太田述正コラム#6222(2013.5.22)
<中共の資本主義化の軌跡(その8)>(2013.9.6公開)
(5)知の市場
「中共は財のための強固な市場を発展させたが、今なお、知の自由市場(free market for ideas)を欠いている。・・・
第一に、・・・民主主義のパーフォーマンスは、知の自由市場に決定的に依存している。
それは、民営化が資本資産(capital assets)の市場に依存するのとまさに同じだ。
第二に、支那史において、複数政党間の競争は事実上先例がない。
実際、partyに相当する漢語である党は、伝統的な支那の政治的思考においては強い否定的含意を持つ。
「党を結成して自利を追求すること(結党营私)」は、一貫して「天の下にあるものはみんなのもの(天下為公)」という政治的理想を蔑ろにするものとこきおろされてきた。 これとは対照的に、知の市場は、伝統的な支那の考え方に深くかつ尊敬されるルーツを持つ。
すなわち、「<百花斉放>百家争鳴(<let a hundred flowers bloom, and> let one hundred schools of thought contend)」は、孔子の時代から政治的理想として尊敬されてきた。
我々の見解では、知の市場は、中共の政治を、寛容、正義、そして謙虚(humility)の諸原則に立脚したものへと再構築するための漸進的かつ実行可能なアプローチを約束してくれるのだ。」(G)
「知の市場は、政治的に中立だ。
知の市場は、多数の異なった政治体制の下で機能しうる。」(H)
→既に批判したところですが、著者達の主張のおかしさが端的に現われている点なので、著者達自身がこの点について語った箇所を、他の典拠から抜粋、採録しておきました。(太田)
(6)「日本型経済体制」の無視
「あなたは、1980年代に、「アメリカ合衆国がソ連に代えて中共の、とりわけ中共の学生達の、役割モデル(role model)になった」と記したが、どうしてそうなったのか<と聞かれ、著者達は、以下のように答えた。>
1972年のニクソンの北京訪問以来、中共は、米国を冷戦におけるパートナーと見始めただけでなく、世界を科学と教育の面でリードしている国とも見始めた。
1979年のトウ小平の米国訪問とそれに引き続いたところの、たくさんの米国の学術代表団の中共訪問は、米国から学ぶ点がたくさんあることを中共の人々に一層確信させた。」(H)
→著者達は、トウ小平による改革開放は、米国の経済体制を念頭に置いて行われたものであると示唆しているように私は受け止めましたが、そうではないことは、既に説明したところです。
中共の人々が、上も下も魅力を感じたのは、ここで著者達が言及しているところの、科学と教育の面であり、だからこそ、科学を習得し教育を受けるために米国留学ブームが起きたのであるし、知的能力の優れた人や金持ちの人にとって米国が有利な国であることから米国永住権、更には国籍を取得するブームも起きたのであって、米国は、中共の人々個々人にとって、このような利己的にして功利的な意味で魅力的な国であることは確かであっても、中共当局がモデルとして追求すべき国ではない、いや追求すべき国であるはずがない、と私は考えています。(太田)
「中共がどうしてこんな形で資本主義になったのかを完全に説明し、<そのことによって、>興味をそそる全ての疑問点を解明するには、何世紀とは言わないが、何十年はかかることだろう。
しかし、我々がまずもってやらなければならないことは、いかに中共が資本主義になったかのきちんとした理解を確立するとともに、我々が説明しなければならないことを正確に確認することであり、その上で、初めて、我々は因果的説明の試みに乗り出すことができよう。・・・
<こう著者達は言明している。>
→著者達は、改革開放が米国の経済体制を念頭に置いて行われたものであるかどうかについては、確信が持てなかったということを言いたかったのでしょうが、彼らは、そもそも、いかに改革開放が進行したかについて、ボトムアップで進行したなどという誤った説を提示したわけであり、何をかいわんやです。(太田)
<著書の一人であるコースのような>当代きっての理論的頭脳を持つ一人が、中共の遷移の理論的説明をひねり出す営みに苦労をしているのを目の当たりにすると、かかる理論的企図を行うには、中共は、要は、余りに大きく、余りに複雑で、余りに混沌としているのではないか、という示唆が、私の心中の一方から聞こえてくる。
しかし、私の心中のより楽観的なもう一方からは、この<本における>理論的展開の欠如は、この<本>のような偉大なる描写的(descriptive)作品群の肩の上に載って、<中共の>かかる雄大なる(epic)遷移の理論的理解を深め、広げることへの大いなる希望をまさに提供してくれているものと信じる気持ちが湧いてくる。・・・
私は、この本の続篇<のタイトル>を、<この本のタイトル、How China Became Capitalist(いかに中共は資本主義になったのか)ならぬ、>Why China Became Capitalist(どうして中共は資本主義になったのか)とすることを推奨したい。
私自身は、この次世代の作品を読むことができるようになるまでに、何世紀はもとより、何十年も待つ必要がないことを祈っている。」(E)
→私としては、ここは、書評子が、コースに皮肉を言っているとしか読めなかったのですが・・。
いずれにせよ、著者達が、改革開放(第二の革命)と日本型経済体制/人間主義との関係に気付かない、いや気付かないふりをしている以上は、この本は読むに値しない、と言わざるをえません。(太田)
(続く)
中共の資本主義化の軌跡(その8)
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