太田述正コラム#6716(2014.1.25)
<日本の世界史的使命/「アーロン収容所」再読(その15)/皆さんとディスカッション(続x2154)>
  –日本の世界史的使命/「アーロン収容所」再読(その15)–
 [日本文明の至上性]
 「「アーロン収容所」再読」シリーズは、コラム#1054の「その14」(2006.1.21)で中断してしまっていました。
 それから、既に7年近くが経っていることを「発見」して驚いています。
 復習を兼ねて、ここにその全文を採録しておきます。
 当時のコラムには随分短かいものもあったんですね。
 「米国の心理学者でシカゴ大学とハーバード大学の教授であったコールバーグ(Lawrence Kohlberg。1927~87年・・・)・・・は倫理観を、下掲の3種類(level)6段階(stage)に分けたのです。そして個人は、この段階を一段ずつ上って行くしかなく、飛び越すことはできない考えたのです。
 レベル1(プレ社会規約)(9歳まで)
1.服従と懲罰志向
2.利己志向
 レベル2(社会規約)(9歳超から青年まで)
3.個人間の約束(Interpersonal accord)と大勢順応(よい子悪い子的姿勢)
4.権威と社会秩序維持志向(「法と秩序」的道徳観)
 レベル3(ポスト社会規約)(成人)
5.社会契約志向
6.普遍的倫理諸原則(原則に則った良心)
 これを、イギリス人が密かに抱いているところの階層的世界観に当てはめると、レベル3がアングロサクソンで、うち段階6.は純正アングロサクソン、段階5.は米国等のできそこないのアングロサクソンがそれぞれ該当し、レベル2が野蛮人で、うち段階4.は西欧・日本、段階3.はロシア・支那・東南アジア・インド・アラブ・中南米がそれぞれ該当し、レベル1が野蛮人の最たるもので、黒人やアボリジニが該当する、といったところではないでしょうか。
 これこそ会田が、「アーロン収容所」で意識せずして到達したところの階層的世界観そのものです。
 そして、私の考えは、少なくとも、段階4.と段階5.と段階6.の三つの間に高低はない、だから、おおむね段階4.の人が多い日本人が、段階5.と6.の人が多いアングロサクソンに引け目を感じる必要はないというものだ、ということになりそうです。」(コラム#1054)
 なぜ、ここで中断してしまったたかですが、「段階4.と段階5.と段階6.の三つの間に高低はない」わけではないのではないか、いや、(「段階4.」のネーミングをより価値中立的なものに変えるという前提の下ですが、)段階4.の方が段階5.や段階6.よりむしろ上位ではないのか、という疑念が、当時私の心の中に生じたからだったからだという記憶があります。
 その直前の、太田述正コラム#1052(2006.1.20)「「アーロン収容所」再読(その13)」もちょっとだけ振り返っておきましょうか。
 「抽象的倫理を重視するアングロサクソン流倫理観と人間関係(状況倫理)を重視する日本流倫理観との間に高いとか低いとかはない。そもそも、アングロサクソン流倫理観よりも日本流倫理観の方がはるかに普遍性がある。しかも、日本流倫理観もアングロサクソン流倫理観同様、個人を単位とする倫理観であって、集団を単位とする倫理観とは違って「近代」と相容れない、ということもない」(コラム#1052)
 しかし、コラム#1204(2006.4.27)「古の枢軸の時代を振り返って(その2)」を書いた時点でも、この両文明に序列をつけることには、下掲のように、なお慎重であったことが見てとれます。
 「日本文明は、非精神的・非哲学的文明であるという点でアングロサクソン文明と極めて親和性を有する文明なのであり、アングロサクソン文明同様、普遍性を有する文明なのです。」(コラム#1204)
 この迷いを解消し、日本文明をアングロサクソン文明の上位に位置づける契機となったことの一つが、コラム#3399(2009.7.16)「文明的とは何ぞや(その3)」の中で紹介した、下掲のような、イギリス人のアームストロングの指摘であったような気がします。
 「日本は、人間主義社会であって、また、茶道を初め<と>して日常的なありとあらゆるものが「道」にまで高められているという意味で、最も文明的な社会である、と彼は示唆しているとも言えるでしょう。その一方で、米国的なポップ・カルチャーに対して彼は実に辛辣です。
 イギリス人は、世界で一番日本の理解者である、という私のかねてよりの指摘の通りだ、と思われた方もおられるのではないでしょうか。」(コラム#3399)
<脚注 人間主義について>
 「人間に本来備わっている共感能力(=人間主義)」(コラム#5061)
