太田述正コラム#8006(2015.11.1)
<米海兵隊について(その11)>(2016.2.16公開)
⇒一つ一つの島嶼戦を振り返ってのいささか場違いの感想ですが、太平洋戦域で、装備と兵力において圧倒的に劣る、陸軍を中心とする日本の部隊の驚異的な健闘ぶりに改めて頭が下がる思いがした一方で、米軍による日本軍の降伏意思表示者や捕虜の虐殺が日常化していたにもかかわらず、戦後、日本側による連合国軍捕虜「虐待」を一方的に咎め、その「責任者」達を戦犯として「リンチ殺人」した米国(や英国等)に対し、改めて軽蔑と怒りの念がこみ上げてきました。(太田)
奇妙なことに、この著者は、太平洋戦争における最大かつ最後の水陸両用作戦である沖縄<上陸作戦>・・2つの海兵諸師団と4つの陸軍諸師団が日本の守備隊を粉砕した・・について、同様の記述を行っていない。
要するに、オコンネルは、海兵隊が、太平洋<戦域>で、陸軍よりも損害が大きかったということも、欧州<戦域>で陸軍よりもひどい目に遭ったということも、証明していない。
<それに、>この本は、事実の誤りだらけだ。
海兵隊司令官は、ベトナム戦争末まで統合参謀本部に席は与えられていなかった。
<しかも、>1975年から79年まで海兵隊司令官を務めたルイス・B・ウィルソン(Louis B. Wilson)<(注32)>大将が、統参本部の常任構成員になれたのは、実に、1978年になってからだ。
(注32)1920~2005年。ミシシッピ州のミルサプス(Millsaps)単科大学卒。1941年に、卒業後ただちに少尉として海兵隊に入隊し、太平洋戦域で活躍した。朝鮮戦争、ベトナム戦争にも参加。
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_H._Wilson,_Jr.
それまでは、司令官は、海兵隊に関する事項に関してのみ、統参本部に出席することが許されていた。
<また、>第一次世界大戦中にドイツ陸軍が米海兵隊を「悪魔の犬達」と呼んだ、というのは神話に他ならない。
<更にまた、>著者の主張とは異なり、海兵隊はその諸部隊のための核諸兵器が嫌いではなかった。
1950年代央には、<同隊は、>核火砲(nuclear ordnance)と核搭載可能諸ミサイルへの熱望をあからさまにしたものだ。
<この関連で、>オコンネルは、<同隊は、>1950年代には制限戦争を抱懐していた、と主張するが、同隊は、1940年代末にはソ連に対する戦争諸計画を承認していた<、つまりは全面戦争を抱懐していた>し、重戦車に対する調達優先順位を上げ、1959年には、ラクロス(Lacrosse)戦術ミサイル<(注33)>をその核攻撃(delivery)能力に加えている<、すなわち核戦争も崩壊していたのだ>。
(注33)「MGM-18 ラクロス・・・は、地上部隊の近接支援を目的とする短距離戦術弾道ミサイルである。・・・
ラクロスの弾頭は、核弾頭、破片効果弾頭、成形炸薬弾の順の優先度で開発され<た。>・・・
ラクロス計画は、従来の野戦砲を補うための短距離誘導ミサイルに関する<米>海兵隊の要求から始まった<が、>・・・国防長官は・・・計画を1950年<時点で、海兵隊>から・・・陸軍・・・へ移した。・・・
1959年から・・・陸軍に配備が開始された<が、問題が多く、結局、>・・・1964年までに退役した。・・・
<初期に>・・・ラクロスを装備した全部で8個の<陸軍>大隊は、韓国の1個大隊と戦略陸軍部隊の1個大隊を除き、ほとんどが<欧州>に配備された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/MGM-18_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB)
この日本語ウィキペディアには、ラクロスが海兵隊にも配備された旨の記述はない。
オコンネルならぬ、むしろ、書評子の勘違いなのではないか。
1975年に、戦車諸大隊が、自走火砲と共に、全ての海兵隊諸師団に再び装備され、NATOの戦争諸計画は、爾後の10年における、海兵隊の諸演習や諸調達プログラムの前提(basis)となった。
海兵空地任務部隊(MAGTF)<(注34)>は、1960年代には三つの大洋において規則的に運用されることはなかったし、地中海で、小規模の(lesser)海兵両用遠征諸部隊(Marine Amphibious and Expeditionary Units)<(注35)>の継続的諸配備が始まったのは1971年だ。
(注34)Marine Air-Ground Task Force。「一人の指揮官の下で海兵隊の航空および地上部隊のバランスがとられた諸兵科連合の任務部隊である。海兵空地任務部隊は1963年12月<から>・・・正式に運用開始され<ることとなっ>た。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%85%B5%E7%A9%BA%E5%9C%B0%E4%BB%BB%E5%8B%99%E9%83%A8%E9%9A%8A
(注35)海兵遠征部隊(Marine Expeditionary Unit=MEU)とは、米海兵隊の海兵空地任務部隊 (MAGTF) の一種。常設されている最小規模の部隊で、海兵遠征旅団(Marine Expeditionary Brigade=MEB)よりも小さく、危機対応特別目的海兵空地任務部隊(SPMAGTF)よりも大きい。なお、以前は海兵両用部隊(MAU=Marine Amphibious Unit)と呼ばれていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%85%B5%E9%81%A0%E5%BE%81%E9%83%A8%E9%9A%8A
米海兵隊の将軍達の諸計画や諸提案にもかかわらず、朝鮮戦争<時点>においては、海兵隊諸部隊はMAGTFとしては機能せず、海兵隊の航空機能(aviation)の大部分は、海軍と空軍の統制下にあったものだ。
⇒海兵隊の地位向上とともに、海兵隊の海軍や空軍からの独立性も高まって行ったというわけです。
やや語弊があるかもしれませんが、癌が次第に成長するとともに悪性度を増して行った、といったところでしょうか。(太田)
(続く)
米海兵隊について(その11)
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