太田述正コラム#4808(2011.6.14)
<映画評論24:ある公爵夫人の生涯>(2011.9.4公開)
1 始めに
たまたまビデオ店で目に入ったものの一つが表記の映画でしたが、私としたことが、ミーハー的に、この映画が描く世界にハマっちゃいました。
というわけで、今回の映画評論は軽ーく流したいと思います。
『ある公爵夫人の生涯』(The Duchess)は、2008年のイギリス映画であり、アマンダ・フォアマン(Amanda Foreman)によるデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ(Georgiana Cavendish, Duchess of Devonshire。1757~1806年)の伝記小説を映画化し、ジョージアナの17歳での結婚から27歳までの10年間を描いたた作品です。
第81回アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞し、美術賞にノミネートされています。
(以上、A、B、Cによる。)
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%8B%E5%85%AC%E7%88%B5%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF
B:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Duchess_(film)
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Georgiana_Cavendish,_Duchess_of_Devonshire
D:http://en.wikipedia.org/wiki/William_Cavendish,_5th_Duke_of_Devonshire
E:http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Grey,_2nd_Earl_Grey
F:http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Cavendish,_Duchess_of_Devonshire
2 ミーハー的な面白さ
(1)そもそも
ジョージアナの父親である、初代スペンサー伯爵(1st Earl Spencer)は、(ウィンストン・チャーチルの祖先でもある)初代マールボロー公爵(1st Duke of Marlborough)のひ孫でした。
彼女は、ダイアナ妃の、従ってまた、ウィリアム王子とハリー王子の祖先であるとともに、彼女の非嫡出子であるイライザ(Eliza。後出)を通じて、エリザベス女王の次男のアンドリュー王子の元妃たるヨーク公爵夫人サラ(Sarah)の祖先でもあります。
ジョージアナの恐るべき美しさは、当時の英国の大画家であるトマス・ゲインズボロー(Thomas Gainsborough)やジョシュア・レイノルズ(Joshua Reynolds)による彼女の肖像画・・絵なので美化されているであろう点を割り引かなければならないとしても・・からうかがい知ることができます。(Cでご覧ください。)
彼女は、18世紀末のイギリスにおける女性ファッションのリーダーでもありました。
彼女はまた、文学と政治のサロンの主宰者であるとともに、女性が全く参政権を持っていなかった時代であったというのに、積極的に選挙運動等の政治活動に携わりました。
ちなみに、彼女の出身のスペンサー家も嫁ぎ先のキャヴェンディッシュ家も(保守党に対置されるところの改革志向の)ホイッグ党のパトロンでした。
キャヴェンディッシュ家のロンドンの邸宅(Devonshire House。現存しない)
http://en.wikipedia.org/wiki/Devonshire_House
は、当時、ホイッグ党の本拠的な役割を果たしていましたが、チャッツワース(Chatsworth)・・現在観光名所になっている・・に広大なカントリー・ハウス
http://en.wikipedia.org/wiki/Chatsworth_House
がありました。
彼女がとりわけ力を入れて支援したのが、彼女の遠縁の、ホイッグ党の重鎮、チャールス・ジェームス・フォックス(Charles James Fox。1849~1806年。反奴隷制論者・フランス革命支持者。1782年:英国の初代外相)
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_James_Fox
でした。
以上は彼女が同時代人に称賛された部分です。
他方、同時代人の眼を顰めさせたのは、彼女の贅沢な生活ぶりと賭け事好きでした。(彼女が亡くなった時、賭けでの多額の負債が残されていました。)
さて、ジョージアナは、17歳の時に、キャヴェンディッシュ公爵(William Cavendish, 5th Duke of Devonshire。1748~1811年)と結婚しますが、彼には既に女中との間に設けた女児がおり、この子をジョージアナは、その後生まれた自分の子供達同様、慈しんで育てます。