 「人間主義とは、個人個人の価値観が異なっている・・より正確に言えば、効用関数とリスク選好が異なっている・・、ことを前提にして、いや、異なっているからこそ、他人の気持ちを慮ったり、人間関係の中長期的ネットワークを形成したりすることは容易ではないけれど大きな意義がある、という考え方なんだよ。
 もっとも、これは、私自身の人間主義であって、果たして和辻の人間主義がそうなのか、さらにはマクマレーの考え方が和辻の人間主義と本当にほぼ同じと言えるのか、はなお精査する必要があるけどね。」(コラム#4739)
 その翌年、コラム#3954(2010.4.17)「アルフレッド大王随想」で、私は、下掲のように、この自分の新たな考えを、しかし、韜晦した形で記しています。
 「ヘンリエッタ・マーシャル(Henrietta Marshll)<は>1905年に出版した ‘Our Island Story’ <の中で、><それまでの一般的な見方であった、英国の軍事的優位を築いた人物としてではなく、>その生涯を通じてアルフレッドが彼の民のことだけ、そして民にとって何が最も良いことかだけを考え続けた」ことでもってアルフレッドを称賛し<まし>た。・・・
 日本の場合、まず、仁徳天皇(257~399年:天皇:313~399年)伝説がありますね。
 仁徳天皇御製とされる「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」という短歌・・・は、誤伝であるようですが、・・・その背景として、記紀に記されている、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに仁徳天皇が気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う逸話が一般に流布していた、ということがあります。
 そして、時代が下ると、鎌倉時代から室町時代に流布した北条時頼(1227~63年。執権:1246~56年)の廻国伝説を元にしたお能の『鉢木』が有名ですね。・・・
 その背景には、時頼が「庶民に対しても救済政策を採って積極的に庶民を保護し<た>」・・・という実態がありました。
 江戸時代の水戸黄門伝説は言うまでもありません。
 こんな国は世界広しといえども、イギリスと日本くらいです。・・・
 さて、イギリスと比べた場合の日本の凄さは、国王(天皇)への信頼を維持するために、天皇が権威は持つが権力を持たない存在へと祭り上げられていったところにあります。
 時頼の場合、彼の上に名目だけの将軍がおり、更にその上に同じく名目だけの天皇がいたわけで、仮に執権が失政をしたとしても、天皇に傷がつくことはなく、君側の奸を取り除く、つまり、その執権、場合によっては、鎌倉幕府を打倒すれば、政府は本来のあり方に戻ることになるわけです。
 一方、イギリスの方は、国王自身が権力を維持し続けたため、17世紀には国王殺しまで起こってしまった、ということになります。
 我々は、日本の政治的伝統の超先進性にもっと自信を持ってよいのではないでしょうか。」(コラム#3954)
 それでも、下掲のコラム#4433(2010.12.13)「皆さんとディスカッション(続x1043)」での記述から分かるように、私は、この自分の考えを、日本文明>アングロサクソン文明、すなわち、日>英、と明確に記すことには、依然、慎重であったようです。
 「私の仮説はこうだ。イギリスや日本のような人間(じんかん)主義的な社会では、人々は、特定の宗教団体(イデオロギー団体を含む)に入らなくても人的ネットワークをつくることができ、幸せになれるのに対し、欧州、中東といった非人間主義的な社会ではそうは問屋がおろさないってこと。その根拠は、例えば本日の記事中の記述の裏付けとなっているところの、諸実験ないし統計だ。↓<(以下、今回新たに翻訳した。(太田))>
 「人をより幸せにするのは、教会に行って説教に耳を傾けたりお祈りをしたりすることによってでは実はないのであって、教会を通じて友人をつくったり緊密な社会的ネットワークを構築したりすることなのだ。諸<実験の>結果は、友人達と知人達は、我々の健康に強力な効果、いや、伝染性のとさえいえる効果、をもたらすという観念を裏付けている。」
http://healthland.time.com/2010/12/12/religions-secret-to-happiness-its-friends-not-faith/
 悩ましいのは、欧州や中東の人々が、特定の宗教団体に入って人的ネットワークを形成し、幸せになったとしても、その宗教団体が原理主義的なものであった場合、政治的・社会的問題を国(地域)内外で引き起こし、それに構成員も巻き込まれ、(迫害したり殺したりして他者を不幸にしたり、他者から)自分が迫害を受けたり殺されたりして不幸になったりする場合があるってこと。
