太田述正コラム#0056(2002.8.19)
<対イラク戦争とアラブの二つの名門の「確執」(その2)>
3 対イラク戦争とサウド、ハーシェム両家の「確執」
1991年の湾岸戦争の時は、サウド家はイラクのフセイン大統領がクゥエートを併合するだけでなく、サウディ(の油田)もねらっていると考え、全面的に西側陣営に与しました。米国を中心とする多国籍軍は、サウディを根拠地として戦い、クゥエートを奪還しました。それに対し、ハーシェム家が当時、イラク寄りの姿勢を打ち出したことは前回述べた通りです。
それから10年ちょっとが経過しましたが、昨年の同時多発テロ以降、米国がフセイン政権を倒す決意を固め、来年早々にも英国と共に対イラク戦を行うべく準備が進められている現在、両家はそれぞれ究極の決断を迫られています。
思い起こせば、ハーシェム家の「決断」の前兆は、1996年に1,200名の米空軍戦闘機部隊が三ヶ月間ヨルダンに駐留し、戦闘機がヨルダンから飛び立ってイラクの飛行禁止区域のパトロールを実施することを認めたことでした。
(http://www.guardian.co.uk/elsewhere/journalist/story/0,7792,755704,00.html。7月15日アクセス)
しかし、この時はあまり話題にはなりませんでした。
今回、最初にハーシェム家の「決断」を推測させる記事を掲載したのは英オブザーバー紙です。これまではきたるべき対イラク戦で「トルコ、クゥエート、それにペルシャ湾岸のミニ国家であるカタールが重要な役割を果たす」と考えられてきたが、「ヨルダンこそ25万人の米軍と英軍及び他の米国の主要同盟軍の出撃拠点となると信じられるに至った・・公式にはヨルダンは対イラク戦に反対しているが、・・ヨルダン政府とワシントンの間で本件に関する暗黙の合意が成立している」と。そして「レバノンのアル・サフィール紙が、ヨルダンにいる2,000名の米軍がイラクに対する軍事作戦を準備していると報じた」のに対し、「ヨルダンの外相は米軍部隊が駐留していることを否定したが、ヨルダン政府筋は三月に米軍とヨルダン軍との大規模な演習を行ったことを認めている。」また、「ジョージ・ブッシュ大統領は就任以来、ヨルダンのアブドゥラ国王と少なくとも五回会っている。米国は来年ヨルダンへの援助を倍額・・にすることとしている上、米議会は行政府からの更なる増額・・要請を検討中だ」と。
(http://www.observer.co.uk/international/story/0,6903,750845,00.html。7月7日アクセス)
この報道を裏打ちする重大ニュースが飛び込んできたのが7月13日です。
何と、ヨルダン政府を代表してこのオブザーバーの報道を事実に反すると否定したご当人である、ヨルダンの前皇太子のハッサン殿下(前回の系図参照)
(http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_2116000/2116060.stm。7月8日アクセス)が、フセイン政権打倒をめざすイラクの反政府運動家達のロンドンでの7月12日の会議に「オブザーバーとして」出席したというのです。
その会議には、イラクの最後の国王のいとこで同時にハッサン殿下のいとこであり、イラク王制復活の暁には国王に擬せられているフセイン氏(前回の系図参照)も出席していました。
(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,754593,00.html。7月13日アクセス。http://www.guardian.co.uk/elsewhere/journalist/story/0,7792,755704,00.html。前掲)
その後、実はハーシェム家は、米国政府のお墨付きを得て、このハッサン殿下をイラク国王にしようとしているのではないかとの報道が出てきました。ロンドンでの会議出席は、そのお披露目だったというわけです。
(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,757760,00.html。7月19日アクセス)
それでは、サウド家の方はどうか。
サウディこそ、フセインを米国の戦術的な敵だとすれば、米国の戦略的な敵であり、サウディがテロリストへの支援活動をやめなければ、サウディの石油施設やサウディの米国内資産の接収を考慮すべきだという驚天動地のブリーフィングが7月に米国防総省の国防政策委員会(顧問グループ)に対してランド研究所員ローラン・モラヴィッツによって行われたという報道が、8月6日、ワシントンポスト氏によってなされました。
(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A47913-2002Aug5.html。8月6日アクセス。なお、このブリーフィングが行われた際、使われたレジュメが
http://www.slate.lycos.com/?id=2069119 に掲載されており、関心のある方にご一読をお勧めします。モラヴィッツの結論はともかく、彼が近代中東史を、原理主義のサウド家(=本質的には反アングロサクソン)と現実主義のハーシェム家(=親アングロサクソン)のせめぎあいと見ている点は、私と全く同じです。
サウド家自身、対イラク攻撃に自国内の基地を使わせない意向を何度も表明しているところから見て、既に究極の決断を下しているようです。
「イラクのサブリ外相は・・米国がイラク攻撃に踏み切った場合、自国内の基地を使わせないと明言しているサウジアラビア(ママ)を高く評価、同国と再び外交関係を結ぶ考えを示した。」という共同の配信記事
(http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20020816k0000m030125000c.html。8月16日アクセス)や、イラク北部のクルド人地域の有力指導者が、対イラク戦における当該地域からの米軍等の出撃を認めたというガーディアンの記事
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,774738,00.html。8月15日アクセス)等からすると、サウド家・フセイン政権対ハーシェム家・イラク内クルド人、という対立軸が次第に鮮明になりつつあることがうかがえます。今一つはっきりしないのがイラン及びイランと密接な関係があるイラク南部のシーア派勢力の帰趨です。
私は、来るべき対イラク戦の結果、サウド家とハーシェム家の「確執」に最終的な決着がつき、中東が真に新しい時代を迎えることになるのかどうか、固唾を飲んで見守っています。(終わり)