太田述正コラム#7404(2014.1.4)
<河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その12)>(2015.4.21公開)
「米軍兵<の場合、>・・・尉官クラス将校に限って見ると、太平洋戦線では「復讐心」が「18%」と他の戦線にくらべて約2倍で、「統率・軍紀」についで強い動機づけ要因となっていた。
筆者がインタビューした米軍兵士の間でも、「バターン死の行軍」に象徴的に示されるように、日本兵による捕虜虐待や拷問、残虐な野戦方法にたいする糾弾の声が強かった。・・・
「復讐心」といってもさまざである。
真珠湾攻撃への復讐、バターンやコレヒドールでの米軍捕虜虐待への復讐、戦死した戦友のための復讐、しかし、太平洋戦線での「復讐」に特別な意味が込められていたとすれば、それは日本軍による捕虜となった米軍兵士の虐待・虐殺、拷問の末の惨殺、さらに極端なケースとして人肉食などの理由によるものと考えられる。」(263~264)
⇒「真珠湾攻撃」や「バターンやコレヒドールでの米軍捕虜虐待」(注11)なるものについては、米国政府による扇動に米兵達が無批判的に踊らされているだけのことですし、「戦死した戦友のための復讐」なんてものは、万国共通です。
(注11)この時の米比軍捕虜の死亡は、一部例外を除き、不可抗力だった。
なお、一部例外とは、出張で現地に赴いていた、大本営参謀の辻政信が発出した、偽の捕虜処刑命令に従った者が行ったところの、米比人捕虜約500人の殺害だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2
(上掲のウィキペディアで、米国政府の本件に関するプロパガンダポスターが紹介されている。)
問題は、「日本軍による捕虜となった米軍兵士の虐待・虐殺」と「人肉食」です。
前者については、一般論として、「日本軍<の>・・・捕虜となった米軍兵士」の死亡率がナチスドイツ軍の捕虜になった場合よりも顕著に高かったことは事実・・但し、それには背景がある・・であるものの、ガダルカナルのような戦場における捕虜虐待・虐殺については余り耳にしたことがありません。
それだけに、少なくとも、複数の証言を河野には挙げて欲しかったところですが、彼が挙げるのはわずか一例の証言にとどまっています。
また、後者については、やはり一例の証言にとどまっているだけでなく、その証言が、「捕虜となった<米>軍兵士の遺体を発見した。その遺体は、太ももの付け根の部分から両足が切断されていた。」というだけのものであり、到底、「人肉食」を推断させるものたりえません。
逆に、河野は、良く知られているところの、米軍兵士による日本軍兵士の遺体への冒涜行為
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%85%B5%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BD%93%E3%81%AE%E5%88%87%E6%96%AD
に全く触れていません。
これに類することが、ガダルカナルでは生じなかったとは到底思えないのですが・・。(太田)
「太平洋戦争中に、幾多の宣伝戦が行われ、米国では人種的偏見に満ちた日本兵のイメージが増幅されていた。
しかしながら、ガ島で実際に戦闘をしていた米軍兵士たちは、日本兵の実際の行動から日本兵についてのイメージを作り上げていったのである。」(266)
⇒前の方のセンテンスでは、河野自身が、「「真珠湾攻撃」や「バターンやコレヒドールでの米軍捕虜虐待」なるものは、米国政府による<上からの>扇動に米兵達が無批判的に踊らされているだけのことで」あることを認めているに等しい、と言うべきでしょう。
後の方のセンテンスも、私に言わせれば、「上から」ならぬ、「下から」、都市伝説的に、人種的偏見に根差したところの、彼らの復讐心を掻き立てる新たな物語がでっちあげられて行った、ということである可能性が大です。(太田)
「「イデオロギー」は米軍兵士を戦闘へと動機づける主要な要因ではなかった。
「ルーズベルトのためじゃない。われわれ、アメリカ国民のために戦ったんだ」と、<元>少年海兵隊員・・・も明言する。
たしかにかれらは「愛国心」から軍隊に志願した。
しかし、愛国心だけでは戦闘をつづけることはできない。
その反面、米軍兵士の眼には、日本兵は「天皇陛下」に象徴されるイデオロギー的理由で戦闘をしているのだと映っていた。
ガ島では、こんな戯れ言が米軍兵士の間でまことしやかにささやかれていたという。
ドイツ人はヒトラーのために/英国人は国王のために/日本人は天皇のために/そしてアメリカ人は戦利品をもとめて闘う
「ルーズベルト大統領」のためではなく、戦争みやげに、「日本兵の持っていた軍刀、拳銃、日章旗、腕時計、はては金歯まで抜き取って持っていってしまう米軍兵士。
戦利品を漁る物欲の強いアメリカ人とイデオロギー志向の強い他国兵との自虐的対比がおもしろい。
実際には、日本兵も「天皇陛下のため」だけに戦っていたのではないことはすでに・・・見てきたとおりである。」(270~271)
⇒要は、ドイツ兵や英国兵にとって総統や国王が国の機関であるのと同じく日本兵にとっても天皇は国の機関なのであろうとの正しい認識の下、独英日の兵士は国の存立のために戦っているが、自分達米兵は物見遊山気分で戦っている、ということを、太平洋戦線の米兵自身が自覚するに至っていた、ということではないでしょうか。
それがいかなる国であれ、「国の存立のために戦」うこと自体は、イデオロギー的理由で戦うことを必ずしも意味しませんが、河野はそんな基本的なことも分かっていないとみえます。
なお、独英日三か国の兵士のうち、日本の兵士だけは、自分達が「存立のために戦」っていたところの「国」である日本が、人間主義に基づき、赤露抑止をその対外戦略の中心に据えていたことから、イデオロギー的理由でも戦っていた、と言ってもいいでしょう。
そのような意味において、日本の兵士達の多くは正戦意識を抱いていた、と私は見ているわけです。
かねてから私が指摘していることですが、そう見なければ、どうして、先の大戦で日本兵でPTSDに罹った者が少ない・・正戦意識を抱いていたから・・のに、太平洋戦線での米兵には多い・・物見遊山のつもりが艱難辛苦を味わわせられた上、相手は正戦を戦っているのかもという疑心暗鬼を抱く羽目に陥ったから・・のか、が説明できないはずなのです。(太田)
(続く)
河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その12)
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