太田述正コラム#7184(2014.9.16)
<新しい人類史?(その9)>(2015.1.1公開)
欧州人神学者達が述べた一つの物語は、アフリカ人達は、聖書に出てくるノア(Moah)の息子のハム(Ham)の子孫だというものだ。
ハムは、彼の父親のノアに呪われ、その子孫は奴隷達になるとされたので、アフリカ人達を奴隷にしても構わないのだ、と。
これは神学上の議論だった。
しかし、その議論が行われたのは近代であり、近代科学が既にあった。
近代生物学者達は、生物の科学によれば、黒人達は白人達よりも知性が劣り傷物の道徳的諸感覚をを持っているので、黒人たるアフリカ人達を奴隷にするのはオーケーだと主張した。
医学上の諸理論もあった。
医者達は、黒人達は、諸疾病をまき散らし、より列悪な衛生的諸条件の下で生きており、汚染の源泉であるので、白人達とは隔離されていなければならない、と主張した。・・・
歴史を通じて多くの諸社会で、女性達は、単に、最もしばしばは男性達の財産、彼女達の父親達、彼女達の夫達、彼女達の兄弟達、或いは、男コミュニティ一般、の財産と見なされた。
この、最も極端だが、最もありふれた顕示は、歴史を通じて多くの諸法体制において、女性の強姦は財産侵害である、とみなされたことだ。
強姦の犠牲者は、かかる法制度によれば、彼女を所有していて今や欠陥財産を所有するに至った男性だった。
例えば、申命記の第22章第28節と29節の中で、強姦について聖書が何を言わなければならなかったかを思え。
誰とも婚約していない処女に一人の男が会い、彼女をつかまえて一緒に寝、彼女と一緒に横たわっているのを発見された場合、この若い女性の父親に銀50シェケル(shekel)を支払わなければならず、そうすれば彼女は彼の妻にならなければならない、と。・・・
2006年の時点においてさえ、まだ、(世界の国々の約4分の1にあたる)53の諸国において、自分の妻への強姦の廉で夫に対して裁判を提起することはできない。
欧州の心臓部のドイツにおいてさえ、強姦諸法が改正されて婚姻関係下の強姦という法的範疇が創造されたのは実に1997年になってからだった。
それまでは、それは罪ではなかったので、ドイツ人の夫を自分の妻を強姦した廉で起訴することはできなかった。
⇒日本の場合、裁判事例も少なく、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1370551243
この種の法整備については議論にすらなっていません。
その背景には、「強姦率の実態では、日本は発生率が少ない国になっている。しかしながら、これには日本人特有の性犯罪に対しての思想が大きく影響している、という指摘が少なくない。長年にわたって、日本の強姦の立件数及び摘発数が少ないのは、被害者・加害者のいずれに於いてもこのような強姦に対しての日本人特有の思考が最も大きな妨げになっているからである、と批判されている。また、国際的に日本は強姦に対しての刑事罰が非常に軽い国である、という批判も受けている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E7%BD%AA
という事情があるのではないでしょうか。
そもそも、日本は、性に対する諸禁忌が少なく、戦後すぐ頃まで夜這い文化があったようなお国柄ですからね。
(他方、米国では、「1972年に<なって、ようやく、>レイプを罪状とする死刑に・・・違憲判決が出された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
というほど、(米国では、黒人による白人の強姦への死刑適用の「必要性」があったことを考慮してもなお、)少なくとも米国における強姦観と日本のそれとには大きな違いがありそうです。
ちなみに、日本では、「江戸時代において、1747年に制定された・・・御定書百箇条・・・では「強姦をした者は重追放と手鎖」「幼女強姦をした者は遠島」「輪姦をした者には獄門もしくは重追放」などそれぞれ重罰が科せられていた。」(上掲)というのですが、これらが適用された実例を聞いたことがなく、念のため、ネットで調べたのですが、やはり、見つかりませんでした。)
そもそも、日本は、ほぼ一貫して、女性優位社会なのであり、ハラリの展開しているような議論の大前提が成り立たないところ、この種の議論を行う欧米人は、日本という、例外的な、しかし、無視しえない重要な社会の直視を怠るべきではありますまい。(太田)
例えば、2,500年前の紀元前5世紀の民主義的なアテネ・・民主主義の揺り籠・・では、女性達は国家のいかなる諸機関(offices)に係る投票を行うこともできなかった。
彼女達は、国家のいかなる諸機関へ選挙されることもまたできなかった。
古典アテネ人達は、女性達を政治から除外するのは自然なことだと考えていた。
彼らは、女性達は、こういった諸事柄を行うために必要な知性と道徳諸水準を持っていないと考えていたのだ。
古典アテネ人達は、自然に関して何かがある、すなわち、女性達がこれらの諸任務を完遂することを妨げる女性達<特有>の生物学的な何ものかがある、と考えたのだ。・・・
家父長的(patriarchal)社会とは、それが女性的諸特質と見るものよりも男性的諸特質と見るものにより高い価値を置く社会だ。・・・
極めて少ない諸例外を除き、歴史上の知られた全ての人間諸社会は、少なくとも農業革命以来、家父長制的諸社会だった。
殆んど全ての知られた人間諸社会は、男性達に、政治的、経済的、そして法的諸特権を与え、女性達を差別した。・・・
・・・女性達は、正しいかそうでないかはともかく、他の人々の視点から諸物事を見るという、より優れた能力で名高い。
男性達は、通常、極めて自己中心的で利己的であって、多者達の視点から諸物事を見ることができない、と非難される。
これがその通りであれば、女性達は素晴らしい政治家達、そして、帝国建設者達、そして将軍達や提督達になってきていてしかるべきだった。・・・
女性達を孕ませる機会を求め、生殖力の高い女性達へのアクセスを巡って、男性達は相互に競ってきた。
もしあなたが男性であれば、あなたの再生産の、そしてあなたの諸遺伝子を次の世代に引き継がせる確率は、何よりも、あなたの、他の男性達を打ち負かし、他の男性達を凌駕する能力にかかっていた。
時間の経過とともに、次の世代に受け継がれた男性的諸遺伝子は、最も大志を抱き、最も攻撃的で最も競争志向的な男性達に属していたものになった。・・・
<他方、>女性達は外部からの助力に依存していて、社会的諸スキルや彼女達の他の女性達と協力する能力を発展させることが可能だった。
・・・<そうであるとすれば、>男性達による女性達の支配(dominance)ならぬ、女性達による男性達の支配を我々は目にしたはずだ。
一体どうして、何よりも協力することにその成功がかかっているところの、一つの動物種において、どうやらより少なく協力的である諸個体、すなわち男性達が、どうやらより協力的である諸個体、すなわち女性達をコントロールしているのだろうか?
これは、ジェンダー史における百万ドルの問いなのだが、我々はいまだにそれに対する良い答えを持っていない。・・・
単一の想像上の秩序ないし単一の社会階統で世界中の全ての人間諸集団が採用し受容したものはない。
スパルタはアテネとは違っていたし、支那は日本とは違っていたし、キリスト教世界はイスラム世界とは違っていたのだ。」(F)
⇒夜郎自大的愛郷主義でも何でもなく、ハラリのように、刺身のつま的に日本を扱ってはいけない、と声を大にして言いたいですね。
とにかく、一事が万事、日本において、「女性達による男性達の支配を我々は目にし」ているのですから・・。(太田)
(続く)
新しい人類史?(その9)
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