太田述正コラム#7378(2014.12.22)
<河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その1)>(2015.4.8公開)
1 始めに
 「85歳のウィルソン」シリーズの途中ですが、故あって、表記のシリーズを割り込ませることにしました。
 この本は、2001年に原本を出版した講談社が、それを文庫本にして2013年に出版したものであり、「日米兵士が見た太平洋戦争」という副題がついています。
 なお、著者の河野仁は、「1961年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了。Ph.D(社会学)。防衛大学校教授。専攻は軍事社会学、歴史社会学」(本の奥付)という人物です。
 Ph.Dは、フルブライト奨学生として留学した米ノースウエスタン大学で取得しており、学位論文は、A Comparative Study of Combat Organaizations: Japan and the United States during World War II、です。
http://www.nda.ac.jp/cc/koukyou/kawano.html
 従って、この本は、彼の学位論文がベースになっている、と考えられます。
2 『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む
 「「玉砕」と「特攻」は、太平洋戦争における日本軍の行動の中で、もっとも米軍兵士にとって「理解不能」は行為であった。「バンザイ突撃」も「カミカゼ攻撃」も、異文化からやってきたGIたちには「自殺行為」としか思えなかった。「自殺」を宗教的な「罪」と考え、「降伏して捕虜になることは戦死につぐ名誉」と考える米兵と、「捕虜となることは不名誉」であり「自決」を「名誉ある死」と考える「無降伏主義」の日本兵、対照的な文化的背景を持った日米両国の青年たちが太平洋の島々で死闘を繰り広げた。」(3)
⇒「はしがき」の冒頭ですが、この本のテーマがこれだけで彷彿としてきますね。(太田)
 「「戦闘意欲・・・(combat motivation)」・・・の問題を最初に取り上げたのは、米陸軍の先史研究者S・L・A・マーシャル<(注1)>大佐(のち准将で退役)である。
 (注1)Samuel Lyman Atwood Marshall(1900~77年)。1917年に米陸軍入隊。米陸士受験を奨励されるも、試験を通らなかったようだ。第一次世界大戦従軍時の経験に若干の脚色をしていることが明らかになっている。予備役編入後第二次世界大戦の時に従軍戦史家として招集、同じことを朝鮮戦争の時も繰り返した。1960年に最終的に退役。
http://en.wikipedia.org/wiki/S.L.A._Marshall
 かれは古典的業績となった『戦火の兵士(Men Against Fire)』の中で、第二次世界大戦における欧州戦線および太平洋戦線での米軍兵士の戦闘行動を実際に前線に行って観察したり、作戦終了後に戦闘に参加した兵士を面接調査した結果、「米陸軍兵士の交戦中の発砲率は最大限25%である」との観察結果を公表し、当時の米軍内部で大きな波紋を巻き起こした。
 これをうけて、朝鮮戦争までに米陸軍は兵士の訓練方法を改善し、1950年の朝鮮戦争時には歩兵部隊の夜間防御と昼間攻撃のいずれにおいても発砲率は55%を超えた。」(17)
⇒米陸軍指揮幕僚大学のロジャー・J・スピラー(Roger J. Spiller)教授(当時)は、彼の1988年の論文と1989年の回顧録において、この25%という数値に実証的根拠がなかったことを指摘するとともに、マーシャルの研究全てが不正確で甚だしく偏向している、と批判している(ウィキペディア上掲)というのに、河野が、この数字を無条件で引用しているのはいかがなものかと思います。(太田)
 「同じく第二次世界大戦当時、米軍の捕虜となった独軍兵士を対象にした面接調査により「第一次集団説(primary group theory)」を唱えたのが、米国シカゴ大の社会学者エドワード・シルズとモリス・ジャノヴィッツである。
 戦闘意欲を最も亢進させる要因はイデオロギーや対敵感情ではなくて部隊を構成する兵士の間に培われた家族同然の精神的連帯感、すなわち「第一次集団の絆(primary group tie)」だ、というのがかれらの提唱する戦闘意欲における「第一次集団説」である。・・・
 ちなみに「第一次集団」<(注2)>とは、米国の社会学者クーリーの創出した概念で、直接的接触による親密な結合とメンバー間に存在する連帯感と一体感を特徴とする集団、たとえば家族、近隣集団、仲のよい遊び友達の集団などをさす。・・・
 (注2)「テンニース(1855-1936)は、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた自然発生的なゲマインシャフト(・・・Gemeinschaft、共同体組織)とは別に、利益や機能を第一に追求するゲゼルシャフト(・・・Gesellschaft、機能体組織、利益社会)が人為的に形成されていくと考えた」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93
ところ、私見では、第一次集団はゲマインシャフト、第二次集団はゲゼルシャフトとほぼ同じ意味であり、テンニースが1887年に打ち出した時間軸による人間集団二分論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B9
をクーリー(Charles Cooley。1864~1929年)が1909年になって、言葉を変え、かつ時間軸を取り外す形で、「剽窃」した、と言って語弊があれば、「転用」したものではないか、
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Cooley
http://en.wikipedia.org/wiki/Primary_and_secondary_groups
というのが私の、かねてからの見方だ。
 この古典的理論は、・・・近年の研究によってその説明力の限界も指摘されている。
 たとえば、東部戦線でソ連兵と激戦を重ねたドイツ兵の戦闘を詳細に検討したバルトフは、第一次集団絆がほとんど崩壊していながら、はるかに劣勢だったドイツ軍兵士はかつてないほどの勇猛さで戦ったことを指摘し、第一次集団説に疑問を呈した。
 ドイツ軍兵士はソ連兵からの虐待や私刑・虐殺をなによりも恐れたのだという。」(18~19)
(続く)