太田述正コラム#7045(2014.7.8)
<欧州文明の成立(続)(その10)>(2014.10.23公開)
(2)欧州とイギリスの模倣時代
本シリーズが長くなったこともあり、表記については、民主主義独裁の諸形態に関する英語ウィキペディアの記述からうかがえるところの、英語圏の人々の諸民主主義独裁観を一瞥するだけにとどめたいと思います。
まず、ナショナリズム(nationalism)についてです。
「18世紀イギリスにおける国家的公空間(national public sphere)と統合された国家(country)全域を覆う経済の出現に伴い、人々は、より小さな単位であるところの、家族、町、ないし州ではなく、この国全般と自己同定し始めた。・・・
国家的(national)諸シンボル、国歌群、神話群、旗群、そして物語群がせっせと構築され採用された。
ユニオン<・ジャック>旗が国旗とされ、愛国歌であるルール・ブリタニア(Rule, Britannia!)<(コラム#6587、6912)>が1740年にトマス・アーン(Thomas Arne)によって作曲され、漫画家のジョン・アーバスノット(John Arbuthnot)は国民的精神の人格化としてジョン・ブル(John Bull)<(コラム#356、6757)>というキャラクターを創造した。・・・
⇒このウィキペディアは、英語圏中のイギリス人によってもっぱら執筆されたと私は踏んでいるのですが、地理的意味での欧州の諸国の中で、国民国家が最も早く成立した・・というか、元から国民国家だった・・のはイギリス、という誰もが抱く常識には抗わずして、しかし、国民国家をナショナリズムという言葉で置き換えた上で、その始期を何と18世紀という遅い時期に無理やり設定することで、お得意の韜晦を施している、というのが私の見解です。
同じ人物(複数か?)が国民国家(nation state)に関する英語ウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Nation-state
を執筆したのではないかと私は勘繰っているのですが、そちらでは、イギリスへの言及が全くなく、複数の国民(nation=民族)からなる国民国家たる英国への言及しかない、というわけで、形の上では平仄は合っていることが、むしろ、韜晦の可能性を高めている、と言えるのではないでしょうか。
18世紀初頭の1707年にようやくイギリスとスコットランドが合併して英国が成立するところ、イギリスならぬ英国において国民国家ないしナショナリズムが18世紀に成立し、しかもそれは地理的意味での欧州諸国中で最も早かった、という子供だましのトリックがそこでは用いられているのです。
いずれにせよ、国旗や国歌が生まれることと国民国家ないしナショナリズムの生誕とは、本来余り関係のないことであるはずです。(太田)
自由主義的な政治的伝統(liberal political tradition)の中には、「ナショナリズム」が危険な力であって諸国民国家間の紛争と戦争の原因となる、という広範な批判が存在する。
ナショナリズムは、しばしば、市民達を諸国家の諸紛争を共にさせる(partake)ために利用されてきた。
その事例として、例えば、ナショナリズムが情宣のための材料の鍵となる要素となったところの、二度にわたる世界戦争がある。
<とはいえ、>自由主義者達は、諸国民国家の存在自体を一般に云々はしない。
自由主義的批判は、定義からして集団的であるところの、国家的アイデンティティに反対する個人的自由についても強調している。<(ここの箇所に、典拠付けろ、との注意書きが入っている。(太田))>
ナショナリズムの平和主義的(pacifist)批判者は、ナショナリスト諸運動の暴力、<ナショナリズムが>連携しているところの軍国主義、そして盲目的愛国主義(jingoism)ないし狂信的愛国主義(chauvinism)に鼓吹された諸国家間の諸紛争、を凝視する。
国家的諸シンボルと愛国的(patriotic)自己主張(assertiveness)は、いくつかの諸国、とりわけドイツにおいては、過去の諸戦争との歴史的結び付きによって信用を失墜している(discredited)。
有名な平和主義者のバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)は、自分の母国の外交政策を評価(judge)する個人の能力を減殺させるとしてナショナリズムを批判している。
アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)は、「ナショナリズムは幼児的疾病だ。…それは人類の麻疹だ」と述べた。
『宗教百科事典(The Encyclopedia of Religion)』<(注10)>は、「ナショナリズムは現代世界における宗教の支配的形態(dominant form)である」と述べている。・・・
(注10)出版社は、Macmillan Reference USA
http://www.amazon.com/Encyclopedia-Religion-15-Volume-Set/dp/0028657330
だが、「マクミラン出版社(・・・ Macmillan Publishers)はイギリスの出版社で、本社はロンドンにあり、世界各地に子会社・関連会社がある。・・・<あの>『ネイチャー』・・・などを発刊している。・・・<現在、ドイツ資本が100%所有している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE
⇒「自由主義的な政治的伝統/自由主義者」とは、文字通り、「イギリスの政治的伝統/イギリス人の大半」の意味ですし、「平和主義的批判者」というのも、単に、ナショナリズムが軍国主義的なので、反ナショナリズムであるところの「イギリス人の大半」を指す婉曲表現に他なりません。実際、ラッセルはイギリス人ですし、アインシュタインはイギリスでこそないけれど米国への帰化者ですし、『宗教百科事典』は米国で出版されているものの、親会社はイギリスの会社ですから、イギリス的なものの考え方で編纂されていると考えられます。
こういった記述ぶりから、イギリス人の大半は、イギリスないし英国が国民国家であること、しかも、それが地理的意味での欧州最古の国民国家であるということを自認しつつ、それが、政治的宗教であるナショナリズムなんぞとは無縁である、ということを当然視しているらしいことが推認できるのです。
つまり、この英語ウィキペディアは、一方でイギリスないし英国におけるナショナリズムの成立を言いつつ、返す刀で、それを事実上否定している、というわけです。
私に言わせれば、イギリス人の大半のホンネは後者の方なのです。(太田)
市民的ナショナリズム(civic nationalism)は、合理主義(rationalism)と自由主義の二つの伝統のうちに蟠踞しているが、それは、ナショナリズムの一形態としては、民族的(ethnic)ナショナリズムとは対照的なものだ。
市民的国家(civic nation)の一員となることは・・・強制されない(voluntary)と考えられている。
市民的国家的な諸理念は、米国とフランス・・1776年の米独立宣言と1789年の仏人権宣言参照・・のような諸国において、代表民主主義の発展に影響を与えた。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Nationalism
⇒ここは、合理主義、つまりはプロト欧州文明的ないし欧州文明的なものが、自由主義、つまりはアングロサクソン文明、と強引に弁証法的に止揚されて生み出されたのが政治的宗教(イデオロギー)たる民主主義独裁のナショナリズムである、ということを婉曲に言っているのです。
そして、それは、民族を超えたもの、すなわち、文明であるけれど、アングロサクソン文明を誤解的歪曲的に継受し、アングロサクソン文明に追いつき、追い抜こうとしたところの、それぞれ、米国文明と欧州文明、というアングロサクソン文明とは異質の文明、だったのです。(太田)
(続く)
欧州文明の成立(続)(その10)
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