太田述正コラム#6913(2014.5.3)
<戦争の意義?(その6)>(2014.8.18公開)
 (6)戦争と国家の発展
  ア 前パクス英米時代
 「モリスは、ローマ帝国を彼の主要な例として挙げる。
 パクス・ロマーナの前には、既知の世界においては、「失敗諸国家、悪しき海賊達と山賊達、そして鰻上りに増える諸戦争、諸蜂起、そして諸叛乱だらけ」だった。
 ローマ帝国は「ユートピアではなかった」が、その諸征服の後は、「交易が大流行となり」、その臣民達は「ローマがなかった場合に比べてより安全」になった。」(E)
 「文明化過程は不均等なものでもあった。
 暴力は急に増加したり減少したりした。
 <例えば、>400年代のフン族のアッチラ(Attila)から1200年代のチンギス・ハーン(Genghis Khan)に至る1000年間、草原地帯から騎乗の侵攻者達が、より大きく安全な諸社会をより小さくもっと危険な諸社会へと破砕することで、支那から欧州にかけてあらゆる所で平和化の過程を、文字通り、逆行させた。
→モリスの認識は、フン族の西漸が西ローマ帝国滅亡に至るゲルマン人西漸の引き金になった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F#.E3.83.95.E3.83.B3.EF.BC.9D.E5.8C.88.E5.A5.B4.E8.AA.AC
ことだけに当てはまるところの、(非白人たる)遊牧民に対する偏見に満ちたものです。
 その理由は以下の通りです。
 支那の最初の本格的大帝国であった漢が滅びたのは遊牧民の侵攻があったからではありませんし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
その後の、三国時代~隋時代の混乱を収束させ、再び支那に大帝国を打ち立てたのは遊牧民たる鮮卑系の唐でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90
 更にまた、チンギス・ハーンの蒙古は、ユーラシア大陸の人間居住地の過半を統一したのであって、その逆ではありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3
 パクス・モンゴリカ(Pax Mongolica)という言葉があるくらいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AB (太田)
 1600年代になって、ようやく、大きな、定着的諸国家が遊牧民に対する答えを見出した。
 それは、馬上の民をその諸進路において押しとどめるに十分なる火力を提供したところの、諸銃の形をとった。
 これらの諸銃を外洋諸船舶と組み合わせることで、欧州人達は、空前の量の暴力を世界中に輸出した。
 その諸帰結はひどいものだった。
 それと同時に、彼らは、絶後の極めて大きな諸社会を創造するとともに、暴力的死亡率を空前の低さへと減じせしめた。」(K)
 「<このように、>モリスは、築城、青銅製の武器や甲冑、軍事規律、諸二輪戦車(chariot)、部隊諸編成、といった軍事諸テクノロジーの種々の諸革新についても<、その重要性を>強調する。
 支那人達は、諸銃と火薬を発明した。
 ところが、その戦闘における使用を完成させたのは欧州人達だった。
 しかし、それは欧米の<本来的>優位のせいなどではない。
 ここでも、地理がかかる諸革新を否応なしにもたらした(dictate)のだ、とモリスは主張する。
 銃を生み出したのは支那南部だった。
 その地域は、諸砦が多く、だからこそ、砲術にはうってつけだった。
 14世紀と15世紀の欧州にも類似の諸様相が見られた。
 諸砦、起伏ある諸光景、そして諸歩兵が主として活躍したところの諸軍という・・。
 このような環境の下では、諸銃を弄繰り回して小改善をひねり出すことは大いに意味を持ったのであり、1600年までには、極めて多くの諸改善が積み重ねられた結果、これらの欧州の諸軍は、地上最善のものになりつつあった。」(G)
 「<前述の意味での>黄金時代の間、<このように、武器、外洋船舶等を活用して行われたところの、>征服、略奪、そして<被征服民への>課税によって、統治者達は、<益々>富んで行ったわけだが、やがて、<アダム・>スミス(Smith)が、諸市場が極めて大きくなったことに伴い、諸国民の富への新たな道筋が開かれつつあることに気付いた。
 しかし、<諸国が>諸市場に慣れること(taking it)は容易ではなかった(complicated)。
 諸市場は、諸政府がそれに関与せず、人々が取引し物々交換するに任せる場合に、最も良く機能するものなのであると同時に、諸市場は、諸政府が介入し、その諸規則を守らせることで交易を自由に保つ場合にのみ機能するものであるからだ。
 その解決方法は、リヴァイアサンではなく、全球的交易を警邏するであろうところの、一種の超リヴァイアサンであることを、スミスは示唆した。」(K)
(続く)