太田述正コラム#7063(2014.7.17)
<米独立革命とキリスト教(その1)>(2014.11.1公開)
1 始めに
 引き続き、表記に係るシリーズをお送りします。
 手掛かりにするのは、マシュー・スチュアート(Matthew Stewart)の『自然の神–米共和国の異端的諸起源(Nature’s God: the heretical origins of the American Republic)』の書評類からうかがえるこの本の内容です。
A:http://www.latimes.com/entertainment/la-ca-jc-matthew-stewart-20140629-story.html
(6月28日アクセス。書評)
B:http://www.christianitytoday.com/ct/2014/july-web-only/founding-may-not-have-been-christian-but-it-sure-wasnt-secu.html?start=1
7月15日アクセス。以下同じ))
C:http://americancreation.blogspot.jp/2014/06/matthew-stewart-natures-god-heretical.html
(宣伝文)
D:http://mwstewart.com/books/natures-god/
(序文より)
E:https://www.au.org/church-state/julyaugust-2014-church-state/books-ideas/founding-sources-a-new-book-examines-the
(著者のインタビュー。以下同じ)
F:http://www.bostonglobe.com/arts/2014/07/04/questioning-america-christian-roots/XVNKjkViIzncq9Rr9T7DMM/story.html
 なお、スチュアート(1963年~)はハワイ州ホノルルで生まれ、プリンストン大卒、奨学金で英オックスフォード大留学、同大博士号取得した哲学者で、経営コンサルタントを経て、マサチューセッツ州ボストンで独立著述業、という人物です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_Stewart_(philosopher)
2 米独立革命とキリスト教
 (1)序
 「新刊の『自然の神』は、米国はキリスト教国家(nation)として建国されたのではない、と主張する。・・・
 米国の革命家たる理神論者(deist)<(注1)(コラム#1254、4342)>達は、文明化した世界の同一の諸文献(literary sources)の大部分に依拠した(drew on)国際的運動の参加者…である、と自分達自身を見ていたのだ。」(A)
 「<彼らは、>宗教を政治の指針(guide)としてではなく、個人的慣行(practice)のためのものと考えていたのだ(reserving for)。」(F)
 (注1)「神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。・・・
 1624年チャーベリーのハーバート卿は『真理について』を公刊して、自然宗教の5つの基本命題をあげた。それは(1)神の存在、(2)神を礼拝する義務、(3)経験と徳行の重要性、(4)悔悟することの正しさ、(5)来世における恩寵と堕罪の存在を信じること、などである。
 50年後にスピノザが『神学政治論』において、(1)神の存在、(2)単一性、(3)遍在性、(4)至高性、などの箇条を列挙して、「神は博愛心と正義心によって崇拝されなければならず、神に従うものは救われ従わないものは滅びるが、悔い改めるものの罪は必ず許されるであろう」ことを主張した。
 ハーバート卿とスピノザの宗教は、とくにキリスト教だけに当てはまる条件ではないところに問題があると、神学者たちは考えた。・・・
 1695年にロックが『キリスト教の合理性』で、理性の権威と聖書の権威が両立することを証明しようと努めたが、それでも「救済の条件を不当に低めて、異端者が救われるようにした」というとがめを受けた。・・・
 イギリス理神論をフランスで嗣いだのはヴォルテールである。イギリスでは論争になるだけの見解でも、カトリック教会が権威をもっているフランスでは異端邪説となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E7%A5%9E%E8%AB%96
 上掲の日本語ウィキペディアは、理神論の祖として、16世紀のイタリアのソッツィーニ派を挙げているが、下掲の遙かに長文の英語ウィキペディアでは、一切言及されていない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Deism
 なお、チャーベリーのハーバート卿(Edward Herbert, 1st Baron Herbert of Cherbury。1583~1648年)は、オックスフォード大卒で、下院議員、軍人、外交官、詩人、宗教哲学者として活躍した人物。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Herbert_of_Cherbury
⇒私見では、ハーバートの理神論は、イギリス人大部分が共有するところの、古来からの自然宗教観を祖述したもの以上でも以下でもないのに対し、スピノザの理神論は、イスラム教が身近な存在であったイベリア半島から迫害を受けてオランダに逃れてきたユダヤ人の両親の下に生まれ、ユダヤ教を棄教したスピノザ
http://en.wikipedia.org/wiki/Baruch_Spinoza
が、イギリスの理神論の誤解的歪曲であるところの、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教というアブラハム系宗教の共通属性を抽出した抽象的な代物です。
 結論を先回りして申し上げれば、米革命家達は、後者を継受したのである、と私は考えているわけです。(太田)
 (2)思想的淵源
 「<米革命家達が抱懐した思想についての>スチュアートによる詳細な説明は、エピクロス(Epicurus)<(注2)>と彼のローマ人たる普及者(popularizer)であるルクレティウス(Lucretius)<(注3)>から、近代初期のイタリアの自由思想家達であるジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)<(注4)>とルチリオ・ヴァニーニ(Lucilio Vanini)<(注5)>・・二人とも背教の廉で公開死刑に処せられた・・を経て、スピノザ<(Spinoza)<(コラム#1364、6449、6520、6877、6879、6881)>とロックに反応した、イギリスとフランスの知識人達の様々なお歴々に至っている。
 (注2)BC341~270年。「アテナイの植民地であったサモス島に・・・生まれた・・・ヘレニズム期の哲学者。・・・現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。・・・<また、そ>の自然思想は、原子論者であったデモクリトスに負っている。つまりそれ以上分割できない粒子である原子と空虚から、世界が成り立つとする。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9
 (注3)BC99~55年。「エピクロスの思想を詩『事物の本性について』に著し・・・唯物論的自然哲学と無神論を説いた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9
 (注4)1548~1600年。「イタリア出身の哲学者、<ナポリ大学で学び、>ドミニコ会の修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護した・・・。彼にとって神とは心の中に内在する存在であって、宇宙のどこかにある天国にいて地球を見ているものではなかった。・・・<そして、>地球も太陽も宇宙の1つの星にすぎないと主張した・・・。<なお、彼>にとって宇宙とは数学的計算によって分析できるものでなく、星達の意志によって運行しているものであった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E
 (注5)1585~1619年。イタリアの自由思想家。パドゥア(Padua)大学で学ぶ。反キリスト教、とりわけ、反スコラ哲学を唱えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lucilio_Vanini
 なお、彼が焚刑に処されたとしている日本人を散見↓するが、絞首刑に処した後遺体が燃やされたのであり、間違い。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14972311
http://yaplog.jp/deches1652/archive/19
 人々は、自然に照らして(in nature)自由で平等である、との自然法が米独立革命の中核的諸理念の基盤だった。・・・
 エピクロスは、自然は、発見することができ、かつ定義できる諸法に従って動いている(operate)と主張した。
 コペルニクス(Copernicus)<(コラム#1828、4342)>とガリレオ(Galileo)<(コラム#686、4147、4340以下、6338)>は、カトリックの教義(dogma)に反する自然の諸法を発見することは危険な営為であることを学んだわけだが、プロテスタントの諸派も同様、聖なる判断は、説明できないものである、ということに固執し続けた。」(A)
⇒米革命家達の頭の中は、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラ状態であった、ということです。(太田)
(続く)