太田述正コラム#5944(2013.1.3)
<大英帝国論再々訪(その2)>(2013.4.20公開)
(2)普遍的存在たる帝国
「・・・ダーウィンが主張するごとく、帝国<なるもの>は、英国独特のものでもなければ<地理的意味での>欧州の慣習にとどまるものでもない、ということは強調されなければならない。
そうではなく、人類史の多くにおいて、帝国は「国家組織の原初形態(default mode)」であり続けたのだ。
今日においてさえ、全ての大国・・すなわち、中共、米国、ブラジル、インド、ロシア、そして多分EUも・・は、帝国の諸特徴のうちのいくつかを、なお示しているか、或いは、過去において帝国的段階(phase)を経たか、或いはまた、かつて陸上帝国であって、(必ずしも説得力ある形ではないが、)自らを国民国家として見てくれを変えた(repackage)かレッテルを張り替えたかだ。・・・」(A)
→これがダーウィンの言なのか書評子の言なのかは定かではないところ、この中に日本が登場しないのは、この二人(か書評子一人)が日本がかつて帝国であったことを忘れているのか、それとも現在の日本が「大国」でないと考えているのか、と茶々を入れたくなりますが、それはさておき、帝国を「国家組織の原初形態」と言い切っている点は、確かにその通り、と首肯したくなります。
およそ国家たるもの、つい最近までは、どんどん拡大しようとする帝国主義的国家でなければ、他の帝国主義国家に遅かれ早かれ征服されてしまったことでしょう。
そうだとすれば、一定の期間存続できた国家は、ことごとく、複数の人種、文化、ないし文明からなる帝国であったはずだということになります。
これからは、朝鮮人や支那人に戦前の日本の帝国主義をあげつらわれたら、昂然と胸を張って、何が悪い、お前らの国は、日本と違って、帝国主義的である度合いが不十分だったからこそ、日本によって植民地ないし半植民地にされてしまったのだ、とまずは一発かました上で、おもむろに、日本の帝国主義の特異性、つまりは人間主義性について、諄々と説くことにしましょうか。(太田)
(3)大英帝国と現在の英国民
ここで、先回りして、表記に触れておきましょう。
「大英帝国は、ついに英国を根本的に改変することはなかった。
ダーウィンは、英国は「帝国によって構築された(constituted)」と主張する歴史家達に異を唱え、そんな言説は、「流行に乗っているかもしれないが空疎な物語」だとする。
欧州のかなたに帝国を獲得するよりずっと前に、既に英国は資金が潤沢な財政的・軍事的国家を持っていたことから、英国は、ポスト帝国の段階へと、集団的な国家的神経衰弱(national mental breakdown)に陥ることなく、移行することができた、と。
英国にとって、大英帝国は、「一つの段階、一つの例外的瞬間に過ぎなかった」と。・・・」(B)
→このダーウィンの指摘には首をかしげざるをえません。
私が何度も指摘しているように、英国の君主を元首としていただく諸国は、拡大英国なのです。
このように、「欧州のかなたに」、本国と比較して、合わせて、人口的には匹敵し、領域的には数十倍にのぼる、カナダ、豪州等からなる「植民地」群を擁する英国は、依然としてれっきとした帝国であり続けているわけであり、かかる「植民地」を基本的に全て喪失した欧州の旧列強諸国のように、国家的神経衰弱に陥る条件を、そもそも欠いていた、ということではないでしょうか。(太田)
「英国人のアイデンティティないし自分がいかなる者であるかについての感覚、に与えた大英帝国の複雑かつ長きにわたった影響が、なにゆえに英国人がEUと折り合いをつけることがかくも困難であるかの理由を説明することに資する。
多彩な英国人達が、欧州というたった一つの大陸だけに閉じ込められることに、一定程度の抵抗感を覚えている。
つまり、意識的にせよ無意識的にせよ、英国人の多くは、依然、全球的人間、より大きな舞台における俳優たることにあこがれの念を抱いている、ということなのだ。・・・」(A)
→ここも、上で述べたことから、必ずしも首肯できません。
現在でも、英国人達は、欧州大陸、北米大陸、及びオセアニア大陸という大きな舞台上で演じ続けているのですからね。
EUとの折り合いの悪さについては、これも何度も私が指摘しているように、アングロサクソン文明(=良識的にして自由な文明)と欧州文明(=野蛮にして専制的な文明)が対蹠的な文明であることに由来している、と考えている次第です。(太田)
(続く)
大英帝国論再々訪(その2)
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