太田述正コラム#0086(2002.12.18)
<佐世保重工業(その4)>
9月11日には私は佐世保に赴いて、光武佐世保市長以下に浮きドックオプションを説明し、後刻、姫野SSK副社長とも話をしました。(これが私の姫野氏との二回目、かつ最後の出会いです。)
その後、浮きドックを提供したIHI等の間で一山も二山もあったのですが、最終的には、浮きドックが佐世保に回航され、ベローウッドの修理がつつがなく終了することになります。
総経費は約20億円。この(中古)浮きドックが買えるほどの金額です。(米軍が支出したベローウッドの修理費そのものはこの中には含まれていません。)
最後に、本件の総括をしましょう。
最初に外務省です。
9月17日付の長崎新聞は「佐世保でも揺らぐ外務省の信用」という記事の中で、ベローウッドの修理問題に関連して外務省の評判が芳しくないとし、社民党佐世保市議団の幹部の「彼らは米側の言い分を繰り返すだけ。日本の利益を主張する姿勢は見えなかった。日米安保を守るというより、安保を借りて米国を守っている感じ」及び長谷川SSK社長の「あんな妙な連中に外交という大事をやらせていいのか。おれは国を憂えるよ。」という発言を紹介しました。
この記事を読んで、当時私もわが意を得たりと膝を叩いたことでした。
外務省は、門外漢で部外者の有力政治家の言うがまま、権限も能力もない件に頭を突っ込んだばかりか、当事者双方の言い分を突き合わせるという最低限の作業を怠り、米側受け売りの話をそのまま無批判に用いて政治決着をせまり、SSKから本音で話す意欲と機会を奪いました。
もし、浮きドックオプションが土壇場で急浮上せず、ベローウッドの修理が横須賀等に回航されて行われる事態に陥っていたとすれば、当時沖縄問題を背景に悪化していた米軍と日本政府の関係は決定的に険悪化していたでしょうし、SSKは政府のキャンペーンによって一人悪者にされ、SSKもこれに反発してSSKと米海軍ないし海上自衛隊の関係も切れていたに違いありません。それどころか、佐世保でも沖縄のような反基地闘争に火がついていたかもしれません。
それにしても、9日の日米会議の際の田中審議官の、「SSKの人と会ったのは、私にとって今までで最も不愉快な経験だった」という発言はいただけません。あの時の姫野氏の受け答えは基本的に正論であり、誠実なものでした。自分の主張が通らなかったからといって、公の場で第三者を誹謗するとは、外交官の風上にも置けません。それに冗談半分だとしても、あれが「最も不愉快な経験」とは、田中氏・・戦後外務省が、と言い換えてもよろしい・・が国益を背負ったぎりぎりの外交などやったことがなかった証拠でしょう。
(ただし、浮きドックオプションが急浮上してからの外務省の施設庁への協力振りは誠意あるものであったことを外務省の名誉のため付言しておきます。)
防衛庁の責任も重大です。第3ドックは、もともと国が米軍に提供していたものを、SSKが払い下げを受けたという経緯があります。払い下げを受ける際にSSKが提示した、米軍が必要な時は無償でドックを提供するという破格の条件を、当時の政府はそのまま受け入れたわけですが、こんな公序良俗に反するような政府側に有利な条件を改めることによって、米側から要求があったときにSSKがドックをより提供しやすくしようとしないまま何十年も放置してきた防衛庁は、怠慢のそしりを免れません
また防衛庁は、1995年末に今回の問題が浮上しても、官は私の商業交渉には立ち入れないという建前論に藉口して、協定問題という公の問題が真のイッシューであったにもかかわらず、交渉状況のモニターや協定問題の法的検討を行おうとしませんでした。
しかも防衛庁は、いよいよ問題に火がついたとき、対応を権限と能力のない外務省に丸投げして自らの責任を回避しようとしたばかりか、外務省とともに(防衛庁長官の指示も無視して)罪を一方的にSSKになすりつけようとしました。せっかく浮きドックの話が急浮上した際にも、施設庁長官はこれを抑えようとさえしました。
(しかし、いったん方針が決まってからの防衛庁の対応は、施設庁を中心として内局や海幕の協力の下、おおむね適切な対応ができたと言えるでしょう。)
SSKはSSKで、まことに拙劣な対応をしたと言わざるを得ません。
まず、早い段階で本件を政治問題化し、本来無関係な政治家を巻き込んだり、(本稿では触れませんでしたが)労働組合をあおったりしたことは、SSKが状況に応じ、対応を機敏に変えることを困難にしてしまいました。しかも、その過程で大げさなプロパガンダを行った(注)ため、米海軍のSSKへの心証を決定的に損ねてしまいました。
(注)SSKは第3ドックを使われると360億円もの損害が生じると主張しました。しかし、SSKのドックはいくつもあって稼働率も低く、仮に半年以上にわたって第3ドックを提供させられたとしても、97年3月期決算見込み売上高が650億円しかないSSK(日本経済新聞1996年9月6日付朝刊)としては、荒唐無稽な数字だったと言わざるを得ません。
SSKの最大の誤算は、外務省の「主役」としての予期せぬ登場と、その陰に隠れた施設庁の冷たい対応でしょう。これは政治家を使って商売をしてきたSSKの上手から水が漏れたというところでしょうか。
SSKが、自社でベローウッドの修理を引き受けた上で条件闘争を行い、施設庁が浮きドックオプションのために費やした約20億円の相当部分を第3ドック使用料及び得べかりし利益等の補償費名目で受け取っておれば、恐らく赤字になるようなことはなかったことでしょう。しかも、米海軍や海上自衛隊の覚えも大変めでたいものになっていたことでしょう。
SSKは短期、長期のビジネスチャンスを、いずれも自らドブに棄ててしまったことになります。その後SSKが転落の一途をたどり、会社ぐるみの公金横領事件が露見して天下に醜態をさらすまで、五年しかかからなかったことには哀れみの念を禁じ得ません。
他方、棚ぼた式に大儲けしたのがIHIであり、大損をしたのが納税者たる国民と言う次第です。
(完)