太田述正コラム#7720(2015.6.11)
<改めてドーキンスについて(その1)>
1 始めに
一時中断している「キリスト教の原罪思想のおぞましさ」、及び、長きにわたって中断している「85歳のウィルソン」シリーズの双方に関わる、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)<(コラム#2629、3616、3718、3721、5284、5561、6483、7238、7479、7712)>の長文紹介記事
http://www.theguardian.com/science/2015/jun/09/is-richard-dawkins-destroying-his-reputation
(6月9日アクセス)を目にしたので、私自身の息抜きも兼ね、既に太田コラムで触れたことのある話との重複を厭わず、この記事のさわりをご紹介するとともに、若干のコメントを付すことにしました。
2 改めてドーキンスについて
「この10年における、全球的な顔として、ドーキンスは、彼の、宗教に対する、自ら宣言したところの、戦争の修辞を直線的に進めてきた。
彼は、前線で戦闘することを選んだ将軍だ。
彼の焦土戦術は、熱烈な憧憬者達と凶暴な敵達を生んだ。
はっきりしていないのは、彼が勝利を収めつつあるのかどうかだ。・・・
ドーキンスは、この任務に1976年から就いている。
その年、彼は『利己的遺伝子(The Selfish Gene)』<(注1)>を出版した。
(注1)1976年出版。「利己的遺伝子論とは、進化学における比喩表現および理論の一つで、自然選択や生物進化を遺伝子中心の視点で理解すること 。遺伝子選択説もほぼ同じものを指す。1970年代<に>・・・ジョージ・ウィリアムズ、E・O・ウィルソンらによって提唱された。・・・ドーキンスが<この本で>・・・で一般向けに解説したことが広く受け入れられるきっかけとなったため、ドーキンスは代表的な論者と見なされるようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90
この本は彼を有名にし、100万部超を売り上げてきた。
以来、彼は、更に10冊の影響力ある、科学と進化に関する本群、及び、それに加えて、彼の無神論の大ヒット作である、『神は妄想である(The God Delusion)』<(注2)>を書き、9.11<同時多発テロ>以降に反宗教論争(polemics)本を出版したところの、クリストファー・ヒッチェンス(Christopher Hitchens)とサム・ハリス(Sam Harris)ら著述家集団たる、いわゆる新無神論者達(New Atheists)のうちの最も著名な存在になった。・・・
(注2)2006年出版。「科学的精神こそが唯一真に普遍的且つ合理的なものだとする見解を開陳し、キリスト教を筆頭にあらゆる宗教はそれに反する邪悪且つ人類の進歩にとって有害なものであるとして、全ての宗教と神秘主義に批判的になることそして科学的に考えることが重要なのだ、と訴え<た。>・・・各民族の文化的・文学的伝統や結婚、葬式などの儀礼までは否定していない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E5%A6%84%E6%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B
宗教的信仰は、ドーキンスにとっては、何よりも、欠陥ある(faulty)思考(thinking)、無知、の兆候なのだ。
というわけで、彼は、誤った情報を与えられた者達を彼らの諸過誤から教育したいと欲している。
彼は、・・・宗教を、「許容された(acceptably)馬鹿(stupid)になるための組織化されたライセンス」と見ている。・・・
ドーキンスとウォード(Ward)<(注3)>は、1996年以来、北オックスフォードの広大な家に住んできた。
(注3)Lalla Ward(本名:Sarah Ward。1951年~)。英王室の血を受け継ぐ子爵の令嬢。14歳で自ら公教育を受けることを拒否。本の執筆、編み物、刺繍、陶芸、料理等がプロ級。初婚が破綻に終わった後、別の男性と同棲、1992年の40歳の誕生日にこの男性の紹介でドーキンスに会い、その年の間に結婚した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lalla_Ward (←写真付)
ウォードは『ドクター・フー(Doctor Who)』<(注4)>の中のタイム・レディー・ロマーナ(Time Lady Romana)役で有名な女優だが、オックスフォード大の同僚動物学者たるマリアン・スナプ・ドーキンス(Marian Stamp Dawkins)<(注5)>、そして、彼の娘のジュリエット(Juliet)の母親であるイヴ・バーラム(Eve Barham)、に次ぐ、彼の3番目の妻だ。・・・
(注4)「本作は1963年からイギリスBBCで放映されている世界最長のSFテレビドラマシリーズである・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC
