太田述正コラム#7634(2015.4.29)
<『日米開戦の真実』を読む(その8)>(2015.8.14公開)
(3)佐藤による「「国民は騙されていた」という虚構」から
「日中戦争、太平洋緒戦争は単一の戦争ではない。まず、ソ連との関係において、日本は侵略された立場だ。この点について、日本がソ連そしてその後進国であるロシアからファッショ国家であるとか、軍国主義者であると非難される道理はない。
⇒大川は、先の大戦(日支戦争/太平洋戦争)は、日本の対ソ連(対赤露)冷戦の真最中に、そんな日本の冷戦遂行の邪魔をした蒋介石政権ないし米英等との間で戦われた熱戦であった・・太平戦争開戦当時には大川らにはそこまで予想する由もありませんでしたが、それに最終場面で本来の敵であったソ連が加わることで、冷戦が熱戦に転化した、・・ということに無知であったと考えられるところ、佐藤優ら戦後日本の平均的「国民」は、まさに、そんな大川が片棒を担がされたところの、開戦時に、日本政府・・より端的には当時の外務省・・がでっちあげた『日米開戦の真実』史観という「虚構」によって「騙され」続けてきた、と言っていいでしょう。(太田)
第二に、アメリカは、イギリスとの関係について、これは通常の帝国主義戦争である、従って、その当時に存在した国際法の枠内で日本に違反があれば、それに対する責任を認めなくてはならない。
⇒先の大戦は「単一の戦争ではない」というのは、上述の「虚構」によって「騙され」続けてきた戦後の平均的日本「国民」に普遍的に見られる誤った認識です。
帝国主義戦争とは、外国の領域や住民に対する統制権の獲得を目的とする戦争ということでしょうが、米英ソ等・・後で触れるところの蒋介石政権はこの中には入らない・・にとっては、帝国主義戦争であっても、上述したように、日本にとっては、断じてそうではなかったのであり、日本が外国の領域や住民に対する統制権を獲得しようとしたとしても、それは、目的たる対赤露抑止を達成するための手段に過ぎなかったからです。(太田)
第三に、中国を含むアジア諸国に対しては、結果として日本がこれら諸国を植民地にしたことで迷惑をかけ、植民地にされた諸国と諸民族からすれば侵略と受け止められる行為に従事したことは間違いない。この点に関して日本が国家としておわびと反省をすることは当然である。」(141~142)
⇒満州国の設立は、対ソ緩衝地帯設置を目的とするもであり、その結果として、日本は満州を事実上の植民地にした・・但し、本来の意味での八紘一宇精神に基づく五族協和を掲げたのですから、厳密に言えば、宗主国の民族が原住民を支配するところの、欧米流の植民地ではないことに注意・・けれど、日支戦争中の支那本体の東部の領域・住民、及び、太平洋戦争になってからの東南アジア諸地域の領域・住民の統制は、戦争中の軍事占領ないし(仏印やタイに対するもののように)それに準じるものに過ぎず、日本は、植民地にしたわけではありませんでした。
それが証拠に、日本は、戦時中にもその一部は(形の上であったけれど)独立させましたし、少なくとも戦後における独立を約束していました。
従って、佐藤優の主張するように、「植民地」にしたことを日本がおわびと反省をする必要など基本的にない、というか、日本がおわびと反省をする根拠が基本的にない、のです。
蒋介石政権・・国共合作をしていたが、中国共産党はこの場合捨象する・・は少し事情が異なりますが、同政権の本来の仇敵である(国際共産主義勢力という意味での)赤露を抑止しようとする日本の邪魔をするという自傷行為をしでかした同政権に、日本がおわびと反省をする必要はやはりありますまい。
もとより、先の大戦中に、日本の行為によって、直接的、間接的に、支那と東南アジア(ひいては太平洋地区やインドを一部)の住民が多大な損害を被ったことに対しては、日本は深甚なる遺憾の意を表する必要がありますが・・。(太田)
「松沢病院から<精神異常状態を脱した>大川周明を法廷に呼び戻したならば、大川は『米英東亜侵略史』の論理で、日本が開戦に追い込まれた理由を説明するであろう。東京裁判と言う「本土決戦」の場で展開されるであろう大川の言葉の力にアメリカ人が怖じ気づいたのだと筆者は見ている。それだからこそ東京裁判60周年のいま、本書を復刻する意味があるのだ。・・・
深い学識に裏付けられた合理性を十二分に発揮しながら、対米英開戦という重大決断に関する日本政府の説明責任を大川は見事に果たしている。」(143~144)
⇒仮に佐藤の言う通りだとすれば、そもそも、米国は大川を起訴しなかったはずでしょうが・・。
一体、佐藤の頭の構造は、どうなっているのでしょうね。
私は、以下のように考えます。
極東裁判は、事後法による断罪という、ニュルンベルグ裁判と同様の異常な「裁判」であっただけでなく、それに加えて、米国と被告達側が、暗黙裡に、昭和天皇の免責という点で一致しつつ進められた、という点で、一層異常な「裁判」でした。
(そもそも、昭和天皇は、政治面でこそ免責の余地があったとしても、軍事作戦面ではそんな余地などないはずなのですからね。
日支戦争が始まってから3年間の参謀総長が皇族の閑院宮であったこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AC%80%E6%9C%AC%E9%83%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
も想起してください。)
天皇を免責させるために一番好都合だったのが、「深い学識に裏付けられ」てなどいない、『米英東亜侵略史』史観です。
なぜなら、同史観においては、極東委員会及び判事団の一角を占め、天皇訴追を主張していたソ連を喜ばせるような、対赤露抑止への言及、がなされていないだけでなく、同じく天皇訴追を主張していた米国の世論を激高させるような、正鵠を射、だからこそ厳しい米国批判もまたなされていなかったのですからね。
(極東裁判論については、論じ出すときりがなくなってしまうこともあり、参謀総長以外の典拠についても省略させてもらった。)
以上を踏まえれば、米国が、大川周明を法廷に呼び戻さなかった理由は明らかでしょう。
その頃までには、大川以外の被告達が、『米英東亜侵略史』史観でもって口裏合わせをやってくれる、という心証を米国が得るに至っていたからです。
もはや、大川は用済みだったということです。
いや、用済みどころか、そんな中になまじ「正常」な大川を復帰させたら、唯一の民間人、つまりは、唯一、昭和天皇から公的に恩義を賜っていない人物で、その意味で自由であるだけでなく、そもそも自由人である彼が、『米英東亜侵略史』史観・・それが大川自身の史観と全く同じ保証などない・・と違ったことを言い出しかねない、と米国が危惧したとさえ想像されるところです。
いかがでしょうか。
ところが、佐藤が言っていることは・・。
もう一度繰り返します。
一体、佐藤の頭の構造は、どうなっているのでしょうね。(太田)
(続く)
『日米開戦の真実』を読む(その8)
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