太田述正コラム#0261(2004.2.16)
<歴史は諜報機関によってつくられる(その1)>

 本コラムでこのところ深刻な話題が続き、読者の中にはエキサイトされている方も少なくないようにお見受けしますが、今回は「軽い」話題をお送りしましょう。

1 ソ連に大打撃を与えた米国の諜報部員

 1981年、フランスのミッテラン大統領は、米国のレーガン大統領に直接、KGBのヴェトロフ大佐からフランスの諜報機関が入手した機密資料を手渡しました。(米仏にも蜜月時代があったのですねえ。)
 その資料には、ソ連が、自らの軍事力と産業力の向上を図り、対米競争力を維持するために、秘密裏に第三国を通じて米国と日本のレーダー、工作機械、半導体等を盗んだり買い付けたりしていることが記され、この目的ために米国と日本に潜伏しているエージェントやバイヤーの名前が列挙されていました。
 この件を担当することになったCIA員たるエコノミスト、ガス・ヴァイス(Gus Weiss)は、これらエージェントやバイヤーを逮捕せず、泳がせておくことにしました。
 そして連中に、わざと欠陥品をつかませることにしたのです。
 ヴァイスが最大のターゲットにしたのは、建設中のシベリア横断天然ガスパイプラインの自動制御システムでした。このパイプラインを通じて西欧に天然ガスを供給する話が進行しており、実現すると、西欧諸国がソ連に生命線を握られかねないことを米国は懸念していました。
このパイプライン自動制御システム用のソフトウェアの購入に失敗したソ連は、ヴァイスの読み通り、あるカナダの会社にエージェントを侵入させ、このソフトウェアを盗み出しました。しかし、ヴァイスはこのソフトウェアに、あらかじめとんでもない細工をしていたのです。
このソフトウェアは、パイプラインのポンプ、タービンやバルブを制御するものでしたが、ヴァイスは、このソフトウェアに、設定値を勝手にリセットするよう細工を施すことによって、パイプラインの継ぎ手や溶接箇所の耐久力を超える圧力がパイプラインにかかるように仕組んだのです。
 結果は大成功でした。
 1982年6月、推定3キロトンの、核を用いない史上最大の爆発と火災がシベリアで起こったのです。
 スパイ衛星で見ていてこれに気づいた米国の北米防空司令部(NORAD)では、核爆発ではないかと大騒ぎになりましたが、核爆発の際に出る電磁波が衛星で検知できず、頭を抱えました。ホワイトハウスにも当然ご注進が届きます。当時、国家安全保障会議(NSC)のスタッフらにヴァイスは、種明かしをしないまま、心配しないように言い聞かせたといいます。
 幸い、この大爆発で死者は出ませんでしたが、パイプラインプロジェクトが頓挫しただけでなく、KGBは買い付けたり盗んできたりしたすべてのソフトウェアに疑心暗鬼になり、以後、ソ連のありとあらゆるプロジェクトが、著しい遅延を余儀なくされることになります。
 1983年にヴェトロフ大佐は逮捕され、処刑されます。そして1984年にはCIAは機密資料のリストにあった面々の一斉摘発を行います。
 大打撃をこうむったソ連は、ゴルバチョフによって1987年にペレストロイカに乗り出しますが、1989年にはベルリンの壁が崩れ、1991年にはソ連が崩壊します。
 まさに一諜報部員の力で、歴史がつくられたのです。
(以上、William SafireのNY TIMES NEWS SERVICE , WASHINGTON , Feb 04, 2004, Page 9 の論説(http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2004/02/04/2003097438(2月6日アクセス)から孫引き)による。)

(続く。次は、諜報機関の大失敗の例です。)