太田述正コラム#7512(2015.2.27)
<映画評論45:ベイマックス(その2)>(2015.6.14公開)
今度は、ネット検索したのではなく、私がいつも読んでいる主要メディアの電子版でこのところ遭遇したロボット関係の記事のさわりをいくつかご紹介しましょう。
 (『ベイマックス』の話にいつなるのかですって?
 まあ、そうおっしゃらずに・・。)
 
 まず、日本人の権威の言からです。
 「・・・「<ロボットの>脳は、性能においても下降する価格においても、信じられないほど速く伸びている」、と、自動車産業に工業ロボット群を売っているところの、急成長を続けている」、<日本の安川電機の社長は>は語った。
 「最大の問題は、作業をする諸手なのだ」、と。
 「人間の諸手は信じられないほどの精密さを有する」、と、彼は自分の掌を差し上げて語った。
 「ここには10,000個を超えるセンサー群がある。
 一個の装置(hardware)に10,000個を超えるセンサー群をつけるなんてことは<、まだムリだ>」、と。
 「大量のロボット群の使用は、依然、工場群におけるものに概ね留まっている。
 そこにおいては、まさに、コントロールされた環境が、人間達との接触による安全上の危険、及び、ロボット群が彼らを取り巻く世界を感じ取る(sense)必要性、を限定する<からだ>」、と。
 日本のファナックや<この>安川といった諸会社は、工場自動化の全球的市場を牽引している。・・・
 「ロボット群を恐れるよりも、人々が彼らの到来に拍手を送るべき諸事例の方が多い」、と<この社長>は語った。
 「自動車工場へ行けば、まだ、大勢の人々が、骨の折れる作業であるところの、単純な諸物の運搬を行っていることが分かるはずだ。
 我々が人々にやって欲しいと要求すべきではないような、沢山の作業・・非人間的な作業・・がまだある」、と。
 工場群以外では、彼は、倉庫群や流通センター群を、ロボット群が進歩をもたらすことができる場所群として挙げた。
 ロボット群が諸仕事を破壊しているとの諸懸念にもかかわらず、皮肉にも、<この社長は、>この市場の成長の主要な諸制約の一つは、人間である技術者達の不足である、と語った。
 「単にロボット群を製造するだけでなく、彼らを使用するためにも、相当の水準のエンジニアリングが必要なのだ」、と彼は語った。
 「むしろ、我々にとっても、市場全体にとっても、成長は、それを行うことができる技術者数によって上限を画されるのだ」、と。
 低コストの諸競争相手によるところの、ソニーのような<日本の>諸エレクトロニクス会社の衰亡にもかかわらず、<この社長は、>ロボット工学(robotics)<の分野>においては、<日本が>同じ運命に苦しむことはない、という自信を抱いている。・・・」
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/d0769e82-b8da-11e4-b8e6-00144feab7de.html?siteedition=intl#axzz3SWd7l4vG
(2月23日アクセス)
 どうやら、ロボット産業も、その大得意の一つである自動車産業同様、モジュール化に限界があるところの、従ってまた、部品の低価格化に限界があるところの、摺り合わせ技術がモノを言う、日本が得意な分野であるようですね。
 次いで、米国の権威の言です。
 「・・・不幸なことに、人工知能(A.I.)についての依然として人口に膾炙している概念、少なくとも、無数の映画、ゲーム群、そして本群、において描写されている概念、は、人間のような諸特徴・・冷たい疎外はもとより、怒り、嫉妬、混乱、強欲、誇り、欲望・・が、見張り台から見張られるべき最も重要な事柄であることを当然視(assume)しているように見える。
 この人間中心的(anthropocentric)な誤謬は現在の人工知能研究の諸含意と矛盾するかもしれないのだけれど、高度な人工的な認識力(advanced synthetic cognition)との遭遇を我々の文化の多くがそれを通して見るプリズムであり続けているのだ。
 スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)の『A.I.(A.I. Artificial Intelligence)』<(注1)>に登場する小さな少年ロボットは彼の小さな金属製の心一杯に、本当の少年になりたいと思うし、『ターミネーター(Terminator)』<(注2)<に登場するスカイネット(Skynet)は、人類のジェノサイドに憑りつかれている。
 (注1)米SF映画。「地球温暖化が進んで一部の海に近い土地が沈み、妊娠・出産に厳しい許可制度がしかれ、人間の代わりに多くの資源を必要としないロボットが活躍する未来。その時代に人間と同じ愛情を持つ少年型ロボットとして開発されたデイビッドは、彼を製作したロボット製造会社の社員、ヘンリーとその妻モニカの元へ試験的に送られる。夫妻には不治の病を持つ息子のマーティンが居たが、現在は冷凍保存で眠っていて目覚める保証はなく、実質的に子供がいないのと同じだった。
 起動させたモニカを永遠に愛するよう、元々変更がきかないようにプログラムされたデイビッドだったが、マーティンが奇跡的に病を克服して目を覚まし、退院して家に戻ってくる。それからモニカはデイビッドよりもマーティンの方に特に愛情を注ぐようになった。ある日マーティンとデイビッドが遊んでいる最中、マーティンの生命に関わる事故が発生し、デイビッドは森に捨てられる。
 デイビッドは、・・・様々なトラブルに遭いながらも、・・・ただひたすらにモニカの愛を求めて旅を続け、最後は海に落ちてしまう。それでも彼は意識を失うその瞬間まで「僕を愛して」と望み続けた。
 それから2000年が経ち、地球は厚い氷に覆われ、人類は絶滅していた。海底で機能停止していたデイビッドは、より進化したロボットたちに回収され、再起動される。
 デイビッドは彼らに歓迎され、願いを1つ叶えてもらえることになり、モニカと過ごす日々を望んだ。技術が発達しているその世界ではクローン技術も進歩していたが、再生されたクローンは長く生きられないため、たった1日しか一緒にいられないことを告げられる。それでも希望を捨てないデイビッドの願いを尊重したロボットたちは彼の願いに応え、デイビッドは母の愛にあふれた暖かな1日を過ごし、最後は人間と同じように眠るのだった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/A.I.
