太田述正コラム#7484(2015.2.13)
<オンリー・イエスタデー:米国の黒人虐殺(その1)>(2015.5.31公開)
1 始めに
 オバマ大統領が米国の奴隷制とジムクロウはキリスト教の名の下に行われたと指摘した(コラム#7475)直後に、ジムクロウ期に行われた黒人虐殺(リンチ殺人)に関する新しいデータが提示されました。
 このデータを巡る米国の主要メディア・・取り上げ方が不足していることは明らかです・・のいくつかの記事のさわりをご紹介し、私のコメントを付したいと思います。
2 オンリー・イエスタデー:米国の黒人虐殺
 (1)序
 「新しい報告書で、数えたところ、ジムクロウ期に米国南部で殆んど4,000人に達する黒人の人々のリンチ諸殺人が行われていたとされたが、これは、これまでの南部でのリンチ殺人群の計算を約700人上回っている。
 この、平等正義イニシアティヴ(Equal Justice Initiative)・・貧者への法的諮問を提供する非営利団体・・は、<南北戦争後の>復興期末の1877年から1950年にかけて3,959人がリンチ殺人された、と計算している。・・・
 調査されたこの期間の間に最もリンチ殺人が多かったのは586人のジョージア州だ。
 2番目が576人のミシシッピ州で、3番目が540人のルイジアナ州だ。
 人口当たりリンチ殺人率が最大だったのはフロリダ州であり、人口100,000人当たり、毎年、0.594人の黒人住民達がリンチ殺人された。」
http://time.com/3703386/jim-crow-lynchings/
(2月11日アクセス)
 (2)本論
 南北戦争から第二次世界大戦にかけて、米国で比較的ありふれていたところの、黒人たる米国人男性達、女性達、及び、子供達の絞首殺、焼殺、及び、手足切断殺は、しばしば公共諸行事(public events)<として行われたもの>であったことを銘記することが重要だ。
 それらは、しばしば、諸新聞で広告され、何百、場合によっては何千もの白人観客群・・それには選出された公人達と指導的な市民達が含まれ、彼らは死の諸謝肉祭の中で余りにも<感情を>押し流されたため、切り裂かれた遺体群のすぐそばで自分達の子供達と一緒にポーズをとって記念写真を撮ったりした・・・が集まった。
 これらの、コミュニティ全体による恐ろしい暴力の諸挿話は、ルイジアナ、ジョージア、アラバマ、フロリダ、そしてミシシッピのような、リンチ殺人地帯の諸州では、市民的記憶から拭い去られてきた。
 しかし、市民権弁護士であるブライアン・スティーブンソン(Bryan Stevenson)<(注1)>が、南部全域のリンチ殺人の場所群に、諸コミュニティとこの国が、人種的テロの時代を直接正視し、今日の人種的風景を形成するのにそれが演じた役割を強制的に理解するための一つの方法として、徴群と記念碑群を設置する任務に成功すれば、それは変わることだろう。
 (注1)1959年~。黒人。ニューヨーク大学ロースクール教授。イースタン単科大学(現イースタン大学)、ハーヴァード・ロースクール、ハーヴァード・ケネディスクール卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bryan_Stevenson
 スティーブンソン氏の組織である平等正義イニシアティヴは、この10日にその方向に向けて第一歩を歩み出し、1877年から1950年に至る、12の南部諸州における、黒人達の4000人近いリンチ殺人を記録した報告書を発表した。
 この報告書は、ジムクロウ諸法や人種的分離を施行するために用いられた「人種的テロたるリンチ諸殺人」とそれが表現するところのものに焦点を定める。・・・
 南部からの<黒人達の>大移動(The Great Migration)<(注2)>・・何百万人ものアフリカ系米国人達が北部と西部へ引っ越しした・・は、白人の群集達の諸手による殺害の脅威から黒人の人々が逃れたところの、強制された移住で部分的にはあった、とそれは主張する。・・・
 (注2)「1914年から1950年まで、<米>国南部の田舎から移動した、100万人以上のアフリカ系<米国>人の動きを指した<米国>史の用語。・・・<ちなみに、>1863年に奴隷解放宣言がサインされた時、8パーセント未満が、北東部か中西部に住んでいた<し、>1900年<時点>・・・でさえ、すべてのアフリカ系<米国>人のおよそ90パーセントは、まだ以前の奴隷を保持していた州にいた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%A7%BB%E5%8B%95
 それは、リンチ殺人は、今日の刑事司法制度の中の人種的バイアスの前身であると見ている。
 その研究者達は、例えば、促進された諸裁判後に黒人達が頻繁に処刑されるようになったところの死刑戦略へと南部諸州が変遷するにつれて、社会的統制のメカニズムとしては、リンチ殺人は衰亡した、と主張する。・・・
 スティーブンソン氏の集団は、それがこの国を今日に至るまでよろよろ歩きさせている人種的不正義の諸原因でありかつ諸起源であることを米国が完全に理解することができるまで、この歴史が正しく記念され、より広範に議論される必要がある、という説得力ある主張を行っている。」
http://www.nytimes.com/2015/02/11/opinion/lynching-as-racial-terrorism.html?ref=opinion
(2月12日アクセス)
(続く)