 イギリス人や日本人は、そういうけったいな不幸を味わわせたり味わったりすることを、基本的に免れているわけだ。」(コラム#4433)
 更に、下掲のコラム#4933(2011.8.16)「皆さんとディスカッション(続x1295)」で、私は、自分の考えを、再び、韜晦した形で記しています。
 (「昔」も「百年戦争敗退後」もアイルランドから有形無形の収奪をしてきたことを書き忘れていますがね・・。)
 「私は、コラム#4770で、「私は、かねてより、イギリス社会の凝集性(安定性)はその大昔から受け継がれてきた、コモンローの存在によって担保されていると指摘してきたところ、比較的最近、これに加えて、イギリス人の間における同情(sympathy)心の遍在性も指摘するようになっているわけですが、この同情心が、どのような場でどのようにイギリス人に注入されるのかを、今後究明する必要がありそうです。」と記したところだが、私がこれを究明しきる前に、イギリス人の「同情心」が薄れ、社会の凝集性(安定性)が損なわれるに至っちゃった・・「階層」が「階級」化しつつある・・、ということのようだね。
 私のとりあえずの仮説を述べておこう。
 「同情心」の源泉であったところの、イギリスのエリートが備えていた、「中世」における「騎士」性、「近代」以降における「紳士」性・・シリーズ「イギリスと騎士道」参照・・、が失われたためじゃないかな。
 そして、それがどうして失われたのかだけど、エリートが、「騎士/紳士」性を発揮する見返りとして、昔はフランスから有形無形の収奪をするという、また、百年戦争敗退後は植民地から有形無形の収奪をするという、見返りが期待できたところ、戦後、大英帝国が瓦解したために、もはや見返りが期待できなくなったこと、が、エリートの堕落、劣化・・騎士/紳士性の放擲・・をもたらした、ってことじゃないかな。
 そうだとすると、エリートの「同情心」をあてにできなくなったところの、非エリートもまた堕落、劣化するのは必然だ、ということにもなる。
 イギリスは、裸の個人主義社会、すなわち、非人間主義社会へと暗転的変貌を遂げてしまった、というわけだ。
 ゴールディングやバージェスらのイギリス人の気鋭の小説家は、戦後まだそれほど時間が経っていない時に、既に、イギリスがこうなることを予見していた、ということになるのかもしれない。
 こう考えてくると、イギリス・・英国じゃ、必ずしもないよ・・は、出口なしの未曾有の深刻な状況に直面している、と思った方がよさそうだ。」(コラム#4933)
 このような韜晦期間を経て、私が、(文明度を人間主義度と言い換える形で、)初めて、日本文明がアングロサクソン文明の上位にある、すなわち、日本文明は諸文明の頂点である旨を明確に記したのは、下掲のように、コラム#5061(2011.10.19)「過去・現在・未来(続x25)」においてであったようです。
 「「日本文明とアングロサクソン文明」以外の地(含む、できそこないアングロサクソン文明の米国)では、人間に本来備わっている共感能力(=人間主義)が抑圧されてしまっている。
 すなわち、共感能力は、このような地においては、欧米では、主として個人対個人のレベルでしか顕現せず、また、支那では、主として個人対「一族(疑似一族を含む)(一族に属する自分以外の個人を含む)」のレベルでしか顕現しない、と解したらどうだろう。
 かつまた、共感能力は、日本文明の地(すなわち日本)においては、個人対「日本を含むあらゆる社会」のレベルでも顕現するの対し、アングロサクソン文明の地においては、個人対「アングロサクソン文明の地」のレベルでの顕現までにとどまる、と解したらどうだろう。」(コラム#5061)
 私は、下掲のコラム#5065(2011.10.21)「皆さんとディスカッション(続x1356)」で、日、英の順番に書くことで、事実上、文明度が、日>英であることを記しています。(このことを指摘してくれたのは読者のべじたんさんです。)
 「世界各地における人間主義の発現形態について、私の抱いているイメージを再整理して提示しておこう。過激なエスノセントリズムだとぶったたかれそうだが、異論あらば、どしどしどうぞ。
・日本(=人間主義社会)
 :対個人の人間主義→全動植物の個体が対象。
 :対社会の人間主義→世界各地のすべての社会及び自然環境が対象。
・アングロサクソン(=人間主義的社会)
 :対個人の人間主義→全人類が対象。
 :対社会の人間主義→世界各地のアングロサクソン社会のみが対象。
・米国と欧州(=非人間主義社会)
