太田述正コラム#6571(2013.11.13)
<『史上最大のボロ儲け』を読む(その1)>(2014.2.28公開)
1 始めに
 世界金融危機を糾弾した映画『インサイド・ジョブ』を贈呈された読者から、やはり提供を受けた、グレゴリー・ザッカーマン(Gregory Zuckerman)著の『史上最大のボロ儲け』(2010年。原著The Greatest Trade Ever: The Behind-the-Scenes Story of How John Paulson Defied Wall Street and Made Financial History(2010))の要所要所を紹介し、私のコメントを付したいと思います。
 この本の事実上の主人公であるジョン・ポールソン(John Paulson。元米財務長官のヘンリー・ポールソンとは全くの別人)は、この世界金融危機で大儲けをした人物です。
 彼は、ニューヨーク育ちで、ニューヨーク大とハーヴァード・ビジネススクールを優等で卒業、研鑽時代を経て、1994年にヘッジファンド会社を設立した、という人物です。(14~15)
 また、著者のザッカーマンは、1988年にブランダイス大を優等で卒業し、ニューヨーク・ポスト紙を経て、現在、WSJ紙のニューヨーク支局勤務、という人物です。
http://www.anderson.ucla.edu/gerald-loeb-awards/gregory-zuckerman-x17835
2 史上最大のボロ儲け
 (1)ポールソンの生い立ち
 「ポールソンの曽祖父パーシー・ソーン・パウルセンはノルウェー人で、1890年代後半にオランダ商船の船長をしていた。ある年の夏、この商船が・・・エクアドル・・・沖で座礁してしまった。・・・港町に数週間滞在するうちに、・・・エクアドル駐在フランス大使の娘と出会って恋に落ち、その地にとどまる決心をする。1924年には、孫のアルフレッド<(ジョン・ポールソンの父親)>が生まれた。・・・
 孤児となった<アルフレッドとその兄弟達>は<、義母、及び叔母の世話になったが、>アルフレッドは16歳になると、一つ年下の弟アルバートとともに叔母の家を飛び出し、・・・ロサンゼルスに移り住んだ。そこで2年間その日暮らしの生活をした後、軍隊に入隊した。そして第二次世界大戦でイタリアに出征して負傷すると、・・・ヨーロッパにそのまましばらくとどまった。
 戦後アルフレッドは、姓を英語風にポールソンと改めてロサンゼルスに戻り、UCLAに入学する。そして・・・心理学を専攻していたジャクリーン・ボクラン<と恋愛結婚した。>
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、成功のチャンスを求めてリトアニアやルーマニアから逃れてきたユダヤ人が、ニューヨーク・・・に住み着いた。ジャクリーンの祖父母もそんなユダヤ移民の一家族だった。・・・
 世界大恐慌の際に<ジャクリーンの父親の>アーサーが職を失うと、・・・一家は1940年代の初頭に、・・・ロサンゼルスに移り住んだ。そこで、・・・ジャクリーンがUCLAに入学したというわけである。
 アルフレッドはジャクリーンと結婚した後、アーサー・アンダーセン会計事務所に就職し、そのニューヨーク支店で働くことになった。・・・
 夫婦には4人の子供がいたが、ジョン・ポールソンはその三番目だった。・・・<やがて、>ジャクリーンの親も<近く>に移り住<んだ。>・・・
 1961年のある日、祖父のアーサー・ボクランが訪ねてきて、ポールソンにチャームズという飴を一袋くれた。翌日ポールソンは、その飴を幼稚園の同級生たちに売り歩き、急いで家に帰ると祖父にその話をした。・・・祖父はその売り上げを数えた後、ポールソンに地元のスーパーマーケットに連れていき、一袋8セントの飴をどこで買えばいいのか教えてやった。こうして数や計算に重要な意味があることを教え込もうとしたのだ。ポールソンは袋を破り、中に入っていた飴を一つ5セントで売った。・・・こうしてポールソンは、放課後にさまざまな方法で金を稼ぎ、貯金を増やしていった。
 「貯金箱をいっぱいにするのが目標だった。それに夢中だったね。働いて金を儲けるのが面白かったんだ」とポールソンは言う。・・・
 ジャクリーンは子供たちをユダヤ教徒として育てた。長女は後にイスラエルに移住している。アルフレッドは無神論者だったが、家族と一緒に礼拝堂<(シナゴーグ)>に通っていた。そのためポールソンは、12歳になるまで父親がユダヤ人でないことを知らなかった。」(30~33)
