太田述正コラム#6593(2013.11.24)
<アングロサクソン・欧州文明対置論(その6)>(2014.3.11公開)
(6)英国対欧州:本国
「ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)<(コラム#138、380、2502、2826、6453)>は、「国の仲間達が、それが人間なのか馬なのか知らなくても、カトリック野郎(Popery)に対して死ぬまで戦うことを厭わなかった」ことについて語った。
反カトリシズムは特段教義的なものではなかった。
<カトリック教会が唱えているがプロテスタント諸派が否定しているところの、>聖職者独身制や死者の魂のための祈祷、を信じるかどうかなどについて、さしたる関心のある者は殆んどいなかった。
それは、むしろ、地政学的なものだった。
英語をしゃべる人々は、この<16から18世紀にかけての>3世紀の大部分、スペインとフランス、或いはこの双方と戦争状態にあった。
スチュアート朝の権威ある歴史家であるJ・P・ケニヨン(Kenyon)<(注12)>は、それを、彼がそう書いていた頃に最高潮に達していたところの、冷戦の雰囲気に準えた。
(注12)John Philipps Kenyon。1927~96年。17世紀イギリスのイギリス人歴史家、SF評論家。英シェフィールド大卒、ケンブリッジ博士。ケンブリッジ大フェロー、英ハル大、及びセンド・アンドリュース大教授を経て、米カンサス大教授。ついに望んでいたオックスフォード大教授に就任できなかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Philipps_Kenyon
欧米における共産主義者達が、そのうち最も愛国的な者でさえ、外国勢力の潜在的な手先(agents)と見られ、主流の社会主義者達でさえ疑いの念が抱かれたのと全く同じように、17世紀の<イギリスの>カトリック教徒達は、第五列として恐れられ、その諸典礼や諸慣行が過度に「ローマ的(Romish)」であるように映ったところの、高教会派(High Church)の英国教<(注13)>徒達でさえもが信頼できないとみなされた。
(注13)「教会の権威・支配・儀式を重んずる英国国教会の一派」
http://ejje.weblio.jp/content/High+Church
宗教的信条とは切り離された形での、国民的アイデンティティとしてのプロテスタンティズムという観念は、今や北アイルランドの一部においてしか生き残ってはいない。
しかし、それは、かつては英国好きに共通していた観念なのだ。・・・
彼らの頭の中では、プロテスタンティズムは、その構成諸要素へと溶解<して分離>することができないところの、自由と財産とともに、<渾然一体となって>一つの合金を形成していたのだ。
そして、ここに殆んど奇跡的なものが存したのだ。
すなわち、これらは、宗教的慣行が廃れた時に至るまで耐えたところの、独特な個人主義的文化を創造する結果になったのだ。
→個人主義(ないし資本主義)は、イギリスにおいて、英国教成立以前から存在していたのであり、ここは間違いです。(太田)
アダムスとジェファーソンは、(<支配的宗派の下で少数派の諸宗派を認める、宗教的>寛容とは対蹠的であるところの、)真の宗教の自由に立脚した世界で最初の国家を率いた。
セクト主義(sectarianism)の痙攣の中から、逆説的に、多元的共存(pluralism)が出来したのだ。
そして、それは、ひとたび出来するや、持ちこたえた。
→米国における宗教の自由とは、基本的に、(キリスト教とは言ってもつい最近まではカトリシズムは排除の対象であったところ、私見では、)原理主義的キリスト教かリベラル・キリスト教、という土俵の上でのキリスト教諸宗派の宗教の自由に過ぎないのに対し、イギリスにおける宗教的寛容は、基本的に、英国教という支配的宗派の傘の下で、(16世紀からつい最近まではカトリシズムは排除の対象でであったところ、私見では、)最初から、キリスト教の枠を超えた信条の自由、すなわち、自然宗教や無宗教の自由を包含したものであり、このようなハンナンの叙述には違和感があります。(太田)
驚嘆したトックヴィルは、「いかなる<イギリス人たる>プロテスタントとも同様に、イギリス人たるカトリック教徒で自分の国の自由の諸制度に高い価値を置かない者に出会ったことがない」と記している。」(C)
→ここでどうしてイギリス人の話になるのかよく分かりません。
ハンナンの頭が整理されていない印象を持ちます。(太田)
「<ハンティントンの「欧米(West)」についての>定義は、欧米の軍事的諸構造とかなり密接な相関関係がある。
しかし、これらの諸構造は、現在の形態としては、最近のものだ。
現在NATOに入っているいくつかの諸国は、そう遠くない昔に、ヒットラーかスターリンかその双方と同盟関係にあった<ことを想起して欲しい>。
→そんなことを言ったら、英米だってスターリンと同盟関係にあったではありませんか。(太田)
実際、英語圏の世界の外においては、代表政府と法の下の自由の多かれ少なかれ継続的歴史を持つ諸国の一覧は、誰もが認めたがらないけれど、短いのであって、スイス、オランダ、そして北欧諸国<くらい>だ。・・・
→これらの諸国は最初からそうだったとなると、それと同列とは行かないけれど、「そう遠くない昔」からであれば、日本だってこの中に入ります。(太田)
ポルトガル、スペイン、そしてギリシャの全政治的階級は、彼らの少年時代を独裁制の下で送った。
<フランスの>ジャック・シラク(Jacques Chirac)と<ドイツの>アンジェラ・メルケル(Angela Merkel)だってそうだ。
→毎度お馴染みの話を繰り返しますが、日本は、ナチスドイツやナチスドイツによる占領ないし事実上の占領を経験したフランスとは違って、先の大戦中にも自由民主主義が維持されたところです。(太田)
この地球上で平和的な憲法的進化がいかに稀であるか、そして英語圏の外ではなお一層いかに稀であるかを我々は忘れている。
→間違いなく、日本はこの稀な側に属しています。
過去の縄文・弥生モードの変遷は、いつも、おおむね平和裏に行われたところです。(太田)
イデオロギーの国境線は物理的な国境線よりもすばやく変動する。
1945年以降、欧州の諸国の一団が欧米的諸価値を抱懐したし、1989年以降にはもう一つの一団がそうした。
しかし、この文脈の中で、我々が「欧米の諸価値」<という言葉>を用いる時、我々は礼儀正しいのだ。
我々が真に意味するところのものは、これらの諸国は、英米の政治システムの特徴的諸様相を採用したのだ、ということなのだ。・・・
(続く)
アングロサクソン・欧州文明対置論(その6)
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