太田述正コラム#0125(2003.6.9)
<各国の労働時間の違い>

 ニューヨーク大学ビジネススクール教授兼オックスフォード大学シニアリサーチフェローのニオール・ファーガソン(Niall Ferguson)が、ニューヨークタイムズに寄稿して大筋次のような指摘を行っています。

 西欧諸国の生産性はこの半世紀の間に急速に米国に追いつきつつあるが、労働時間は米国の方が長く、その差は拡大しつつある。
 1999年までの20年間で米国の労働時間は3%近く増えたが、ドイツでは12%も減った。その結果、米国の労働時間はドイツより22%も上回るに至っている。しかも、両国の実質的な差はもっと大きい。1998年までの25年間で米国の就労率は41%から49%へと上昇したが、ドイツでは44%まで低下しており、失業率もストによる労働日数の損失も全般的に米国より西欧諸国の方が高いからだ。
 要するに米国に比べ、西欧諸国では人々は休暇を長く取り、退職年齢も低く、より多くの勤労者が失業中であったりストをしたりしている。
 西欧諸国の労働時間の短縮傾向は、キリスト教の衰え(教会出席率の低下)と歩調を一にしている。この傾向は、フランスやイタリアといったカトリック諸国よりドイツやオランダといったプロテスタント諸国でより顕著に見られる。
 他方、米国ではキリスト教はプロテスタンティズムを中心に一層隆盛を極めている。米国の労働時間の長さはそのためだ。
 プロテスタンティズムが勤労精神を生み出したとのマックス・ヴェーバー説の正しさが改めて裏付けられた。
http://www.nytimes.com/2003/06/08/weekinreview/08FERG.html。6月8日アクセス)

 このファーガソンの指摘は極めて一面的だと思います。(マックス・ヴェーバーを持ち出した点に至っては彼の論旨に照らしても全く訳が分かりませんが、この点に深入りすることはやめましょう。)
まず一年あたりの労働時間の比較をご覧ください。
韓国 2474 チェコ 2092 米国 1979 メキシコ 1887 オーストラリア 1860 日本 1842 カナダ 1769 英国 1720 ブラジル 1689 ドイツ 1480 の順となっています (出典ILO 2000年。http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ranking/workt.html。6月8日アクセス)。
 統計の取り方が国によって異なっているのではないか、そもそもすべての国を網羅していないのではないか、等の疑問はさておき、これを見ると、ファーガソンが言うように米国と欧州(英国を含む)との間に違いがあるというより、むしろアングロサクソン諸国(米国、オーストラリア、カナダ、英国)と西欧(ドイツ以下)の間に違いがあることが分かります。

 私自身は次のように考えています。
 西欧的なるものの淵源は、キリスト教、ギリシャ文明とゲルマン的要素の3つだとされていることはご存じだと思います。
最初にキリスト教ですが、アダムとイヴが禁断の木ノ実を食べるという原罪を犯したとき、神が人間に科した懲罰の一つが、「額(顔)に汗してパンを食べる」(創世紀 3:19)ことだったことから、旧約聖書を淵源とする宗教であるユダヤ教及びキリスト教(更にはイスラム教)にあっては、労働は懲罰であり、厭うべきものとされてきました。
また、古典ギリシャ社会においても古ゲルマン社会においても、労働には低い社会的評価しか与えられていませんでした。アテネ等のポリスでは、奴隷が労働に従事し、市民はもっぱら政治と軍事に精を出したものですし、ゲルマン民族の男達は、「戦争に出ないときにはいつも、幾分は狩猟に、より多くは睡眠と飲食に耽りつつ、無為に日をすごす・・家庭、家事、田畑、一切の世話を・・女たち、老人たち<など>・・に打ち任せて・・懶惰にのみ打ちすごす」(タキトゥス「ゲルマーニア」(岩波文庫版)78??79頁)のを常としました。
 ですから、貧しかった時代ならいざ知らず、豊かになった現在の西欧諸国において労働時間が著しく減ってきたのもむべなるかなとお思いになるでしょう。

 それでは、アングロサクソン諸国の労働時間の長さはどう説明したらよいのでしょうか。
 アングロサクソンは世界でほぼ唯一生き延びた純粋なゲルマン人であり、ゲルマン人の生業(本来の労働)は戦争(=略奪行為)だったことを思い出してください(上記引用参照)。これは戦争以外の時間はゲルマン=アングロサクソンにとっては来るべき戦争に備えて鋭気を養う余暇だったということを意味します。だから農耕・牧畜(=食糧確保)に比べて狩猟(=食糧確保+戦争準備)をより好んだとはいえ、これら「労働」も「無為・懶惰に過ごす」こととともに余暇の一環であり、「労働」を減らす、制限するという観念は、元来彼らにはなじまないのです。
 そして、キリスト教の聖書を世界で初めて民衆が読める自国語に翻訳して大量に普及させたアングロサクソンは、ゲルマン人としての彼らのもともとの好き嫌いを踏まえ、農耕・牧畜等の「懲罰」としての「額に汗」する「労働」(labour。「陣痛」という意味もある。同義語はtask)と狩猟等のそれ以外の「労働」(work。同義語はbusiness)とを明確に区別し、hard work を厭わず(?!)labourを減らすことに腐心してきました。その最大の成果の一つがイギリスを起源とする18世紀のいわゆる産業革命です(コラム#81参照)。
 これに対し、西欧ではこの二種類の「労働」を区別することなく、どちらも忌むべきものとして削減することに努めてきた、と私は考えているのです。

 韓国と日本の労働時間の長さはどう説明すべきでしょうか。
 これは、本来高温多湿なアジア南方で生まれた水田稲作(=雨期を利用し、人手を余りかけない)を北方の寒冷地に苦心して導入した結果生まれた勤勉・集団作業の文化の影響下にいまだに両国があるからでしょう。
 もっとも日本では、全般的な縄文回帰・「鎖国」化のうねり(コラム#116参照)のもと、かつて米国を大幅に上回っていた労働時間は逆に米国を大幅に下回るに至り、その勤勉・集団作業の文化は急速にすたれつつあるように思われます。

 メキシコの労働時間が長いのは、隣の超大国であり、多数のメキシコ移民が住み、自由貿易協定締結国である米国の影響でしょう。

 チェコの労働時間が長いのは、共産主義体制の崩壊の後、労働時間の増加が始まった(ファーガソン前掲による)ことから、「隣国」として西欧EU諸国から刺激を受けたということでしょう。

http://www.nytimes.com/2003/07/02/international/europe/02LETT.html(7月2日)
(コラムのバックナンバーは、http://www.ohtan.netの(時事)コラム欄を参照。なお、本日付でもう一つのコラム#124「イラク復興で問われる戦後型「利己」的支援」(「エコノミスト6月17日号」に掲載)を配信予定でしたが、都合により、一週間後の6月16日に配信を延期させていただきます。)