太田述正コラム#6102(2013.3.23)
<映画評論38:ダブル・ジョパディー/陪審員(その3)>(2013.7.8公開)
では、現代ではどうなのでしょうか?
インドでは、76%の女性が子供の時に性的虐待を受け、その40%は家族の一員によるものだった、という一調査結果があります。
先進国で、このインドにおけるような調査結果は、回答者が正直に答えないこともあって得られていませんが、米国では、強姦された子供の46%は家族の一員によるものだった、という一調査結果があります(E)。
いずれにせよ、以下のことを考えてみてください。
1980年代以降、異性たる近親者二人の間には、そうでない場合よりも、本来、恋愛感情が生じやすいのではないか、と言われるようになりました。
別々の人生を歩み、互いに近親者であることを知らずに出会ったところの、異性たる親子ないし兄弟姉妹の二人が恋に陥る事例がよくあることが、その裏付けである、というのです。
いわゆる、Genetic sexual attraction(GSA)です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Genetic_sexual_attraction
たまたま、本日見たTV番組の『所さんの目がテン!』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E7%9B%AE%E3%81%8C%E3%83%86%E3%83%B3!
で、初対面の相手に好印象を持ってもらう方法として、相手の、言葉の文章の終わりで頷く、動きをマネする、言葉をマネする、の3つが挙げられていましたが、これは要するに、人は、相手が自分の考えや言動と似通っていると思うと、その相手に好意を持つ、ということであり、遺伝子を相対的に多く共有するところの、近親者たる相手は、理の当然として、赤の他人たる相手に比べてより自分と考えや言動が似通っているのですから、その相手が異性であれば、より恋に陥りやすいのはごく自然なことでしょう。
このGSAが発現するのを妨げると考えられている要因の一つは、いわゆるウェスターマーク効果(Westermarck effect)(注3)ですが、この仮説の根拠は薄弱です。
(注3)「幼少期から同一の生活環境で育った相手に対しては、長じてから性的興味を持つ事は少なくなる、とする仮説的な心理現象である。この理論(仮説)は、19世紀にフィンランドの哲学者・社会学者であるエドワード・ウェスターマークが、1891年の自著『人類婚姻史』で提唱したとされているのでこう呼ばれている。reverse sexual imprinting リバース・セクシュアル・インプリンティング と呼ばれることもある。・・・
だが、同時代に精神分析学を創始したジークムント・フロイトは『Totem and Taboo』(1913)で「近親相姦を避ける傾向が備わっているなら何故タブー視して抑制せねばならないのか」と批判した。また、デュルケームは社会的文脈を無視していると非難した。その後の人類学者からはウェスターマークの同説は無視されるようにな<った。>・・・
1950年代<から、改めて研究対象とされるようにはなったが、>・・・ウェスターマーク効果を支持すると見られる証拠は多く提出されているものの、いずれも異なる解釈を持ち込むことは可能である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C
してみれば、50%の遺伝子を共有している、異性たる親子間で、少なくとも精神的な近親相姦が生じない方が異常だ、ということになりそうです。
そして、父親と娘との間に比べて、母親と息子との間では一層そうである、と言えそうです。
というのも、「プロラクチンは主に脳下垂体で産生、分泌されるペプチドホルモンであり、乳腺発育の促進、母性行動誘導がさまざまな動物種で確認されている<ところ、>哺乳類にはプロラクチン受容体が存在し、乳腺等におけるプロラクチンの情報伝達を介して<おり、>「妊娠後期からプロラクチン受容体の発現量が増加し、以後、授乳期間中は高レベルに維持される。授乳中に<子供>を離してしまうと発現レベルは速やかに低下し、<子供>を戻すと再び発現量が増加する<し、>・・・乳児が乳首を吸う刺激によって母親から分泌されるオキシトシンというホルモンは、母親自身に幸福感や恍惚感を与える」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E6%80%A7
からです。
つまり、母親と子供の間には、父親と子供の間と比較して、より濃厚な紐帯が形成される、より正確にはより濃厚な紐帯が子供が乳児の時に自分との間で形成されたという記憶が母親に形成される、と考えられるからです。
世の中で、娘婿と舅との軋轢ではなく、息子の嫁と姑との軋轢がもっぱら取り沙汰されることにはこのような背景がある、と思うのです。
(続く)
映画評論38:ダブル・ジョパディー/陪審員(その3)
- 公開日: