太田述正コラム#6979(2014.6.5)
<長い19世紀(その4)>(2014.9.20公開)
 文化、政治、社会的動員、及び、経済活動に対するベイリーの「側面からの(lateral)」、かつ、対照歴史年表的(synchronistic)なアプローチに、時間を通じ<て繰り広げられ>る諸小物語(mininarrative)の諸利点を組み合わせることで、この本は、どのように全球的な統合と相互依存<関係>が促進されたかを証明する(demonstrate)。
 文字通り全球的<に現出するに至った>諸階統制と諸不平等についての自覚がそれらに対して対処せよとの諸要求を掻き立てた。
 概念的に(conceptually)、オステルハンメルは、全球的複雑性(complexity)を、それぞれが独自の発展の論理を持ったところの、諸サブシステムごとのシリーズ群へと解きほぐす。
 これらの諸サブシステムの歴史を物語ることは、一つのドアからもう一つのドアへと、人類の過去の諸殿堂(halls)を通り抜けることに譬えることができる。
 この<書評子たる私の、自分で言うのも何だが、>説得力ある(telling)寓喩は、もちろん、ブローデルから借りたものだ。
 <オステルハンメルの、>かかる主題ごとに(thematic)全球的諸印象の展示会(gallery)を開くやり方は、衆目が認めるように、並列で(side by side)諸眺望(perspectives)を形作り位置づけを行う実務的必要性から来ているわけだが、代償(cost)を伴わざるをえない。
 全く異種の諸章<が並列的に置かれていることで、それら各章の>間で生じる諸齟齬(casualities)<自体>は大した話ではない(tentative)。
 全球的歴史を物語る際の艱難(challenge)は、それぞれの互いに全く異質な場所場所における対照歴史年表的諸過程をどのように捉えるか、という問題を巡って展開するのだ。
 <但し、>ベイリーは対照歴史年表的諸過程の二つの角を<手でむんずとひっ>捕まえたのに対して、オステルハンメルは、それら<の諸過程>を<一つ一つ分割>統治すべく、論理という優しい手でもって対照歴史年表的諸過程を諸塊へと分割する。
 対照歴史年表的諸過程<をどのような>諸構造<でもって描写するか>が、<各章間で>諸齟齬がどれだけ生じるかの多寡(capacity)に影響を与える<ところ、オステルハンメルのような、諸構造をたくさん設定するやり方では、齟齬がより多く生じることにならざるをえない>。
 <いずれにせよ、読者が>それら<オステルハンメルが描写する諸構造の姿を眺めること>は、<各構造それぞれにおける>成長と諸結果を捉え<ることは可能に>させてくれるものの、<それら諸構造の姿が、そもそも、その>ルーツ<が何であったか>を<読者に>差し示してくれることはまずない。
 歴史的変貌のハリケーン群を再訪するのはいいのだが、読者は、歴史の二つの羽を最初にはためかせた悪名高き蝶々をどこで探したらよいのか途方に暮れさせられてしまうのだ。
 もちろん、この蝶々が、我々の想像力の幻影に過ぎないのではないとすればの話だが・・。・・・
 新しい時代区分を提示しつつ、オステルハンメルは、ラインハルト・コゼレックの、ほぼ1760年から1830年にわたる、「ザッテルツァイト」を、「大西洋革命<の期間>」として狭義に捉えるのではなく、それをはるかに超えた、「白人」覇権の興隆、近代性の普及、市民的平等の理念の形成、「時代遅れの社会的諸階統制を巡る<階級間の>係争(contestation)と社会的諸階統制の掘り崩し(undermining)」、そして最終的には、オステルハンメルが「エネルギーのアンシャン・レジーム」と呼ぶ化石諸燃料<の使用の確立>、を含む、より長い期間に係る、成形的旋回軸(formative pivot)<となった期間である、として>拡張する。
 <また、>コゼレックとは異なり、彼にとっては、文化は、全球的な対照歴史年表性を最も少ない程度にしか有していない。
 オステルハンメルにとっては、ザッテルツァイトは、真に全球的な19世紀を開始(inaugurate)させたところの、<文化を含むところの、>包括的な「危機に満ち満ちた移行期」だったのだ。」(F)
(続く)