太田述正コラム#4878(2011.7.19)
<映画評論26:トゥモロー・ワールド(その1)>(2011.10.9公開)
1 始めに
映画『トゥモロー・ワールド』(原題:Children of Men=人類の子供たち)(英米映画。2006年)の評論をお送りします。
イギリス人の眼には、最近・・より正確には2006年時点・・の自国及び世界がどのように映っているのかを探ることができる映画として興味深い、と考えたからです。
なお、この映画については、たまたまTVをつけた時にやっていて、そのまま最後まで鑑賞してしまったという経緯があり、冒頭部分は見ていないことをお断りしておきます。
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
(7月16日アクセス。以下同じ)
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Children_of_Men
C:http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/p-d-james-you-ask-the-questions-687268.html
(原作者へのEメール・インタビュー。7月19日アクセス(以下同じ))
D:http://www.guardian.co.uk/film/2006/sep/24/philipfrench
(映画評。以下同じ)
E:http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5357470.stm
F:http://www.telegraph.co.uk/culture/film/starsandstories/3655621/Film-makers-on-film-Alfonso-Cuaron.html
この映画は、「第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に正式出品され、オゼッラ賞(技術貢献賞)を受賞。ロサンゼルス映画批評家賞では撮影賞を受賞。第79回アカデミー賞では脚色賞、撮影賞、編集賞でノミネートされたが、いずれも受賞を逃<しています。>・・・
<これはディスユートピア映画であり、時は>西暦2027年11月<、>人類は希望を失い、世界は恐慌状態におちいっていた<中で、>なぜか出産の能力が失われ、18年間にわたって全く子供が生まれない<という状況の下、唯一、国らしい国として統治されている>英国に<は>世界中から大量の不法移民が押し寄せ、日に日に治安は悪化していた」(A)、というのが、この映画の背景設定です。
面白いのは、この映画の監督のアルフォンソ・キュロン(Alfonso Cuaron Orozco。1961年~)のプロフィールです。
彼は、IAEAに長く勤めた原子物理学者の息子としてメキシコシティーに生まれ、メキシコ国立自治大学で哲学と映画を学びました。
彼は、英語の映画をつくったために、映画学部から追放されています。
彼は、スペイン語によるメキシコ映画の監督もしていますが、3作目のハリー・ポッター映画である『ハリ・ポッターとアズカバンの囚人(Harry Potter and the Prisoner of Azkaban)』(2004年)のほか、『リトル・プリンセス(A Little Princess)』(1995年)の監督を行う等、米国で活躍しています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfonso_Cuar%C3%B3n
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%B3
(7月19日アクセス)
この映画の原作者のフィリス・ドロシー・ジェームス(Phyllis Dorothy James, Baroness James of Holland Park。1920年~)は、イギリス人たる高卒の女性で、1941年に医者と結婚して先の大戦中はインドで過ごすも、夫が精神病を患って帰国し、夫は1968年に死亡します。
彼女は、2人の娘を養うために英国民健康保険機構(NHS=the National Health)で働いた後、英内務省の検死担当部門に転じ、そこで定年まで勤務します。
そして、1962年から犯罪小説を書き始め、1991年には一代貴族に叙され、現在、保守党の上院議員を務めています。
ジェームスは、保守的な人物であり、敬虔な英国教徒です。
(以上、C、D及び下掲による。)
http://en.wikipedia.org/wiki/P._D._James
(7月19日アクセス)
1992年に出版された原作(D)を相当換骨奪胎したとされる、この映画の脚本の作成には、5人の人物とキュロン監督自身が関わっており、キュロン以外の5人の国籍は不詳ですが、彼らの名前からして(B)、恐らくは英国人と米国人であると考えられ、彼らは、私思うに、ちょっと変わったイギリス人による原作を、英国人と米国人とメキシコ人(監督)との連携プレーで、平均的な英国人や米国人向けの映画にふさわしいような筋に作り替えたのでしょうね。
以下、異例なほど詳細で、かつ出来の良い、Bからの引用を中心に話を進めたいと思います。
2 イギリス人から見た最近の自国及び世界
「近づきつつある人類の絶滅に社会崩壊、テロ、環境破壊が追い討ちをかけていた。
そうした中、恐らくは機能している最後の政府であった英国は、どうやら聖域を求めて絶えることなく波状的にやってくる違法移民に対する迫害を行っていた。・・・
<それでも、>希望、罪の贖い(redemption)、そして信仰(faith)<は失われていなかった。>・・・
原作では、希望というものは未来の世代に依存しているということがはっきり述べられている。
ジェームスは、「より正義にかなった、より情け深い(compassionate)社会を期して、闘争する(struggle)ことや苦しむことには、そして恐らくは死ぬことにさえ、意味があった(reasonable)けれど、遠くない将来に、まさに、「正義」、「情け深いこと」、「社会」、「闘争」、「悪(evil)」という言葉が空気が空虚となって聞こえることのないこだまになってしまうであろうところの、未来なき世界においてはそうではなくなる」と記している。・・・
<原作では男性の生殖能力の喪失だったが、この映画における>女性の不妊という概念は、「希望が薄れつつあるという感覚の隠喩」<として用いられている。>・・・
この映画を通じての試金石<は>移民問題<だが、>、留意点(notes)を変更することで、英国や米国のような近代社会において人気のある反移民感情に抗する、説得力ある申し開きとなっている」。」
(続く)
映画評論26:トゥモロー・ワールド(その1)
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