 (注2)英米SF映画シリーズより。「自我を持ったコンピューターとされ、細かな設定は作品間で相違がみられる(歴史が変わったためともとれる)。自己の存続のためにもっとも優先順位の高い活動をする設定がされており、自らを破壊しようとする存在=人類の殲滅を目的とする。
 『ターミネーター』(1984年公開)および『同2』(1991年公開)では、軍用コンピューターネットワークの基幹コンピュータとして描かれ、こと2作目では未来から来た殺人アンドロイドT-800の並列処理機能を備えたメインプロセッサをリバースエンジニアリングした技術を元に、現代で設計されたものとして描写されている。
 設定および作中の台詞によれば、この並列処理機能を備えたコンピュータが自我に目覚め、これを恐れた人間側は機能停止を試みる。この停止措置を自らへの攻撃と捉えたそのコンピュータは、<米>東部時間の1997年8月29日午前2時14分、人間側を抹殺すべく核ミサイルをロシアに向けて発射し、全世界規模の核戦争を誘発させた(「審判の日」)。核戦争後、スカイネットは更に人間狩りを実行し絶滅寸前にまで追い詰めるが、人類側に強力な指導者が出現、彼の率いる反スカイネットゲリラ組織「抵抗軍」により最終的に破壊された。
 『ターミネーター3』(2003年公開)では、同作2で開発される可能性まで阻止されたことから未来が変更され、単一の軍基幹コンピューターではなくインターネットなど既存コンピュータネットワークを介して媒介されるコンピュータウイルスにより、それらのコンピュータ群が並列処理を行いながら一つの意識を共有する存在となった。
 『ターミネーター4』<(2009年公開)>では、『1』や『2』の路線に準じた存在形式になっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB) (<>内)
 我々は、自動的に、スタンレー・キューブリック(Stanley Kubrick)とアーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)による1968年の映画である『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』<(注3)>に登場するモノリス(Monoliths)が、主役のデビッド(Dave)の宇宙線の人工知能であるハル(HAL)9000にではなく、デビッドと語ろうと欲している、と自動的に見做(presume)してしまう。
 (注3)米SF映画。「月に人類が住むようになった時代。<米>宇宙評議会のヘイウッド・フロイド博士は、月の・・・クレーターで発掘された謎の物体「モノリス(TMA・1)」(「一枚岩」)を極秘に調査するため、月・・・に向かう。調査中、400万年ぶりに太陽光を浴びたモノリスは強力な信号を木星・・・に向けて発した。
 18か月後、宇宙船ディスカバリー号は木星探査の途上にあった。乗組員は船長のデビッド・ボーマンとフランク・プールら5名の人間(ボーマンとプール以外の3名は出発前から人工冬眠中)と、史上最高の人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータであった。
 順調に進んでいた飛行の途上HALは、ボーマン船長にこの探査計画に疑問を抱いている事を打ち明ける。その直後HALは船の・・・故障を告げるが、実際には問題なかった。ふたりはHALの異常を疑い、その思考部を停止させるべく話しあうが、これを察知したHALが乗組員の殺害を決行する。プールは船外活動中に宇宙服の機能を破壊され、人工冬眠中の3人は生命維持装置を切られてしまう。
 唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考部を停止させ、探査の真の目的であるモノリスの件を知ることになる。
 単独で探査を続行した彼は木星の衛星軌道上で巨大なモノリスと遭遇、スターゲイトを通じて、人類を超越した存在・スターチャイルドへと進化を遂げる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85
 私は、「真の」人工知能がその焦点と動機付けとして、人間(humanity)、とりわけ我々、を深くケアしなければならない、という自惚れを放棄すべきであると主張するものだ。
 恐らく、我々が本当に恐れるのは、我々を殺したい巨大機械(Big Machine)というよりは、我々を取るに足らない存在(irrelevant)と見るものなのだ。
 敵として見られるよりも悪しきことは、全く一瞥もくれられないことなのだ。・・・」
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/02/23/outing-a-i-beyond-the-turing-test/?ref=opinion&_r=0
(2月25日アクセス)
 たまたま、ここで取り上げられた映画/シリーズは、私は、3つともTVで鑑賞したことがあるのですが、『A.I.』に登場するロボットは日本人型で人間に優しいのに対し、『ターミネーター』シリーズ、及び、『2001年宇宙の旅』に登場するロボット・・人間の形状はしていませんがロボットと言っていいでしょう・・は欧米型で人間に敵対的です。
 (『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスは、異星人が作ったロボットであって、人間から見れば、生物の進化を促す存在、
http://en.wikipedia.org/wiki/Monolith_(Space_Odyssey)
つまりは神のような存在である以上、ハルだけがロボットなのであって、このコラム筆者の認識は誤っています。)
 なお、『A.I.』の原案はキューブリックが作っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/A.I. 前掲
ところ、私は、欧米型ロボットを登場させた『2001年宇宙の旅』の監督をしたキューブリックが、日本型ロボットを登場させる映画も制作したかったということだろう、という素朴な想像しています。
 ちなみに、当然のことながら、欧米型ロボットの登場する『2001年宇宙の旅』は米国ではあたっても日本ではあたらず、逆に、日本型ロボットの登場する『A.I.』は米国ではあたらなかったけれど日本ではあたったところです。(それぞれのウィキペディアによる。)
(続く)