太田述正コラム#6631(2013.12.13)
<日本の暴力団(その8)>(2014.3.30公開)
「建設業者と暴力団が金銭面で結びつく形には「捌き」とか「面倒を見る」とかがあります。
「捌き」は土木建設業者が工事ごとに組関係者にお金を支払って、土木建設工事に伴って生じる他の組関係者らの妨害等を防ぐ目的で、近隣対策等をしてもらうことをいいます。
これに対し、「面倒を見る」というのは「捌き」とは異なり、組関係者に後ろ盾になってもらうことで、トラブルを未然に防止したり、実際にトラブルが起きたときに解決を図ってもらったりするものです。・・・
ふつうの人はいくら暴力団から文句をつけられようと、脅されようと、お金の関係を持つべきではありません。お金を払っても、貸しても、もらってもダメなのです。・・・
もし暴力団に会うことになったら、・・・音声記録や・・・録画撮りもいいでしょう。・・・警察は捜査のプロとはいっても、そのレベルは予想外に低く、被害者側が逆に手助けしてやる必要があるのです。
もちろん安全のために必要と判断できるなら、警察に身辺警護を頼むべきです。・・・
暴力団と対決しようとするときには、警察や暴追センターも使う、日本弁護士連合会の民事介入暴力対策委員会の弁護士にも応援を頼むなど、堂々と旗幟を鮮明にして、公然と大っぴらに戦うべきです。メディア<の>取材<は>・・・受けた方がいいでしょう。」(94~98)
→「警察は捜査のプロとはいっても、そのレベルは予想外に低<い>」かどうかは、幸か不幸か余り警察と関わりになったことがないので私には分かりませんが、溝口は弁護士にはそれなりの信頼を寄せているところ、法律・判例の知識や事実認定に関してプロであるはずの弁護士や裁判官の「レベル<が>予想外に低<い>」ことを私がこれまで何度か指摘してきたことを思い出し、皆さん、争訟の当事者になった時は、裁判官は基本的に選べないけれど、弁護士は慎重の上にも慎重を期して選びましょうね。(太田)
「暴力団にたかる警察官は思いの外に多いのです。・・・
日本の暴対法には、警察が暴力団を生かさず殺さず、微妙にさじ加減できるよう、詰めの甘さを残しています。・・・なまじ、さじ加減するから、暴力団は余計におかしくなり、同時に警察も腐敗するのです。警察と暴力団は持ちつ持たれつの関係にあります。・・・
<他方、>暴排条例は住民や企業の暴排意識をいやおうなく高めました。・・・
こういう意識の高まりの中で「住民対暴力団」という構図はおかしい、「警察対暴力団」が本来の構図ではないかという当然の視点が生まれました。この視点が暴対法の抜本改正、つまり暴力団を違法の存在とする法律の制定に結びついていくはずと私は考えます。・・・
<実は、>暴排条例によって警察官の再就職先が増えてい<ま>す。警察官OBが企業や業界団体の顧問などに抱えてもらいやすくなったのです。」(107、110~112)
→溝口は、暴力団違法化を躊躇する警察のホンネは天下り先の確保にあるのかもしれない、と示唆しているわけです。
その可能性は大でしょう。
私としては、警察に限ったことではありませんが、恩給制度の復活による天下り根絶の必要性を、ここでも改めて強調しておきたいと思います。(太田)
「もともと芸能人と暴力団は同じ根から出た仲間かもしれません。
暴力団もつい先頃までは人気商売でした。ヤクザの世界に「男を売り出す」という言葉があるように、喧嘩が強いとか、男気があるとか、面倒見がいいとか、そういう評判が立つことで世間に知られていくのがヤクザでした。ひとかどのヤクザとして名が通ることで、地場の社長連中はそのヤクザに揉め事などを解決してくれるよう話を持込み、お礼や挨拶のお金を渡してきたわけです。
ヤクザは人に怖がられてナンボですが、同時に一般人、とりわけ事業主などのダンベー(旦那衆、「社長」)に好かれてナンボという業種です。怖がられ、かつ愛嬌があり忠実で、実力者に可愛がられなければなりません。芸能人同様、人気商売の面があるのです。でないと、お金を落としてくれるスポンサーがつきません。
他方、芸能人は人気商売の代表です。・・・人気という定かでないものに翻弄され、生かされもするし、殺されもするのです。
ヤクザも同じです。
押しも押されもしない大親分になっても、敵対する組のために殺されるかもしれません。警察に逮捕され、長期間、服役しなければならないかもしれません。飲酒や覚醒剤、徹夜の賭けごと、それに刺青など、不摂生や不衛生がたたり、大病を患う危険性も一般人よりかなり高いでしょう。
このような意味でヤクザも芸能人も板子一枚、下は地獄なのです。・・・そういう立場なら、・・・どうしても考え方が刹那的になります。・・・
<両者とも、>世間に対して・・・見栄を張らなければならないことも同じですし、・・・自己顕示欲の強さも似ているかもしれません。・・・
こうして少なからず、暴力団と芸能人は共通した傾向や気質を持ちます。両者は話が合うのです。
そういえば、暴力団も芸能人も少年期に「かぶく」<(注13)>ところからスタートしています。歴史的にも同根なのかもしれません。
(注13)「かぶき者になるのは、若党、中間、小者といった武家奉公人が多かった。彼らは武士身分ではなく、武家に雇われて、槍持ち、草履取りなどの雑用をこなす者たちで、その生活は貧しく不安定だった。彼らの多くは合戦の際には足軽や人足として働きつつ、機をみて略奪行為に励み、自由で暴力的な生活を謳歌していたが、戦乱の時代が終わるとともにその居場所を狭められていった。そうした時代の移り変わりがもたらす閉塞感が、彼らを反社会的で刹那的な生き方に駆り立てたという側面があった。かぶき者たちは、一方で乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。・・・、1603年・・・に出雲阿国がかぶき者の風俗を取り入れたかぶき踊りを創めると、たちまち全国的な流行となり、のちの歌舞伎の原型となった。かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していくが、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%81%8D%E8%80%85
というわけで、両者は人間性の深層でつながっています。」(115~118)
→面白いですねえ。
11代目市川海老蔵暴行事件(前出)
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%B5%B7%E8%80%81%E8%94%B5%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6
は、まさに、この、先祖を同じくするところの、無頼漢達と歌舞伎俳優それぞれの末裔の、意図せざる邂逅がもたらした悲喜劇であった、と言えそうです。
ちなみに、「<かねてより>態度や振る舞いに・・・問題があった・・・海老蔵に対する・・・マスコミを使った・・・ネガティブキャンペーンのプロモーションは関東連合OBで音楽プロデューサー・元AV監督の松嶋クロスが取り仕切っていた」ようです。(ウィキペディア上掲)
事件が起こってからの成り行きについては、ちゃんと影の演出家もいたんですねえ。(太田)
(続く)
日本の暴力団(その8)
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