太田述正コラム#0277(2004.3.3)
<久方ぶりのコーヒーブレイク>

1 御礼言上と決意表明

 2月29日(日)に「2チャンネル」なるサイトに「太田述正について語ろう」スレッドが立てられた時点では452名であったメーリングリスト登録者が、そのわずか三日後の本日3月3日には498名に増え、500名の大台まであと一歩に迫りました。
 私のホームページ(http://www.ohtan.net)と本コラムの普及に勝手連的にご尽力いただいている読者の方々に感謝申し上げます。
 今後とも、日本の吉田ドクトリンの克服、アングロサクソンとの真の提携関係の樹立、そして縄文モードから弥生モードへの転換、という私のドンキホーテ的目論見の実現に向け、努力を続けていく所存です。
 読者各位の一層のご指導ご鞭撻をお願いします。

2 どうして公務員を辞めたのか

 選挙に出るために辞めた、と思われている方が多いようですが、ちょっと違います。
 私は30歳になった頃から、第二の人生を役所の世話にならないで生きるために、余力を残して公務員生活を終える機会をうかがっていました。
 役所の世話になるとは、防衛庁の場合、55歳前後まで勤め上げた上で、防衛庁が指定する再就職先で実質的な仕事をせずに給与をもらう生活を10年あるいはそれ以上続けるということです。
 そんな、納税者たる国民に顔向けのできないことだけはしたくなかったのです。
 ですから、民主党とご縁ができたとき、当選する可能性は殆どないと分かっていて、これは天が公務員生活を辞める機会を与えてくれたのだと前向きに受け止め、選挙に出ることにしたのです。

3 選挙

 いわゆる事前運動中の体験は、小説よりも奇なるエピソードに満ち溢れており、いつかは書きたいと思ってはいますが、各方面に多大のご迷惑をかけるので当分は控えざるをえません。
 17日間の選挙期間中は、(当初の予定を完全に変更し、)もっぱら全国の自衛隊の基地と官舎地区を選挙カーで選挙演説をして回りました。ただし、駅前等の繁華街にも立ち寄りました。
 それがどんなに大変だけど痛快なものだったかは、私のホームページの掲示板への投稿110と111をご覧ください。
私の選挙カーに全行程、中村壮快という大阪の芸人さんが同乗してカラス(ウグイス嬢の男性版)を勤めてくれたのですが、彼の体験記が転載されています。
 選挙を一度やったら病みつきになる、というのは本当かも。

4 それから

 選挙中にも、いまもなお続く新たな出会いがいくつかありましたが、選挙が終わってからは、更に新たな出会いを重ねてきました。
 その多くは、役所に勤めていた頃にはまずお目にかかることがなかった、何をして食べているのかよく分からないけれど、バイタリティー溢れる個性的な人物です。
 そのうちのお一人は、私を北京に二度も連れて行ってくれました。
 おかげで、三度目は中国側が私を招待してくれました。
 思いがけない昔の友人が声をかけてくれて感激したことも再々です。
 日本の大企業のいくつかとも、役所の時とは様変わりの、裃を脱いだ濃密なお付き合いを経験しました。
 そして読者の皆さんとの出会いがあるわけです。