太田述正コラム#7850(2015.8.15)
<資本主義とポスト資本主義(続)(その1)>(2015.11.30公開)
1 始めに
「資本主義とポスト資本主義」シリーズ中の「3 ポスト資本主義」(コラム#7804、7806)で取り上げた、ポール・メイソンの『ポスト資本主義』の新しい書評がFTに出ていた
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/adfaf156-39cb-11e5-8613-07d16aad2152.html?siteedition=intl
(8月8日アクセス)ので、そのさわりをご紹介し、改めて、日本型政治経済体制の源流を探る形で私のコメントを付したいと思います。
2 資本主義とポスト資本主義
「・・・「資本主義は、複雑で適応性のある(adaptive)システムだが、<今や、>その適応する能力の諸限界に達している」、と著者は大声で言う。
<これが、第一の鍵となる点だ。>
ひとたび資本主義がテクノロジーの諸変化に適応できなくなれば、ポスト資本主義が必要となる。・・・
第二の鍵となる点は、IT革命についてだ、とメイソンは主張する。
それは、「情報諸財は市場が正しく諸価格を形成する能力を腐食させる」、という点だ。・・・
今や、特定の諸財は稀少ではなく、豊富なのだ・・・。<(注1)>
(注1)「・・・音楽は無償にな<り、音楽>・・・産業<は>終焉<を迎えた。>・・・」
http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2015/0807/How-Music-Got-Free-chronicles-the-art-of-music-theft
(8月8日アクセス)
・・・第三の鍵となる点は、「諸財、諸役務、及び諸組織で、市場や管理的階統の諸指示(dictates)にもはや応答しないものが出現しつつある」ことだ。
⇒市場でも(私の用語でいう)固い組織でもないもの、と言えば、私の言うところの、エージェンシー関係の重層構造からなる柔らかい組織・・日本型組織・・ということになりますね。(太田)
より具体的に言えば、人間達は自利のために行動し需要と供給に応じて諸物の価格付けを行う、と仮定することに慣れているところの、伝統的経済学者達にとって、必ずしも理解することができない形で協力(collaborating)している。
・・・世界で最も大きな情報生産物であるウィキペディアは、27,000人のボランティア達によって無償で作られている。・・・
・・・「古い左翼」の狙いは、労働者階級によって、恐らくは国家を梃として、諸市場諸メカニズムを強制的に破壊することだった。・・・
・・・[しかし、]過去25年間にわたって、崩壊してしまったのは、この左翼のプロジェクトだ。・・・
<すなわち、>メイソンは、テクノロジーが我々全員を個人主義者達へと変貌させたが、ネットワーク群が、我々を、異常に(unusually)強力な形で繋ぎ合わせるに至った、と考えている。・・・
⇒農業社会の到来が、人類の大部分を利己主義者という意味での個人主義者へと変貌させてしまったけれど、日本では、例外的に人々を人間主義者のままであり続けさせたところ、情報社会(ネットワーク社会)の到来によって、ようやく、日本以外の諸先進国も、人々を人間主義へと復帰させうる可能性が出てきた、ということでしょう。(太田)
より具体的に言えば、メイソンは、ポスト資本主義世界とは、人々の一部だけが金銭のために、しかも、<その場合においても、>ボランティアに準ずるような形で、働くような場所である、と考えている。
残りの人々は、非金銭的諸目標を追求する、というのだ。・・・
⇒比較的最近で、人々の大部分が非金銭的諸目標を追求していた社会、金銭が補完的な役割しか果たしていなかった社会、といえば、江戸時代の日本ですよね。(後で再述。)(太田)
換言すれば、メイソンの未来のヴィジョンは、政府が個人達が繁栄することを可能にする枠組みを提供するものの、国の諸機能は諸市民へと委譲される、というものなのだ。・・・
⇒まさに、江戸時代の日本そのものです。(やはり後で再述。)(太田)
3 改めて江戸時代について
下掲の2つのコラムを手掛かりとして、改めて、日本の(第二次縄文モードである)江戸時代とは、いかなる社会であったかを振り返ってみたい、と思います。↓
α:http://d.hatena.ne.jp/ced/20060715/1152924361
β:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262853
「・・・法社会学者、川島武宜<(注2)>は『日本人の法意識』の中で、日本人にはお上から与えられる法の意識はあっても、自らが行使する権利に対する意識が欠けていると指摘している・・・
(注2)1909~1992年。東大法卒。「東京大学在職中に発生した大学紛争の際、学生による大学封鎖によって研究室を荒らされてしまい、収集・保存していた貴重な本や調査メモなどが消失してしまった。法社会学者としては、長年調査した膨大な調査メモを失ったことにより、研究活動や出版などはほとんど不可能となった。さらに、授業中に学生が突入してきて授業を中止させられたり、集団カンニングが発覚しても反省するどころか開き直りをされるなどして、「学生アレルギー」により精神的に追い込まれたため、辞職を覚悟した。家族の支えにより、なんとか定年退官まで勤め、退官後も私立大学から招聘があったものの、学者としては最早「死んだ」に等しい状況では学術活動を行えないと判断したため、依頼をすべて断り、その後は弁護士として活動した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E6%AD%A6%E5%AE%9C
⇒東大紛争明けの1968~69年という、まさに川島が最も落ち込んでいた時期に、法学部で彼の民法総則の講義を聴講した私は、その際に、この本もついでに読みましたが、川島は、下出の同じく法学部の丸山真男、そして、経済学部の大塚久雄、等と並ぶ、戦後の近代主義者の雄の一人であったところ、以下を読まれればお分かりになると思いますが、法実態(法社会学)を踏まえた法解釈学を提唱しつつも、近代主義・・その実態は米事大主義・・という誤ったプリズムを通して法実態を眺めたことから、その把握が著しく歪んだ、自虐的なものに堕してしまった、という誹りを免れません。(太田)
(続く)
資本主義とポスト資本主義(続)(その1)
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