→私は、「<米国の>金融界の重鎮にユダヤ系が多いことにも改めて驚かされます。欧米諸国の反ユダヤ主義のおかげでキリスト教的には「賤業」たるに金融業等に特化せざるをえなかった期間が長かったという痛ましい歴史をいまだにユダヤ人が引きずっているという感があります。」(コラム#6565)と記したばかりですが、まさにここに、「ユダヤ人が・・・金融業等に特化せざるをえなかった・・・歴史を」どのような形で「引きずっている」かが例示されています。
 ポールソンは、父方が、故郷を捨て、リスクを追求して、(いささか遠回りをしつつも、)米国にやってきたという典型的米国人であり、母方が典型的ユダヤ人であったところ、彼自身は・・ユダヤ人の母を持つ者はユダヤ人である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA
上、彼を母親が敬虔なるユダヤ教徒として育て上げた・・典型的ユダヤ人たるリスク追求者として人となったと言えるでしょう。
 ポールソンは、迫害下で生きて行く心構えとそれに適したユダヤ人の「生業」観念を母親から恐らく叩きこまれていたと思われるのであって、だからこそ、彼には、早くも幼稚園児の時に、ユダヤ人たる祖父からのプレゼントを元手に商売をするという発想が生まれたのでしょうし、その「見どころのある」ポールソンに商売の具体的手ほどきをこの祖父が施したのも、ごく自然な行為であったことでしょう。
 こういったことは、日本人にあってはもとより、ユダヤ系でない一般の米国人にとっても、この本の中で言及されるウォーレン・バフェット(注1)(コラム#1575、2854、3227、4211、5081)・・子供のころにチューインガムで金儲けをした(32)・・のような例外を除いて、珍しいのではないでしょうか。(太田)
 
 (注1)Warren Edward Buffett。1930年~。「<米>国の著名な投資家、経営者・・・ペンシルベニア大学ウォートン・スクール(中退)<等を経て>コロンビア大学ビジネススクール<卒。>」
 「祖父からコーラを6本25セントで購入し、それを1本5セントで売った」ということ
http://en.wikipedia.org/wiki/Warren_Buffett でも同様)なので、チューインガム云々というのは、ザッカーマンの勘違いではないか。
 「アメリカ人には以前から、相反する二つの傾向があった。借金に対する本能的な嫌悪、それに住宅所有へのあこがれである。1758年、ベンジャミン・フランクリン<(コラム#49、2890、2901、3327、3640、3654、3706、3894、4308、6068、6176)>はこう書いている。「2番目に悪い行いは嘘をつくことだ。もっとも悪い行いとは借金をすることである」世界大恐慌の際には、借金が危険なものであることを痛感させられた。巨額の債務を背負った企業が次々と倒産し、人々を震え上がらせたのだ。そのため、1950年代には、アメリカの全世帯の半分以上が住宅ローンを組んでおらず、ほぼ半数が一切借金をしていなかった。住宅ローンを組んでいた人は、返済が終わるとパーティを開いてお祝いし、友人や家族の前でローン関係の書類を燃やしたという。こうした習慣は1970年代まで続いた。・・・
 20世紀後半までは、住宅や自動車など高価な大型商品以外のものを借金して買うことなどほとんどなかった。住宅ローンを組むにしても、少なくとも20パーセントの頭金が必要だった。そもそも、ある程度家計が安定していなければ住宅ローンを組むことさえできなかった。
 ところが金融革命が起き、広告業界が発展し、経済が成長するにつれ、借金に対する考え方は大きく変化していった。」(61)
→フランクリンの言なるものについては、裏付けが取れませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3
http://en.wikipedia.org/wiki/Benjamin_Franklin
 ザッカーマンが描くところの、つい最近までの米国人の借金への態度は特段珍しいものではなく、日本人のそれと同じ
http://chronicle.augusta.com/stories/2005/08/30/fin_5268.shtml
ですが、日本人の場合、米国人のようにその態度が変化しなかったわけです。
 ただし、ザッカーマンの描写は、この本に典拠が付いていない・・原著には付いている可能性があるが、訳者はその旨を断っていない・・こともあり、余り信用ができません。
 例えば、米国人に伝統的に「住宅所有へのあこがれ」があったにしては、その持ち家率は65%であり、英国の69%、日本の60%と比べて大差がありません。西欧の主要国(フランス55%、ドイツ42%)に比べると高いですが・・。(但し、イタリアは82%。)
http://sekaikeizai.blogspot.jp/2013/07/blog-post_22.html
(太田)
(続く)