 :対個人の人間主義→全人類が対象。(ただし、つい最近まで、自分の社会の支配的人種ないし支配的階級に属す個人のみが対象)
 :対社会の人間主義→自分の社会のみが対象 (ただし、つい最近まで、自分の社会の支配的人種ないし支配的階級のみが対象)
・支那等(=反人間主義社会)
 :対個人の人間主義→自分の一族(疑似的一族を含む)に属す個人のみが対象。
 :対社会の人間主義→自分の一族(同上)のみが対象。」
(コラム#5065)
 日本文明の至上性については、コラム#5756(2012.10.1)「イギリスにおける7つの革命未満(その6)」の下掲のくだりでも打ち出されています。
 「(あくまでも相対的な話ですが、)日本は、それぞれの時代において、その政府が、おおむね、異常なほどの善政を敷いてきたところの、世界に他に例をみない国であった可能性が高い、ということになるのではないでしょうか。」(コラム#5756)
 私が、必ずしもそうではなかったというのに、コラム#6453(2013.9.15)「啓蒙主義と人間主義(その5)」で、下掲のように、あたかも以前から自分がそう主張してきたかのように、明確に、日>英である、と言い切っているのはご愛嬌です。
 「文明度とは人間主義度である、という考えが示されているのは興味深いものがあります。その含意は、どうやら、イギリス社会の人間主義度=文明度が一番高い、ということのようですが、私は、日本社会の人間主義度=文明度は、それよりも一層高い、とこれまたかねてより、主張してきているところです。」(コラム#6453)
 そして、今度は、更に一歩進めて、コラム#6463(2013.9.20)「啓蒙主義と人間主義(その10)」において、全世界の人間主義化、すなわち、日本文明化の構想を高らかにぶち上げるに至るのです。
 「啓蒙主義・・・プロジェクトの中心は、「感情(sentiment)」の観念<であり、>・・・それは、我々に共通する人間性、及び、我々の共感(sympathy)を覚えることへの本能的欲求、についての生来的理解なの」(前出)であるとすれば、それは日本文明の核心たる人間主義そのものなのであって、イギリス(拡大英国を含む)が本来的に人間主義「的」文明の社会であったとすれば、日本はそれ以上の、本来的に人間主義文明の社会であったからです。
 むしろ、日本こそが、イギリスや仏教国/旧仏教国が、まず人間主義社会へと成熟し、次いでその他の諸国がそうなるのを待ち望んでいるのです。
 なお、・・・欧米(West)を一括りに<すべきではない>のであって、人間主義度で言えば、イギリス(拡大英国を含む)に比べて、欧州諸国/米国は、イギリスとは文明が異なることもあり、現在でも、人間主義度において、大いに遜色がある、と言うべきでしょう。」(コラム#6463)
 更に、畳みかけるように、コラム#6599(2013.11.27)「アングロサクソン・欧州文明対置論(その9)」で、下掲のように、日>英を、視覚的イメージで描写しています。
 「我々としては、拡大英国と米国とを峻別するとともに、イギリス(アングロサクソン)文明と日本文明の比較を踏まえ、日本文明が最も普遍性のある文明であることを明らかにすべきでしょう。
 私の三次元イメージは、高空から俯瞰すれば、個人主義文明たるアングロサクソン文明とそれ以外の全体主義諸文明との中間点に中庸の文明たる日本文明が位置し、地平線から眺めれば、左のなだらかな稜線半ばにアングロサクソン文明、右の急峻な稜線と地平線の接点にそれ以外の全体主義諸文明を従え、山頂に日本文明が鎮座している、というものです。
 これは果たして、漢人がつい最近まで公然と抱いてきたところの、そしてイギリス人がかねてより密かに抱いているところの、それぞれの中華思想顔負けの、一日本人による超中華思想なのでしょうか。」(コラム#6599)
 [日本文明の至上性を初めて認めた外国:支那]
 さて、これはやはり喜ぶべきことだと思いますが、太田コラム読者ならご存知のように、中共がこの日本文明の至上性を初めて認めた外国になっています。
 具体的には、中共当局と中共国民中の少なくとも富裕層の大半が認めている、と私は見ているのであり、これはほぼ事実、と断定してよいでしょう。
 この「発見」に至る私の軌跡も簡単に振り返っておきます。
 下掲は、コラム#2285(2008.1.6)「1999年のマレーシア公式訪問記(その1)」に転載されたところの、私の1999年3月のマレーシア公式訪問の記録です。
