太田述正コラム#0213(2003.12.21)
<マクナマラの悔恨(その3)>
(「その2」は2003.6.6付けだったので、随分時間がたってしまいました。恐縮ですが、私のホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄で「その1」の末尾と「その2」全文をお読みください。)
結論的に、マクナマラは、確かにベトナム戦争では自分自身を含め、当時の米国のリーダー達は多くの過ちを犯したかもしれないが、それは当時米国が国防費に金を投入しすぎており、国家安全保障を効用とすれば、国防費はもはや限界効用逓減フェーズに入っていたということなのだ、と分かったようで分からないことを述べた上で、経済援助費はまだ国家安全保障の観点から限界効用逓増の段階だったとし、自分のベトナム戦争最中での国防長官辞任と世界銀行総裁への華麗な転進を合理化しています(http://archives.obs-us.com/obs/english/books/mcnamara/contents.htm前掲)。
要するに、1995年著書(In Retrospect: The Tragedy and Lessons of Vietnam, Random House, Inc., 1995前掲)の時点では、マクナマラは全く反省の色を見せていないと言うべきでしょう。
ところが、その8年後の84歳となったマクナマラはまるで人が変わってしまったように見えます。
彼は記録映画The Fog of War(前掲)の中でのインタビュー場面で、率直に「私は数々の過ちを犯した」が、とりわけ責任ある立場において犯した過ちは、国の行く末にかかわるだけに重大だとした上で、おもむろに語り始めます。
日米戦争当時、マクナマラはカーチス・ルメイ将軍(http://www.af.mil/bios/bio_6178.shtml。5月31日アクセス)の参謀の一人として、日本の都市住民の大量焼殺を最大の目的とした焼夷弾爆撃をより効率的に実施する方法の研究に携わりました。その功績から、マクナマラは数々の勲章をもらうのですが、彼は、もし米国が日米戦争に敗れていたら、ルメイ将軍とともに戦争犯罪人として処刑されていただろうと自責の念を吐露します。
そして、「日本を焼き尽くしながら、更に原子爆弾を投下する必要がどうしてあったのか。日本の67もの都市の住民の5割から9割を殺した上に原子爆弾を投下するというのは、やりすぎ(not proportional)というものだ」と当時の米国政府を激しく批判します。
また、ベトナム戦争の時には、マクナマラははるかに責任ある国防長官という職にあったわけですが、自身の最大の過ちとして、「ベトナムの人々の気持ちを忖度できなかったこと」をあげ、「彼らは我々をフランスの後釜の植民地主義者としか見なかった。我々は冷戦を戦っているつもりだったが、彼らにとっては内戦以外のなにものでもなかった」と述べています。
そして「Rolling Thunder作戦(注)の時には、第二次世界大戦の時の西欧に投下された爆弾の2??3倍の爆弾が投下された」と続けます。
(注) 北爆。北ベトナムに対して米国が1965年2月から1968年10月まで実施した爆撃(http://www.fas.org/man/dod-101/ops/rolling_thunder.htm。12月21日アクセス)。
しかし、日本に対する戦略爆撃についてとはうって変わり、マクナマラは、この北爆を含め、ベトナム戦争の時に米国がベトナムにもたらした人命等の巨大な被害については、「善であるためには、我々は時に悪を犯さなければならない」と答えるにとどまっています。
(以上、特に断っていない限り、
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,962034,00.html前掲、による)
このインタビューを見る限り、マクナマラはまだまだ反省が足らない、と批判するのが米国の著名なジャーナリストのフレッド・カプランです。
ようやく「合理性(rationality)は我々を救ってはくれない」ことに気がついたかと、かつての傲慢な数理的意思決定万能論者マクナマラの「成長」を皮肉った上で、カプランはまず、マクナマラはキューバ危機の時の自分を美化していると指摘します。
すなわち、マクナマラは、ケネディ大統領が米ソ戦争を回避しようとする努力を助けた、と語っているのですが、13日間にわたった危機の三日目からは、マクナマラはキューバのソ連のミサイル基地の爆撃と、その後のキューバ侵攻を主張し続けたことが、最近開示された当時のテープの中のやりとりから明らかになったというのです。しかも、ケネディが最終段階で、ソ連がキューバのミサイルを撤去する代わり、米国はトルコの米国のミサイルを撤去することでフルシチョフと手を打とうした時、これにマクナマラが強硬に反対したこともこのテープで明らかになったところ、これについてもインタビューではマクナマラはあえて沈黙している、というわけです。
次に、ベトナム戦争についてもマクナマラはウソをついている、とカプランは畳みかけます。
1964年8月のトンキン湾事件・・米駆逐艦マドックスが北ベトナムから魚雷攻撃を受けたとされ、それを口実に米国は翌年から北爆を開始した・・について、マクナマラは当時はそれが本当のことだと信じていたとインタビューでは語っているのですが、最近上梓されたダニエル・エルズバーグ氏の回顧録によれば、わずか数時間後にマドックスは、あれは勘違いだったと連絡していたことが明らかになったというのです。
(以上、http://slate.msn.com/id/2092916/(12月21日アクセス)による。)
このように、マクナマラがキューバ危機とベトナム戦争の時の自らの過ちをいまだに隠そうとしたり、過ちを認めつつもそれを弁護しようとしているのに、日本に対する戦略爆撃については、単に一士官としてかかわっただけなのに、深い自責の念に苛まれ、自らがかかわっていない、日本に対する原爆投下まで激しく非難しているのはどうしてなのでしょうか。
私には分かります。
マクナマラは、キューバ危機の時のキューバやソ連、そしてベトナム戦争の時の北ベトナム(ベトコンを含む)ないしその背後にいたソ連や中共は全体主義勢力であり、これら勢力との戦争は「正しい」(just)戦争だが、戦前の日本は民主国家であり、しかも米国はその日本を戦争に追い込んだのだから「太平洋戦争」は、「正しくない」(unjust)だった、という認識に到達した、ということでしょう。
史上最年少にしてハーバードビジネススクールの教授となり、弱冠41歳にして国防長官となったマクナマラは、自他共に許す稀代の大秀才でしたが、80歳を超えた今、ようやく賢人の域に達したと言えるのではないでしょうか。
願うらくは、米国人一般、そして何よりも日本人一般がこのマクナマラの遺言とでもいうべき告白に真剣に耳を傾けられんことを。
最後に、マクナマラが著書(前掲)の最後に引用している英国の詩人T.S.エリオット(Elliot。ノーベル文学賞受賞。ミュージカルのキャッツは彼の詩をそのままミュージカルに仕立てたもの)の詩「リトル ギディング(Little Gidding)」からの一節をそのままここに掲げて、本稿を終えることにしましょう。
「我々は探索を決してやめてはならない。その探索の最終目的は、出発地点に到着することだ。そうして初めてそこがいかなる場所であったかを我々は理解することができるだろう。(We shall not cease from exploration And the end of all our exploring Will be to arrive where we started And know the place for the first time.)」
(完)
このマクナマラのシリーズと昨日、読んだ2006年12月末のコラム番号を忘れたのですが、やはり、キューバ危機のことを扱ったコラムで、映画13デイズ(題が少々不安。)を思い出しました。キューバ危機が、アメリカそれも、ケネディ自身の判断ミスからもだったとは…。総て、物事は的確に判断されるかで、決定されるのですね。このように、昔の太田さんのコラムを読むのは、勉強になります。これからも、ワクワクします。