太田述正コラム#7680(2015.5.22)
<内藤湖南の『支那論』を読む(その15)>(2015.5.21配信)(2015.9.6公開)
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[日本型政治経済体制の中の日本型経営]
日本の政治や行政の人間主義性に触れたので、ここで、その経済の人間主義性にも触れておこう。
下掲の記事参照。
「スズキ、揺らぐ独立 トヨタによる買収、現実味高まる・・・
VWの議決権付き株式は、独ポルシェの創業家であるポルシェ一族とその縁戚のピエヒ一族で51%を保有している。しかし、経営幹部の任免権は20人で構成される監査役会にある。このうち半数の10人が被雇用者側の代表であり、VWの本社があるニーダーザクセン州政府・・・<(>株式の20%を握る・・・第2位の株主<)>・・・も2人分の投票権を持つ。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/10131437/
(5月20日アクセス)
記事の、(それ自体が興味ある)テーマとは違う箇所を主として引用したのは、ドイツ型経営、ひいては欧州型資本主義とは、法的/非柔軟に、かつ、部分的に、実践されている日本型経営、ひいては日本型経済体制である、ということを言いたいがためだ。
ドイツ型経営が法的/非柔軟であるのは、従業員の経営参加が法律により、そして、国の経営参加が株式の所有により、辛うじて担保されているからだ。
(ドイツは連邦制なので州政府だが、フランスの場合は国そのものとなる。
例えば、カルロス・ゴーン会長兼CEO率いるルノーは、フランス政府が株式の約15%を保有している。なお、「日本の日産自動車とお互いの株式を持ち合い名目上は対等の「ルノー=日産アライアンス」を構成しているが、日産はフランスの国内法の制限により議決権を行使できないため、ルノーが事実上傘下に収めている」ところだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC )
他方、住友関係の資料群を踏まえた私の下掲の説明を参照して欲しいが、少なくともその理念型にあっては、日本的経営は人間主義の実践・普及そのものである、と言ってよさそうだ。
当然、それは、従業員や国のためのみならず、地域、世界、或いは自然環境等のための経営でもある、ということにならざるをえない。↓
「安土桃山時代から江戸時代初期まで存在した日本の仏教の一派<たる、>・・・所依の経典<を>『涅槃経』と『法華経』<とし、>・・・後陽成天皇<の庇護を受け、>・・・一向宗同様、僧侶<が>妻帯<可能であった、>・・・涅槃宗・・・<の>開祖<空源の高弟であったところの、>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E5%AE%97_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
住友政友(1585~1652年)は、涅槃宗が幕府によって事実上禁教とされた後、京都で「僧形のまま・・・出版業・薬種業・・・を始め」、住友の家祖となったが、「旧涅槃宗徒に手紙などで教化活動を<続け>」、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%8F%8B%E6%94%BF%E5%8F%8B
「正直・慈愛・清浄]を説<いた。>
http://www.sumitomo.gr.jp/story/01/03kyoto.html
「京都から大阪に進出した住友2代目・友以<・・政友の姉の子・・>は、・・・[仏教への信仰が厚く、嵯峨野・清凉寺本堂の建立や、自筆の紺地金泥の法華経を遺した<人物だが、>]・・・<実父で住友業祖とされる>蘇我理右衛門の助言などを参考に事業拡大をはかり成功させ<、大阪>・・・に大規模な銅吹き所(精錬所)を開設した・・・<。彼の>銅山を持つ<という>夢は住友三代目<以降の手によって成し遂げられた。>・・・
「銅山経営とは、個人企業のためではなく国家のための仕事である」–これは江戸期からの住友家の考え方である。」
http://www.sumitomo.gr.jp/story/02/02osaka.html
http://www.sumitomo.gr.jp/story/02/01osaka.html ([]内)
この住友は、「いやしくも浮利に走り軽進すべからず」等を家訓とすることとなる。
http://systemincome.com/5886
ここには、市場原理主義的なものが入り込む余地などない。
「住友は、別子煙害問題を如何に解決したか」
http://www.smm.co.jp/csr/environment/history/index.html
が、住友の地域及び自然環境への配意ぶりを端的に示している。
以上のような住友の経営が、住友よりやや遅れて開業した三井(越後屋)や、明治維新直後に開業した三菱、等、ということは、日本の、殆んどの大企業、ひいては殆んどの企業、の経営の有力な範例となったことは、想像に難くない。
(銅山経営を中核として発展した財閥には、明治維新後の、古川と久原(日立)もあるが、前者は足尾銅山の公害への対処で汚点を残したのに対し、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%8A%85%E5%B1%B1
久原は、日立鉱山の公害への対処に尽力した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AB%8B%E9%89%B1%E5%B1%B1 )
なお、住友の家祖及び2代目の事跡に『法華経』が登場していることは、先だって、同じく『法華経』所依者たる日蓮や石原莞爾、宮沢賢治らを論じたこともあり、感慨深いものがある。
私は、住友の上記家訓を知って関心を持ち、役人時代に四国に出張した折、わざわざ足を延ばし、住友と切っても切り離せない関係にある、愛媛県新居浜の別子銅山の記念館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%AD%90%E9%8A%85%E5%B1%B1%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
を、住友金属鉱山の別子事業所を訪問しがてら見学させてもらったことがある。
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(続く)
内藤湖南の『支那論』を読む(その15)
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