太田述正コラム#8038(2015.11.17)
<鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その3)>(2016.3.3公開)
「都新聞・・・の第一面第一段<に>「読者と記者」という欄があ<り、私が投稿したことがある。>・・・
匿名にはしたが、・・・匿名の意味はな<く、バレバレだ>った。
「…誰が好んで苦学するや、・・・父母の膝下にあって安らかに学業を行う諸君に、ただ一日なりとて苦学の味を知らしめたし–」
・・・<この>私の投書は、その日のうちに、予期しない所で意外な反響を引き起こした。・・・
<私が新聞の街頭販売の>店じまいする時分に、一人の芸者が来たが、「今日、〈みやこ〉に書いたのあんたね–。読んでて涙が出たわ」と言いながら、値3銭の新聞を一部買い、5円札を出してお釣を受けとらなかった。
私はその芸者の跡を追いかけて、ようやく釣り銭を返すことができた。
つづいてまた一人来た。<無理やり鰻を食わされ、彼女は>金を払って、先に出て行った。
食べ終わって私はもう一度その勘定を払った。
お代はいただいたので結構ですと言うのを、とうとう金を押しつけて帰ってきた。
次にあの人が来たら返してくれと言い残して–。
明くる日はいっそう人数が増え<たので、街頭販売のいい場所を>仲間に譲って<、私は離れた場所へと蓄電した。>
心から尊敬できないそんな職業の女性の同情を受けることが、言いようもなく恥ずかしく、いやだった。
しかし今になって、私は少年期の可愛げがなく偏屈だった自分自身が憎らしい。
あの時のあの女性たちに、もしも今逢ったら百ぺんでも謝りたい、そんな心境である。」(106~109・金素雲(キム・ソウン) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%B4%A0%E9%9B%B2)
⇒戦後、「日帝支配を遺恨に思う韓国では評判が良くない」(上掲)金でさえも、朝鮮人らしく、芸者≒売春も行う接客業者、に対する強い偏見から自由でなかった、ということでしょう。
当時のはぶりの良い芸者が新聞を読んでいることにむしろ金は瞠目すべきであったところです。
そして、何よりも、日本人の人間主義性に金は衝撃を受けてしかるべきでした。
戦後の韓国人一般の、慰安婦に対する誤解・曲解、そして、そもそもの日本文明の優位に係る感受性の欠如、は当然であるな、という気にさせられますね。
このような観点からは、金の後の「反省」は、浅薄なレベルにとどまっているように思います。(太田)
「<京都で人力車夫もやった私の>最初のお客さんは芸妓はんであった。
車から降りるとき、「ほっぺたがりんごのようにかわいい車引きや、お年はいくつどす」と聞き、一円札一枚をくれた。
これは思いも寄らぬ大金である。」(115・任文桓)
⇒奇しくも、前出の任も、金と同じような経験をしているわけです。
当時の日本の、羽振りの良い芸者=接客業のプロ=人間主義者、と見てよさそうです。(太田)
「<戦前では、>玄界灘を挟んでの密航と云えば、旅行券(渡航証明書のこと。日本へ渡航する朝鮮人はその提示を求められた)のない朝鮮の百姓達が絶望的になって、お伽話のように景気のいいところと信じている内地へ渡ろうと、危かしい水船や蒸気船にも構わず乗り込むことを云<った。>・・・
その実私も釜山から一度密航を試みようとしたことがある。
それは18の時の12月のことである・・・」(119~・金史良(キム・サリャン) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8F%B2%E8%89%AF)
⇒当時の日本(内地)が、朝鮮の人々にとって、眩しいような、先進の繁栄の地に映っていたらしいことが良く分かりますね。(太田)
「父が母と違って絶壁のように保守的で頑固なために、幾度母に責め諫められながらもついに<私>の<向学心の高かった>姉を小学校にさえ出さなかった。
女に新教育は許せないというのである。」(126・同上)
⇒当時の朝鮮における女性差別の深刻さが分かります。(太田)
「韓国において、患者の診察上最も困難したことは、婦人患者の診療であった。
日本と異なり、韓国の婦女子は、長らくの慣習上絶対に肌を表すことを嫌い、また腹部の診察を肯じなかった。
しかしながら着衣のままでの診断は、事実不可能である。
故に再三押問答を重ねて之を脱いだのであるが、結局、病苦には代え難く、遂に漸次日本人同様の診察が出来得るようになったことは、今日から顧みれば、著しい変遷である。」(151~152・森安連吉:「1872~没年不詳。静岡県に生まれる。1900年東京帝国大学医学部卒。キール大に留学。1909年大韓医院(後の朝鮮総督府病院)内科部長として韓国に赴任、1920年まで朝鮮に滞在する。」(433))
⇒まさに、当時の朝鮮は、医療後進国であっただけでなく、イスラム教原理主義的社会生き写しの女性差別社会であったわけです。(太田)
(続く)
鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その3)
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