 「<シンガポール知識人の>キショール・<マフバニ>(Kishore Mahbubani)「アジアの再生」という論文・・・の中で、・・・まず、「文化に対する自信は発展の必要条件である」と指摘。英国の植民地だったインドをはじめアジア諸国では欧州の文化の優越性が民衆の心の底に刷り込まれていたとし、「日露戦争でロシアが日本に敗れて初めてインドの独立という考えが生まれた」とのインドのネール初代首相の言葉を引き、「20世紀初頭の日本の成功がなければアジアの発展はさらに遅れていただろう。日本がアジアの勃興(ぼっこう)を呼び起こした」と論じた。韓国の場合も、日本というモデルがなければこれほど早く発展できなかったと指摘。中国も、日本の影響で発展できた香港、台湾、シンガポールという存在がなければ、改革開放路線に踏み出さなかったとし、「日本がアジア・太平洋に投げ入れた小石の波紋は中国にも恩恵をもたらした」「(日本を歴史問題で批判する)中国でさえも日本に感謝すべきだ」などという見解を示した。」(コラム#2285)
 このマフバニの本は、出発の少し前に新宿南口の紀伊国屋で買い求め、マレーシアに向けて出張する行きの機内で読んだことを覚えています。
 この時、初めて私の中で、中共の改革開放というのは、日本型経済体制の継受ではないか、という考えが芽生えた可能性が高い、と思うのです。
 私が、トウ小平が始めた中共の経済体制改革(改革開放)を、日本型経済体制の継受であると断定したのは、下掲のように、「中共の資本主義化の軌跡」シリーズ、とりわけ、その中のコラム#6196(2013.5.9)「中共の資本主義化の軌跡(その3)」においてです。
 「1985年3月28日に、トウが、自民党の代表団と会った時に、今中共で起こっていることは、毛沢東が行った中共成立に至る第一革命に対するところの、「第二革命(second revolution)」である、と初めて言明し、以後、これが中共当局の公式用語として確立するに至った・・・ことは、極めて重要であると考えます。
 いくらなんでも、トウは、毛の共産主義革命に対するに自分の資本主義革命或いはファシズム革命、というニュアンスで「革命」という言葉を使ったのではないでしょう。
 私は、日本型経済体制を一種の社会主義と評価していた彼が、日本型経済体制化、というニュアンスでこの「革命」という言葉を使ったと思うのです。」(コラム#6196)
 しかし、これを中共による支那の人間主義化、すなわち支那文明の日本文明化、という壮大な試みの一環であるという断定をすることはその時点では躊躇していました。
 中共の日本文明の継受は、日本型経済体制の継受だけにとどまらないのではないか、という考えは、既に、下掲のように、コラム#1210(2006.4.30)「古の枢軸の時代に学ぶ中共(その2)」の中で示唆していたのですが・・。
 「現在新イデオロギー構築に取り組んでいる中共当局が、儒教と仏教を両輪として策定された日本の十七条憲法や教育勅語をこっそり勉強している姿を想像<してい>る」(コラム#1210)
 大きく進展を見せたのが、昨年(2013年)の秋であり、コラム#6528(2013.10.23)「皆さんとディスカッション(続x2060)」において、私は、下掲のように記したところです。
 「中共当局は、中共の「脅威」を日本に突きつけることによって、ハトを装ったタカの野田からタカを装ったハトの安倍に政権交代をさせるとともに、踏み絵を突き付けられた安倍に野田以上のタカ的政策をとらざるをえなくさせることによって、その勢いで日本を米国から「独立」させ、東アジアにおける自由民主主義諸国の結束をガタガタにすることで、今後彼らが直面するところの、政権喪失の危機の際の米国の介入を回避しようとしている、とボクは見てる。
 (鳩山の「独立」路線に中共当局が欣喜雀躍したことを思い出せ。)
 いや、彼らは、自分達の政権喪失は早晩避けられないと考え、その際、支那を、米国ではなく、「独立」日本に「後見」させようという魂胆じゃないか、とさえ深読みしたい気がボクにはあるんだな。
 人民網から窺えるのは、中共当局が、米国の政治経済体制も米国人そのものも全く信用していないのに対し、日本の政治経済体制・・能動的属国である点を除く・・も日本人そのものも高く評価していることだ。
 また、連中は、日本と米国の間には根本的に相容れないものがあるとも見ているはずだ。
 「日支戦争をどう見るか」シリーズ等で明らかにしたところの、日米戦争に至る経緯や、その後日本が米国の属国となって推移してきた戦後を、戦後日本人とは比較にならないくらい深く研究してる中共当局なんだから、そう見ていないはずはないってこと。」(コラム#6528)
 そして昨年(2013年)の暮れになって、私は、中共の文化体制改革について、下掲のような考えをコラム#6655(2013.12.25)「『チャイナ・ナイン』を読む(その3)」で打ち出します。
