太田述正コラム#6064(2013.3.4)
<米国の経済風土(その1)>(2013.6.19公開)
1 始めに
コラム#6062で、米国は、「ITや宇宙航空等の先端産業・・・があげた利益を中産階級以下にまで均霑(trickle down)するメカニズムを構築する余力がなく、その結果、<経済・社会が、>上記のような情けない状態に陥ってしまった」と記したばかりですが、このことの背景に関わる新説が提唱されていることを知ったので、ご紹介しておきたいと思います。
A:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2013/03/02/land-of-plenty-of-government/?ref=opinion (著者による紹介)
B:http://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/2012/12/pdf/books.pdf (書評)
C:http://commentsongpe.wordpress.com/2013/03/03/monica-prasad-and-her-politically-correct-nonsense-in-the-new-york-times/ (Aに対するコメント)
その説とは、ノースウエスタン大学社会学准教授のモニカ・プラサド(Monica Prasad)が、新著『過剰の地–米国の豊富さと貧困の逆説(The Land of Too Much: American Abundance and the Paradox of Poverty)』において展開したものです。(A)
2 米国の経済風土
「どうして欧州諸国は貧困と不平等が米国に比べて少ないのだろうか。
我々は、えてして、それが米国における反政府感情が所得を再分配したり貧者の需要に応えたりするには小さすぎる政府を生み出した結果だと考えがちだ。
しかし、過去30年間にわたって、学者達は、我々の政府は我々が考えるほど小さくはなかったことを発見してきた。
歴史学者、社会学者、そして政治学者達は、それぞれ、20世紀を通じて、そしてそれ以前からさえ、いくつかの事例においては西欧で発見するものを超えているような、驚くほど巨大な政府の存在感が米国であった証拠を発掘してきた。
例えば、欧州の銀行は、1933年のグラススティーガル法(Glass-Steagall Act)の下での商業銀行と投資銀行の分離に係る諸規制と米国の銀行が戦ったように、戦う必要がないままできた。
<また、>1980年代までは、資本所得に対する課税は大部分の欧州諸国よりも米国の方が高かった。
<ちなみに、>欧州諸国では、今でも、労働<所得>に対する課税が米国よりも高い。
<更にまた、>米国の破産法は、どの欧州諸国よりも、債権者に厳しく債務者に優しい。
これは、2005年の破産法改正以降でさえ、変わっていない。
<或いはまた、>1950年代末から1960年代初にかけての、有名なサリドマイドの赤ちゃんの事例を考えてみて欲しい。・・・
欧州ではサリドマイドは極めて入手が容易で何千もの先天性異常の事例が生じた。
しかし、<米>食品・薬品庁が、製薬会社の危険な製品から子供達を守るために積極的な政府介入を成功裏に行ったことで、米国市場からサリドマイドを締め出し続けた。・・・
しかし、欧州がかくも業界に甘いのだとして、どうしてその結果が少ない貧困と不平等度なのだろうか。・・・
欧州諸国は確かにより大きな公的福祉諸国であり、これがその貧困と不平等度を引き下げている。
しかし、その見返りに、欧州の企業は贈り物をもらっている。
すなわち、消費を抑え生産を増やす形の政治経済だ。
戦後、ドイツ、フランスその他の諸国は、個人消費を抑制し利益を輸出産業に誘導しようとした。
これは、その戦争によって荒廃した経済を再建するためだった。
緩やかな規制は、この企業に優しい戦略の一部だった。
学者の中には、この欧州諸国の政策を「供給サイド」とさえ呼んできた。
というのは、消費者が裨益するであろう需要サイドの諸措置を犠牲にして生産者にインセンティヴを与えることに焦点をあてていたからだ。
これは、戦後の目覚ましい欧州の成長の一要素だった。
他方、米国は、一種の「担保ケインズ主義」であるところの、政府が補助金を与える担保付信用貸し(credit)に立脚した消費者経済を発展させた。
消費を増大させることは、当時の観察者達の首をひねらせた問題への不況期の対応だった。
他方、失業と飢餓は遍在していた。
他方、豚の価格が上がるように数百万の子豚や妊娠した雌豚が屠殺されたところの、1933年の豚大屠殺のように、政府は、積極的に価格を上げるための穀物の破棄に従事していた。
ポピュリストとしてルイジアナ州の知事と上院議員を務めたヒューイ・P・ロング(Huey P. Long)は、「どうしてなのだ。どうして? 旱魃の年々に比べて、食べるものは多過ぎるくらいあるというのに人々は飢えている。着るものは多過ぎるくらいあるのに人々は裸だ。住宅は多すぎるくらいあるのにいまだかつてないほどの人々がホームレスだ。どうして? ここは超過剰と超豊富の地だ。それなのに、どうしてこの地は飢餓と裸体とホームレスの地でもあるのだ?」と記したものだ。
この長い質問への本当の答えは、少なくとも今日我々が理解する限りでは、マネーサプライ不足が経済を押さえ込んでいたということなのだ。
しかし、当時の観察者達は、問題は、富がかくも少数の者に集中していたために、消費者が畑で腐るがままに放置されていた商品を買う購買力を持っていなかったからだと考えた。
消費者の購買力を増大させることが、ニューディールの間とそれからの数十年、経済政策を駆動したパラダイムとなった。
その中心的要素は、フランクリン・D・ローズベルトの下での連邦住宅庁(Federal Housing Administration)の創設から始まったところの、住宅を購入するために大きな債務を負うよう市民達を奨励することによって自宅所有を増大させることだった。
ローズベルトは、連邦住宅庁が経済を再活性化できると考えた。
つまり、時の連邦準備委員会委員長は、それを「経済のエンジン全体を動かすための車輪の中の車輪」と呼んだ。
欧州人達が消費の抑制に焦点をあてたのに対し、米国人達は消費を成長を駆動する機械と見たのであり、我々は現在もなおそう見ているのだ。・・・
しかし、消費への偏倚は、我々がようやく理解し始めているところの、分配的諸帰結をもたらす。
諸研究の中には、それが福祉国家への指示を掘り崩すことを示唆するものがある。
なぜなら、消費者達が、個人資産、とりわけ彼らの自宅、に彼らの福利(well-being)を依存するようになり、他社の福祉を提供することへの関心を減衰させるように見えるから、というのだ。
消費への偏倚はまた、左派をして、個人消費の増大に向けての努力に焦点をあてさせる。
1960年代と70年代にアフリカ系米国人と女性のためにもっと信用貸しへのアクセスを、と求めたのは左派の活動家達だったが、それは当然だった。
というのは、もし信用貸しが米国人が収支を合わせる方法だとすれば、信用貸しへのアクセスのない者は蔑ろにされてしまうからだ。
しかし、信用貸しへのアクセスは本当の貧者には何の意味もなかった。
なぜなら、彼らは信用格付けが不足しているとみなされるからだ。
誰かが消費をしなければならないが、一つの国が長期間にわたって世界の消費者であり続けた場合・・米国がまさにそうだが・・貧者の利益に反して機能する政治的伝統が根を張ることになりうるのだ。」(A)
(続く)
米国の経済風土(その1)
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