太田述正コラム#8144(2016.1.9)
<映画評論46:007 スペクター(その5)>(2016.4.25公開)
ちなみに、米国の映画評中、唯一、英エコノミストと部分的に重なる映画評を載せたのは、高級雑誌のアトランティック
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Atlantic
ですが、それは、「ボンドはバットマンではないのであって、幼少期の(origin)物語は必要としない」以下、エコノミスト掲載の映画評中私が引用した箇所の(冒頭部分に続く)前半と同じ趣旨のことを指摘しているものの、後半には全く触れていません。
http://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2015/11/james-bond-daniel-craig-spectre/414552/ (★)
エコノミストの映画評論子は、私が引用した箇所の冒頭部分で「ボンド<は>、・・・気が触れたテロリスト達が人類を隷属させるのを防ぐ<ことで、>・・・民主主義のためにこの世界を安全に保ってくれている」と人々は受け止めていたとしつつ、後半で、「この<映画>シリーズ中の死や破壊のことごとくが、権力に飢えた悪漢達が常続的に地球を植民地にしようと試みていることに由来しているのではなく、<主悪役の>家族内の憤りに由来していることを立証した」と嘆き、「世界は、ジェームズ・ボンドが存在しなかった方がよりよい場所になっていたのではないか、という」悲痛な叫びをあげているわけですが、ボンドは、英国政府の一工作員である以上、上掲の文章中の「ボンド」を「英国」で置き換えられるはずです。
そして、007シリーズの第1作は、1962年のショーン・コネリーがボンドを演じた『ドクター・ノオ((007は殺しの番号)(Dr. No)』であり、ダニエル・クレイグが初めてボンドを演じたのは、第21作目にあたる、2006年の『007 カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)』であったこと
http://www.hyou.net/ta/007.htm
を思い出しましょう。
思うに、今回の映画の製作者達は、ボンドシリーズが始まるの直前の1956年の、英国政府による、イスラエル政府とフランス政府を使嗾して行ったところの、エジプトの独裁者ナセルの打倒を目論んで米国等の反対でそれに失敗したスエズ出兵から、クレイグ主演のボンドシリーズが始まる直前の2003年の、英国政府が、米国に積極的に同調して行ったところの、イラクの独裁者フセインの打倒を目論んでそれに成功はしたけれど、中東全体を不安定化してしまったところの、対イラク戦争に至る、英国政府が積極的に関与した対独裁者対外軍事介入は、ことごとく、かつての世界覇権国の時に比して、諜報能力も軍事能力も見る影もなく弱体化してしまったというのに、世界覇権国であった時の栄光が忘れられず、身の丈不相応の対外的冒険を繰り返してきた結果、世界、とりわけ、中東を無茶苦茶にしてしまった、というメッセージを込めているのです。
対外的冒険を繰り返すということは、英国が、戦後、一貫して恒常的な有事体制下にあることを意味するのであって、この映画が、英国が、一般市民をも対象とする、広範な盗聴体制を、(米国等と提携する形で、日本政府や南ア政府を巻き込む形で)一層拡充しようとしている陰謀をボンドが阻止しようとする内容である
http://www.theguardian.com/film/2015/oct/21/spectre-review-james-bond-is-back-stylish-camp-and-sexily-pro-snowden (★)
のは象徴的です。
さて、誰も指摘していませんが、一見、ボンドは、この陰謀の阻止に成功したように見えるものの、実は成功してはいないのです。
というのは、今回の映画の準悪役C、すなわち、(国内諜報担当のMI5と国外諜報担当のMI6が統合されてできた)国家合同保安部MI5の長(パンフレット)を、このポストに就けた、つまりは、ボンドの所属していたMI6をつぶし、国際盗聴体制の拡充で代替することとし、スペクターとの提携を追求した陰謀の元締めというべき内相・・Cとは同じ大学の学友という設定(映画)・・も、その更に上司たる首相・・映画では全く言及されない・・も、無傷のままだからです。
つまり、今回の映画は、英国政府にはもはや全く期待できず、英国の状況は一層悪化していくだろう、という深刻なメッセージを突きつけているのです。
これは、スコットランド独立派がスコットランドで半数近くを占め、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%81%8B%E5%8B%95
英国人の過半数がEU脱退を支持していて、政権与党の保守党がそれを推進しており、
http://jp.reuters.com/article/brixit-poll-paris-idJPKBN0TD29O20151124
第一野党たる労働党が極左化し、
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Corbyn
極右の英国独立党が得票率10%を超える、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%85%9A
という英国の政治の混迷状況に対する、英国の「良識派」の絶望感を反映している、と言えそうです。
(続く)
映画評論46:007 スペクター(その5)
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