太田述正コラム#7504(2015.2.23)
<映画評論44:アニーAnnie>(2015.6.10公開)
1 始めに
この映画・・原題は’Annie’・・を見終わった時の私の感想は、おとぎ話としては面白いが、制作者の狙いがミエミエであざと過ぎる、というものでした。
 若干調べてみて、この感想が概ね正しかったことを確認できました。
 1924年から、(元々の作家が1968年に亡くなってからも、)2010年まで超長期にわたって続いたコミックの『小さな孤児のアニー(Little Orphan Annie)』
A:http://en.wikipedia.org/wiki/Little_Orphan_Annie
の一部から想を取ったところの、1977年のミュージカルの『アニー(Annie)』
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Annie_(musical)
の筋を改変した2014年の映画が今回俎上に載せた作品です。
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Annie_(2014_film)
 実は、上記ミュージカルは、1982年にも映画化されており、更に、1999年にTV映画化もされているのですが、これらは、内容的にミュージカルに忠実なものであったようである(B)ことから、今回の映画が比較対象すべきはミュージカルだけである、と言ってよいでしょう。
2 ミュージカルと異なっている点
 –制作された時代–
〇ミュージカル:「<米国>がベトナム戦争の傷からまだ癒えない77年」(この映画のパンフレット(D))
●映画    :「世界の各地で衝突が起こり経済的にも先が見えにくい今」(D)
 –時代設定–
〇ミュージカル:「舞台は1933年、世界大恐慌直後の真冬のニューヨーク。街は仕事も住む場所もない人で溢れ、誰もが希望を失っていた。そんな中、どんな時も夢と希望を忘れないひとりの少女が・・・ニューヨーク市立孤児院に住<んで>いた。・・・ホワイトハウスを・・・大富豪<の>・・・ウォーバックスと訪れていたアニーは閣僚たちを目の前にして希望を失わないことを説きフランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を発案<し、実現させ>る。」
B’:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%BC 
●映画    :「物語の背景は現代のニューヨークへと移る。従って、ルーズベルト大統領は登場しないし、<同じ>大富豪<だが、ウォーバックスならぬ>スタックス・・・はモバイル事業の成功者にして市長選に立候補中という設定にな<っ>・・・た。<なお、少女は里親のミス・ハニガンの下で他の4人の孤児と共に暮らしていたという設定だ。そして、彼女が、自分自身、及び、スタックスと彼の女性秘書、を幸せにするとともに、ミス・ハニガンを悔悛させる。(映画)>」(この映画のパンフレット(D))
 –登場人物–
〇ミュージカル:「ミス・ハニガン<は>・・・結婚していないことを引け目に感じてい<る>・・・強欲ないじわるキャラ」(D)
        「ミス・ハニガンには弟ルースターがいて、二人はアニーの両親探しで悪巧みを考えつき、アニーの両親をでっちあげる。」(D)
        「アニー<は>・・・”赤毛の白人”」(D)
●映画    :「ミス・ハニガン<は>・・・人気歌手になりそびれた過去から逃れられず、・・・有名になれなかったことに劣等感を持っている<ところの、>・・・自分と向き合えない心寂しい女性」(D)
        「ガイ<という今回初めて登場する人物>がミス・ハニガンと手を組む悪役となっている<ところ、>・・・。・・・ガイはスタックスの政治コンサルタント<であり、>ジェームズ・カーヴィル(クリントン元大統領の選挙顧問)やカール・ローヴ(アメリカの政治コンサルタント)をモデルにしている。・・・彼は終始悪人で、スタックスを当選させるためなら手段を択ばない。」(D)
        「<アニーは”赤毛の>黒人<”>」(D)
3 コメント
 ミュージカルもこの映画も、制作されたのは、どちらも米国が深刻な危機に直面していた時代であるわけですが、ベトナム戦後において、やはり、米国が深刻な危機に直面していた大恐慌期を回顧し、その危機を乗り越えた・・実際には、乗り越えられなかったわけですが、ニューディールによって乗り越えたということになっていた・・ではないか、だから、今回も乗り越えられる、というメッセージを盛り込んだミュージカルが作られたのに対し、現在にあっては、米国が直面している危機は、これまでのどの危機よりも深刻であって、社会全体として乗り越えられる展望が持てないが故に、個々人がその努力や持って生まれた人柄によって幸せになるしかないところ、それくらいなら、依然として実現可能である、というメッセージを盛り込んだ映画が作られた、ということです。
 この映画において、持って生まれた人柄、次いで努力ないしは無努力、によって幸せになる人を象徴するのが主役のアニーであり、努力、次いで持って生まれた人柄、によって幸せになる人を象徴するのが準主役のスタックスなのです。
 私があざといと思ったのは、この映画では、(ミュージカルとは違って、)主役と準主役(だけ)を、あえて黒人にした点です。
 こういった形で幸せになる黒人など殆んど存在しないにもかかわらず・・。
 実際、政治家の頂点であるところの、現在の大統領のオバマは黒人ですが、黒人たる彼の父親は、米国出身の、つまりは奴隷出身の黒人ではありません(注1)し、芸能人として活躍している黒人はいても、実業家として成功している黒人など殆んど聞いたことがありません。(注2)
 (注1)黒人人口は20%
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E3%81%A8%E4%BD%BF%E7%94%A8%E8%A8%80%E8%AA%9E
だというのに、オバマが上院議員になった時まで6年間も黒人の上院議員は1人もいなかった。現在でも、100名中2名に過ぎない。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_African-American_United_States_Senators
 (注2)下掲を見ると改めて衝撃を受ける。
http://www.biography.com/people/groups/african-american-firsts-entrepreneurs ( この中に登場する、わずか18名の黒人実業家(entrepreneur)中、名前が知られているのは、オプラ・ウィンフリーくらいなものだが、彼女は実業家とは必ずしも言えないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC
 つまり、この映画は、ミュージカルを換骨奪胎して、おとぎ話にしてしまったところ、米国での観客達は、そのようなものとして、この映画を鑑賞するに違いないのです。
 この、黒人たる主役と準主役の二人が幸せになる・・準主役に至っては美人の白人秘書と結ばれるというオマケ付・・、というおとぎ話映画を鑑賞することで、黒人観客は、暫時、夢の世界に浸れるし、白人観客は、過去及び現在の自分達による黒人差別への罪悪感を、黒人が逆差別されるというこのおとぎ話映画を見ることで、暫時、軽減することができる、ということから、この映画にはそれなりの集客力が生まれる、という計算が制作者によって行われている、ということです。
 それなのに、この映画の日本語パンフレットでは、ミュージカルと違って、準主役・・ミュージカルではウォーバックス、映画ではスタックス・・が黒人に変えられたことに全く言及していないのですから、困ったものです。
 なお、主役が、小学校に通っているというのに、全く字が読めない、という設定にした(映画)ことにも、このパンフレットは触れていませんが、これは、主役が怠け者で、まさに、持って生まれた人柄だけで幸せを掴んだ、と言いたいがためなのかもしれませんが、いずれにせよ、制作者の黒人差別(侮蔑)意識が垣間見られたような気がして不快でした。
 最後にもう一言。
 歌曲群に関し、心の琴線に触れるものが皆無のミュージカル劇に遭遇したのは、私としては、初めての経験でした。