太田述正コラム#7466(2015.2.4)
<『超マクロ展望–世界経済の真実』を読む(その4)>(2015.5.22公開)
K:繰り返しになりますが、アメリカのもっとも特徴的な点は、植民地支配をせずに経済的なヘゲモニーを確立してきたところです。これはアメリカが南米をどう支配してきたのかという歴史にまでさかのぼることができる。それを体現したのが1823年にだされたモンロー主義でした。・・・
その後、たしかにアメリカは1898年にスペインと戦争をし、フィリピンやプエルトリコ、グアムなどの植民地をスペインから獲得します。キューバも保護国にしますね。しかしアメリカはそれによって植民地主義へと邁進することはありませんでした。あくまでもグローバルな経済空間を支配することで、各国の領土主権を無効化する。そうした方法で覇権を確立していったのです。(60~61)
⇒ここで、萱野は、下掲のような、モンロー主義の標準的認識と異なる珍奇な認識を、何ら典拠を示すことなく開陳しています。
「モンロー主義のきっかけとなった年次教書は、1823年12月2日に・・・第5代<米>大統領ジェームズ・モンロー<によって>・・・議会へ送られた。内容の大意は次のとおり。
<欧州>諸国の紛争に干渉しない。
南北アメリカに現存する植民地や属領を承認し、干渉しない。
<英国やロシアを含む地理的な意味での拡大欧州諸国による>南北アメリカの植民地化を、これ以上望まない。
現在、独立に向けた動きがある旧スペイン領に対して干渉することは、アメリカの平和に対する脅威とみなす。・・・
いわば、この宣言は欧州に対する<米>国による「アメリカ大陸縄張り宣言」でもある。それに沿って1830年にインディアン移住法を定め国家として先住民掃討を進め、また米墨戦争で領土を割譲させるなど、アメリカ大陸内での勢力拡大を推し進めた。その後、先住民掃討完了を意味する「フロンティア消滅宣言」のあった1890年頃から太平洋進出を進め始め、1898年の米西戦争、ハワイ併合で事実上モンロー主義は破棄された。「モンロー主義の破棄」とは「<米>国の縄張りは南北アメリカ大陸にとどまらない」ということである。その後さらに米比戦争、中南米各国に介入する「棍棒外交」へと続いていく。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
有体に言えば、モンロー主義とは、欧州諸国がアメリカ大陸に持つ植民地に関し、それが独立を志向しない限りは、欧州諸国にその引き続きの維持を認めつつ、1820年代初にスペインから独立したメキシコを始めとするアメリカ大陸諸国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3
に関し、米国が経済権益を確保したり、併合ないし植民地化したりする自由を宣言したものなのです。
(ちなみに、モンロー主義を宣明した1823年時点では、米国は、まだ、それを裏付けるだけの実力を保有しておらず、それが備わった1845年時点で、モンロー主義を衣替えして標語化されることになったのが、マニフェスト・デスティニー(前出)(注1)です。
(注1)Manifest Destiny。「1845年、ジョン・オサリヴァンが用いたのが初出である。この際は、<米>国のテキサス共和国の併合を支持する表現として用いられ、のちに<米>国の膨張を「文明化」・「天命」とみなしてインディアン虐殺、西部侵略を正当化する標語となっていった。19世紀末に<北アメリカで>「フロンティア」が事実上消滅すると、<変質し、>米西戦争や米墨戦争、ハワイ併合など<米>国の帝国主義的な領土拡大や覇権主義を正当化するための言葉となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%BC
ジョン・オサリヴァン(John L. O’Sullivan。1813~95年)。「<米>国のコラムニスト、編集者・・・[駐ポルトガル大使も務める。]コロンビア大学で学<ぶ。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3
http://en.wikipedia.org/wiki/John_L._O’Sullivan ([]内) )
このことは、萱野自身もうすうす承知していると思われるのであって、だからこそ、彼は、1821年のモンロー主義宣明から、あえて1846~48年の米墨戦争に頬被りして、1898年の米西戦争勃発とハワイ併合へと話を飛ばしているのではないでしょうか。
また、ずっと以前に指摘したことですが、米西戦争における勝利後の旧スペイン領地域の併合ないし植民地化が中途半端なものになったのは、人種主義の米国支配層が、それ以上の、被支配者たる有色人種との人種混淆による自分達の人種的劣化を恐れたからに過ぎないのであって、「グローバルな経済空間を支配する」などという「高尚」な理由によるものではありませんした。
とにかく、上述したような、萱野の、歴史のつまみ食い的な議論は願い下げです。(太田)
M:もし金融経済がいままでどおり実物経済に対して優位にたつならば、すなわち金融経済のほうが実物経済よりも利潤が稼げるならば、ユーラシアの時代はこないかもしれない。しかし、アメリカ金融帝国のもとでの経済システムにはほころびがでてきています。だとすれば、金融経済の時代が終わって、もう一度、実物経済へのゆり戻しがくるかもしれません。そのときに、実物経済でどうやって利益を生みだすかということを考えると、ユーラシアで利益をだすほうに可能性がありそうです。中産階級の人口はユーラシアで増えてくるはずですから。・・・
2008年の金融危機によって、・・・金融経済化の方向もいきづまりつつあることがわかってきたわけですね。金融経済のもとで資本のリターンを高めようとすれば、必然的にバブルをひき起こすことになりますが、そんなことを何度も繰り返せません。」(62、64)
⇒この本の原稿ができたであろう時から現在まで、4年半くらいしか経っていないところ、その間の(日本を除く)アジア諸国の、とりわけ中共の、日本の経済規模超えに象徴される、経済規模の拡大には目覚ましいものがあり、このくだりを読むと、何と及び腰の予測をしているのか、と首を傾げたくなってしまいますが、これが、経済に限りませんが、将来予測をすることの困難性、ということなのでしょうね。(太田)
(続く)
『超マクロ展望–世界経済の真実』を読む(その4)
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