第四代目ドクター・フーのタイムトラベル同行者。ウォードはその第二代目を演じた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Romana_(Doctor_Who)
(注5)1945年~。オックスフォード大卒、講師を経て教授。動物厚生学専攻。1967~84年の間ドーキンスと婚姻関係。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marian_Dawkins (写真付)
(注6)1951~1999年。
http://www.geni.com/people/Eve-Barham/6000000010801708243
彼女については、ドーキンスは、その名前を口にすることすらいやだ、としている。
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/anatomy-of-a-selfish-genius-1178659.html
マリアンと離婚した年に彼女と再婚した。
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/anatomy-of-a-selfish-genius-1178659.html
イヴとの離婚原因も離婚した年も不明。離婚後、癌で死亡。
http://h2g2.com/entry/A80888106 等
⇒想像を交えれば・・《》部分は私の想像(妄想?)・・、最初の結婚は、《奥手だった》彼が直近にいた高IQの女性に手を出したものであり、二番目の結婚は、《(写真がないのが残念だが)美人であることだけが取り柄の女性と不倫関係になり、》(ドーキンス姓を維持したことからも推察されるように、依然彼を愛し尊敬している)初婚の相手と離婚し、ただちに《浮気相手と》再婚したものであったところ、《すぐにこの結婚が間違いであったことを彼は悟ったものの、彼女が離婚に容易に応じず、》泥沼的状況が続いた《後、ようやく離婚が成立した》。三番目の結婚相手は、家柄、美貌、地頭の良さ、女子力の4つが揃った、《彼の理想の女性だった、》といったところでしょうか。(太田)
ドーキンスは、1941年に<ケニアの>ナイロビで生まれた。
彼は、8歳になるまで、第二次世界大戦の間、国王アフリカライフル部隊(King’s African Rifles)に入隊するまで農務官として働いていた父親の下で、東アフリカで家族と共に生活した。
当時でさえ、最も生き生きとした自然に囲まれていたというのに、ドーキンスは<それに>鼓吹されることはついぞなかった。
彼は、少年として、サファリの車で死骸を食べているライオンの群を見物しに連れていかれたことを覚えている。
同行者達は<ライオンに>見とれていたが、彼は床の上で玩具の車群と遊び続けた。<(注7)>・・・
(注7)その後の彼の経歴は次の通り。「ドーキンスは幼少時代を「ごく普通の英国国教会信徒として育てられた」<が>・・・9歳の頃には「神の存在は嘘である」と考え始めた。しばらくすると・・・「自然の秩序や目的、複雑なデザインは神の存在の証拠である」とするインテリジェント・デザイン説の主張に納得させられ、信仰に戻った。その後再び、「国教会の習慣は不条理で、神を用いた道徳の押しつけだ」と考えるようになった。そして進化のプロセスを理解するに従い、彼の宗教的な視点は最終的に転換し元には戻らなかった。彼は自然選択が生物の複雑さを十分な説得力を持って説明できると感じ、超自然的造物主の存在を不要と考えるようになった。1954年から1959年までパブリックスクールのオンドル校に通った。その後オックスフォード大学・・・で動物学を学んだ。1962年に学部を卒業し、1966年に学位を取得した。・・・1967年から1969年まで、カリフォルニア大学バークレー校に動物学の助教授として赴く。カリフォルニアでは当時進行しつつあったベトナム戦争への大規模な反戦運動が行われており、ドーキンスもこの運動に深く関わった。1970年にオックスフォード大学に講師として戻った。・・・1990年に助教授となった。1995年に、・・・新設された“科学的精神普及のための寄付講座”の初代教授に就任した。・・・2008年に・・・教授職を定年退職」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9
⇒サファリに行ってライオンを見ないというのでは、ドーキンスは、経験を通じて学ぶことが嫌いな人間、つまりは、イギリス人らしからぬ、演繹論/合理論好きの欧州的人間である、ということになりそうです。
そんな人間に、「一応」とはいえキリスト教ではある英国教会の「教義」がインプットされたのですから、彼は、生涯、その影響から逃れられないまま現在に至っている、というのが私の見立てです。
彼の、原理主義的キリスト教徒→偽科学的キリスト教徒→戦闘的無神論者/利己的遺伝子説広告塔、という変化は、本質的な変化ではなかった、と私は言いたいのです。(太田)
(続く)
改めてドーキンスについて(その1)
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