 「胡錦濤・習近平らが意図しているのは、・・・<すこぶる>良心的かつ抜本的な改革である可能性が高いのではないか、と私自身は考えます。
 つまり、彼らは、「文化体制改革」を、「国際敵対勢力」、すなわち「西側」の思想文化に対する戦いと定義しているわけですが、私は、遠藤とは異なり、この「西側」に日本は入っていないどころか、彼らは、既に中共の若者達に浸透しているところの、日本の思想文化を高く評価し、支那人を人間主義化、すなわち、日本人化することによって、「西側」と戦い、勝利しようとしているのではないか、と考えるのです。
 そもそも、彼らは、支那の近現代史の悲劇は、キリスト教そのもの、及びキリスト教に由来するところの、(スターリン主義を含む、)民主主義独裁の諸イデオロギーや市場原理主義のイデオロギー、及び、これとは対蹠的なイギリス由来の個人主義、すなわち、欧州及びアングロサクソンという意味での「西側」の思想文化が、支那人の生来の阿Q性と結びつくことで引き起こしたものである、という認識を抱くに至ったからこそ、このような考えに至ったのではないかとさえ、私は思い始めています。」(コラム#6655)
 そして、この文化体制改革は、政治体制改革の前提であり、総じて、支那の日本型政治経済体制の継受による日本化を目指すものである、との私の見解を、下掲のように、太田述正コラム#6657(2013.12.26)「『チャイナ・ナイン』を読む(その4)」で記すのです。
 「<胡錦濤、>呉邦国<と温家宝>・・・の3人は、・・・先の大戦勃発直前の時点以降の、自由選挙を前提にしつつ、政治を安定的に推移させ、かつ社会を調和的に維持・発展させてきたところの、日本の大政翼賛会体制・・戦後の自社二大政党体制(55年体制)も、つい最近までの多党分立もその亜種に過ぎない・・に倣った政治体制の中共、と言うより支那、での樹立を目指しているのであり、これが彼らの「政治体制改革」なのである、と見たらどうか、と私は考えるに至っているのです。
 この「政治体制改革」実現のための前提、ないしは手段が、「文化体制改革」、すなわち人民の人間主義化、であると見たらどうか、ということです。」(コラム#6657)
 [終わりに(6 終わりに)]
 昨年(2013年)は、日本文明の至上性を打ち出し、先の大戦(日支戦争/太平洋戦争)の解明が概ねでき、更に、これらを受ける形で、トウ小平以降の中共当局の対日戦略が日本型政治経済体制の継受、すなわち支那の日本化であること(その関連での習近平政権の対日領土攻勢の解明を含む)を発見した、という3つ(ないし4つ)の大きな進展が太田コラムでなされたところの、自分でそれを言っちゃあおしまいみたいな話ですが、画期的な年であったと思います。
 この背景に、多数の太田コラム読者の意識的無意識的貢献の累積があったところへ、私の生活/研究環境が整備されたことがあったと思います。
 改めて、これら太田コラム読者の諸氏に感謝申し上げます。
 で、以下は、「「アーロン収容所」再読」シリーズとしての締め括りですが、会田雄次は、三高、京都大学文学部史学科卒業であり、1942年に同大文学部副手、及び龍谷大学予科講師となり、翌43年に応召され歩兵一等兵として従軍した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E9%9B%84%E6%AC%A1
ところ、日本文明の至上性を素朴かつ直観的に事揚げしていた京都学派の強い影響は受けつつも、専門がルネッサンス時代であることもあり、欧州の文献研究を通じて欧州人のイギリスコンプクレックスに無意識のうちに感染していたのではないか、というのが私の想像です。
 恐らく、彼は、ビルマ人やインド人のイギリス人への拝跪姿勢にも瞠目させられていたでしょうしね。
 その結果が、イギリス(アングロサクソン)文明批判と称揚とが並存する奇書、『アーロン収容所』であったのでは、ということです。
(完)
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        –皆さんとディスカッション(続x2154)–
<太田>
 福岡オフ会に伴い、本日の記事の紹介は、明日回しにします。
<HS>
 『「里山資本主義」のススメ』を読むシリーズ、毎日楽しく読ませてもらってます。
 コラム#6703の太田さんのコメント(「人口の波」ならぬ「人口の加速度的減少」をどう食い止めるか)ですが、藻谷浩介の前著「デフレの正体」に幾つか解決策がありました。
 シリーズが終わる頃くらいに、また献本させて下さい。
 日本でオーストリアのような、林業活性化をするのは(敗戦で林野庁に移った御料林を返還して)戦前のように天皇家に管理してもらうのが一番な気がします。(天皇家の財布p110-118)