彼女は夫の間に3人の女児と1人の男児(跡継)をもうけたほか、第二代グレイ伯爵(2nd Earl Grey。1764~1845年)との密通(後出)により1人の女児をもうけています。
(2)三人婚(menage a trois)
ジョージアナは、夫の不倫が原因で離婚していて元の夫のもとに自分の子供達を残してこざるをえなかったところの、エリザベス・フォスター(Lady Elizabeth Foster。1759~1824年。Ladyなので、一応貴族の端くれらしい)と1882年に保養地のバース(Bath)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bath,_Somerset
で出会って親友になり、彼女を自分達のロンドンの邸宅に住まわせるのですが、その彼女と自分の夫が関係を持ったことにジョージアナは苦しみつつも、結局、事実上の三人婚的な生活がその後25年にわたって続くことになります。
エリザベスはジョージアナの夫との間に男児1人と女児1人の非嫡出子をもうけ、この2人の子供もジョージアナの子供(ただし、上記非嫡出子を除く)と一緒に育てられるのです。
そして、ジョージアナの遺言に基づき、彼女の死後しばらくして、夫の公爵はエリザベスと結婚します。
ちなみに、エリザベス自身も不倫を重ねるのですが、彼女は7つの小説を書いた、いわばイギリス女流作家のはしりとしても知られています。(存命中はほとんどが匿名で出版されました。)
(3)第二代グレイ伯爵との密通
結婚してからも夫が不倫の常習者であり、エリザベスとのこともあって、私生活では恵まれなかったジョージアナは、将来を嘱望されていた、イートン、ケンブリッジ出の若手独身下院議員のチャールズ・グレイ(後の第二代グレイ伯爵)の選挙運動に積極的に関わり、彼の猛烈なアプローチを受けて、彼との不倫に走るのですが、夫が、グレイのもとに出奔したら、二度と子供達に会わせないと彼女を脅したために、泣く泣くグレイを諦めます。
そして1791年にはグレイとの間の女児を世間から隠れてフランスの片田舎で、しかも同行したエリザベスの付添の下(?!)で出産します。
この子は、グレイの父親に預けられ、グレイの姪として育てられることになるのです。
ちなみに、後にグレイは、フォックス(上出)に代わってホイッグ党の党首となり、英首相を1830年から34年まで務め、当時の改革派の旗手として議会制度改革とカトリック教徒の解放等に尽力し、首相在任中の1832年に選挙権を大幅に拡大した改革法(Reform Act)(コラム#1374)を成立させる人物です。
(彼の名前をとった紅茶、アール・グレイでも有名です。)
グレイは、結婚後、妻との間に、実に16人もの子供をつくりましたが、不倫癖がおさまらない人物であり続けました。
(4)お友達はマリー・アントワネット
ジョージアナは、フランス王妃のマリー・アントワネットとお友達でした。
ちなみに、エリザベスのフランス人のお友達はスタール夫人でした。
(以上、特に断っていない限り、Bをベースに、適宜、C~Fに拠った。)
3 感想
18世紀後半から19世紀初頭にかけてのイギリスの少なくとも上流社会は、不倫のやり放題で乱れに乱れていたという感じですね。
(以前にも記したところですが、そんな上流社会、とりわけ貴族達が改革派のスポンサーであった、というのがイギリスの面白いところです。)
ところが、ヴィクトリア女王の時代になると、イギリスが性的に堅苦しい社会へと様変わりしたように見えるのはどうしてなのでしょうね。
ヴィクトリアとアルバート夫妻に浮いた話が一切なかったために、それが社会規範になったといった単純な話ではなさそうです。
とまれ、この映画もまた、「改革の契機となったのが、革新志向の男性<(グレイ)>を選び取った女性<(ジョージアナ)>の性衝動であることを描いて」いるのであって、「この・・・映画<もまた>、・・・イギリスとは何かについて考えさせる<ことで、ホイッグ史観を刷り込むところの>、究極のフェミニスト映画である」(コラム#4807)であるわけです。
こうなると、この種の映画は、イギリスの観衆にとっては、何度見せられても飽きない、イギリス版「時代」劇の定番である、ということになるのかもしれません。
蛇足ですが、この映画、私にとっては、1988年の英国留学当時の思い出の場所である、英海軍大学(当時。現在は旧英海軍大学(Old Royal Naval College))
http://en.wikipedia.org/wiki/Devonshire_House
やバースのロイヤル・クレッセント(Royal Crescent)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Royal.crescent.aerial.bath.arp.jpg
やチャッツワースのカントリー・ハウス
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Chatsworth_showing_hunting_tower.jpg
等が次々に登場するのが堪えられなかったですね。
映画評論24:ある公爵夫人の生涯
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