムでも何度も指摘してきたところですが、5月8日に発生した瀋陽日本総領事館における亡命未遂事件は、外務省の惨状をビデオを通じて全世界の人々の目に晒してしまいました。外務省(すなわち日本政府)は出先機関も含め、日本の主権の確保や個人の人権の擁護におよそ無関心であるだけでなく、交渉ごとが下手くそで、仕事に取り組む態度にも全く緊張感がないことが改めて明らかになりました。
ここで大切なことは、またまた外務省バッシングと小出しの対症療法でお茶を濁すことではなく、よってきたる根本原因をつきとめ、その是正を図ることです。
私は、かねてから戦後日本の国是たる吉田ドクトリン(=対米保護国化戦略)こそ日本の安全保障関係部局の退廃、ひいては現在の日本の閉塞状況をもたらした根本原因だと考え、吉田ドクトリンとの決別を主張してきました。
これは、奇矯な説でも何でもなく、実際、同じようなことを、全く異なった視点から指摘している論者は少なくありません。
その中から、お二方を紹介させていただきます。
一人は女性問題の専門家で電通総研勤務の鈴木りえこさんであり、もう一人は韓国哲学の専門家で東海大学外国語研究センター助教授の小倉紀蔵さんです。
鈴木さんは、著書「超少子化―危機に立つ日本社会」(集英社新書2000年7月)の中で、「私が考えているのは、<日本の>男性も女性も精神的に自立していないということです。男性・・は・・女の人をみたらママだと考えて甘えてしまいます。女性の方も経済的に男性に頼って自立を果たしていないというところがあって、男女ともに役割分担意識に甘んじていると思うのです。国際関係の観点から考えると、この甘えというのは、戦後の日本が経済的な役割だけで邁進してきたことに関係するような気がします。役割分担意識が根強いのは、国全体としての問題だと考えています。」(166-167頁)と指摘しておられます。
また、小倉さんは、著書「韓国人のしくみ―<理>と<気>で読み解く文化と社会」(講談社新書2001年1月)の中で、「韓国は直接北朝鮮と敵対して、白と黒をつねにはっきりとさせなくては自己の保全すらできない状況だった。それに較べて日本は米国に守られてきたという状況で、正論が成立しにくい・・「正論がうっとうしい」・・という構図<が>あった・・」(90頁)、「今の日本社会全体が「権威」「権力」というものを忌み嫌い、それを褪色させ、また隠蔽している・・。目の前に見えないものとうまくつきあえといっても、それはまったく無理な話でありましょう。」(94頁)、「日本<では韓国とは違って、>・・『葉隠』などの武士道の影響<が>強くて、<理>と<気>を決然と潔く分離し、<理>を純粋化してしまって、「損得勘定のできない道徳至上主義」に陥ってしまう傾向<が>強いようです。この傾向は昭和前期に最高潮に達したわけですが、おそらく、戦後日本が国家を守るためのドロドロの外交的駆け引きをしなくてもすんだ、という状況によって維持されたのでしょう。右翼も左翼も、現実から遊離した<理>のための<理>を唱えているだけであるていどすんだ、という時代が戦後、あまりにも長く続いたようです。・・ですから、日韓、日朝の外交的駆け引きなどでも、日本はまったく相手のペースにふりまわされるだけ、という傾向もうなずけるのです。」(97-98頁)と指摘しておられます。
小倉さんの「損得勘定のできない道徳至上主義・・の傾向は昭和前期に最高潮に達した・・」というくだりは、歴史的事実に照らし、かつまた小倉さんご自身の論理に照らしても誤りだと思いますが、この箇所を除けば、鈴木、小倉ご両名の指摘はまことにもってその通りであり、私の吉田ドクトリン弾劾論を補強するものとして心強い限りです。
皆さんはどうお考えですか。(本や雑誌を読まれて、他にもこの類の指摘を「発見」されたら、引用文に典拠を添えてご教示ください。)