 何と言っても林業に携わる人に誇りを持って仕事をしてもらえますしね。
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 一人題名のない音楽会です。
 別のシリーズの途中ですが、久しぶりに、私の最も好きな歌手の倍賞千恵子を取り上げます。
 しばらく前に、「小犬のプルー」がリンク切れになっていましたが、1月の中旬には以下の曲は全て聴けたというのに、その後、櫛の歯が抜けたようになってしまいました。
 残念なので、「リンク切れ」と表示してそのままにしてあります。
 他の歌手によるカバーがアップされている場合はそのURLを付けましたが、そういったものを通して想像力を大いに働かせていただければ幸いです。
 倍賞のシリーズを前倒しすることにしたのは、リンク切れが更に増えるのを懸念したからです。
遙かなる山の呼び声
http://www.youtube.com/watch?v=gg9e4Aga9IU
椰子の実 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=H58nV1VEOQM
旅愁(コラム#6692) 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=dWaxqQEgPNQ
妹よ リンク切れ 曲そのものがイマイチ。
http://www.youtube.com/watch?v=45db7cw8Mbs
悲しい旅
http://www.youtube.com/watch?v=oDhilC4KCw4
心の窓に灯を リンク切れ 素晴らしい!(若く美しい彼女の映画の映像もよかったー。)
http://www.youtube.com/watch?v=mcehSw01Sh8
< http://www.youtube.com/watch?v=JB6GodmEmnQ 芹洋子>
四季の歌(コラム#5405) リンク切れ
http://www.youtube.com/watch?v=4nuOAzfXrvI
荒城の月 リンク切れ(私の任地の仙台城跡の映像が懐かしかった。)
http://www.youtube.com/watch?v=nje3SbCKYss
< http://www.youtube.com/watch?v=iE9Sl-pKaEo 鮫島有美子>
バルセロナの恋 素晴らしい! こんな曲があったなんて・・。倍賞の美熟女ぶりを堪能されたい。
http://www.youtube.com/watch?v=xj5sggGyuZ4
土湯賛歌(注)
http://www.youtube.com/watch?v=94H4FiIOXOg
(注)「福島県福島市・・・土湯温泉町にある温泉。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89
 仙台防衛施設局在勤中、局の総務課の慰安旅行に付き合って一泊した想い出の温泉。
舟唄(コラム#6688) ミスマッチかな。
http://www.youtube.com/watch?v=mEXYQQTaZHg
学生時代(コラム#5461) 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=wsNpKGrhEVc
花をたずねて 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=BnUtYdFa-iM
あなたしか見えない(Don’t Cry Out Loud) 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=NkKFWZk7QYo
冬の夜 ~1:27 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=bDo_l71V4rE

http://www.youtube.com/watch?v=REYV_W_joTM
小雨の夜の囁き 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=QYnTP1dm_hs
お嬢さん 素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=Q8Rkp3Us2-w
(続く)
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太田述正コラム#6717(2014.1.26)
<2014.1.25福岡オフ会次第(その1)>
→非公開