太田述正コラム#8432(2016.6.1)
<一財務官僚の先の大戦観(その42)>(2016.10.2公開)
「臨時軍事費特別会計は、会計検査院による事後チェックからも外れていた。
本来、臨時軍事費特別会計は、一般会計から臨時的な軍事費を切り離すことによって、軍事費の膨張による財政規律の弛緩が国の財政一般に及ぶのを防ぐ意味を持っていた。
ところが、戦争の開始から終結までを一会計年度として必要に応じて追加予算措置を行う(単年度主義の例外)とされたため、終戦に至るまで決算がなされなかったからである。
⇒過去に設置された臨時軍事費特別会計と同じと思われるのであって、先の大戦だけを否定的に描こうという松元の悪意をここでも感じます。(太田)
少し専門的になるが、予算統制の有名無実化は、軍関係経費について予備費や責任支出<(注72)>、継続費<(注73)>や予算外国庫負担契約<(注74)>などが乱用されるといった形でも進んでいった。・・・
(注72)「責任支出・・・は、予算外の事業を企て、其経費を予備費にも依らず、緊急財政処分にも依らずして、政府の随意に支出せんとするもの」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00494553&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
(注73)「数年度にわたる事業につき,あらかじめ議会の議決を得ておき,変更を加える場合のほかは,会計年度ごとの議決を必要とせずに支出される経費。 」
https://kotobank.jp/word/%E7%B6%99%E7%B6%9A%E8%B2%BB-59018
(注74)「大日本帝国憲法下、国の予算として計上されたもののほかに国庫において負担する歳出義務である。・・・これも予算と同様に帝国議会の協賛を経なければならないとされた(大日本帝国憲法62条)。 政府は予算案とともに「予算外國庫ノ負担トナルベキ契約ニ關スル件」という議案を提出する。 これが議会を通過してその契約が締結されると、次年度以降にこの債務が政府の義務となる歳出となり、議決を拘束する。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%AE%97%E5%A4%96%E5%9B%BD%E5%BA%AB%E8%B2%A0%E6%8B%85
⇒「乱用」されたというのですから、それまでも行われることがあったものが、未曽有の大戦下において、大規模に「活用」されるようになった、というだけのことでしょうね。(太田)
予算統制の有名無実化は、軍関係の経費について資金前途<(ママ)>、前金払い、概算払い<(注75)>といった例外的な手法(簡潔な支払い手法)が認められるといった形で手続き面でも進んでいった。・・・
(注75)「資金前渡は前渡金勘定や前払金勘定をもって計上して、仕入等に先立ち資金を予め取引の相手側に渡したときに用いられる勘定科目で、それに対し概算払は仮払金勘定をもって計上し、勘定科目や金額が不明の金銭を支払った場合に、それらが確定するまで一時的に使用する勘定科目」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1059333265
⇒「資金前途」は当然のことながら、「資金前渡」のミスプリであり、活字を拾った時のミスなのでしょうが、こんな一般用語のミスプリを放置するとは、中央公論社と、何よりも松元の手抜き以外の何物でもありません。
なお、ここも、それまでも行われることがあったものが、大規模に「活用」されるようになった、というだけなのではないでしょうか。(太田)
政府は経済の現実を踏まえて際限ない徴用を抑制しようとしたが、それは作戦遂行を最優先とする軍部との対立を生んだ。
深刻な対立は政府の内部、軍の内部でも生じた。
政府の内部では商工省・企画院などが分立し、軍の内部では陸軍と海軍が割拠の状況を呈し、軍需物資の生産、流通に重大な支障をきたすようになった。
そうした事態を打開すべく、昭和18年11月には企画院、商工省、陸海軍の航空機製造部門を統合した軍需省<(注76)>が創設され、昭和19年2月には、東条首相がそれまでの軍需省大臣、陸軍省大臣に加えて参謀総長までも兼任して東条幕府と呼ばれるようになった。
(注76)「1943年11月1日、商工省の大半と企画院とを統合して設置(軍需省官制(昭和18年勅令第824号)による)された。・・・陸海軍人が要職に就く例が多かった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9C%80%E7%9C%81
なお、同種の省・・Ministry of Supply。但し、日本の軍需省にはMinistry of Munitionsという英訳があてられている・・が、英国では1939年7月14日に創設されている(~1959年10月22日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9C%80%E7%9C%81_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
http://ejje.weblio.jp/content/%E8%BB%8D%E9%9C%80%E7%9C%81
し、ドイツでも、1940年3月17日に創設されている。
https://de.wikipedia.org/wiki/Reichsministerium_f%C3%BCr_Bewaffnung_und_Munition
⇒必要に迫られて、本来もっと前から、平時においても行われるべきであったところの、陸海軍の統合、首相/内閣の権限強化が、未曽有の有事において、断行された、ということであり、松元は、もっと肯定的にこのくだりを叙述すべきでした。(太田)
しかしながら、そのような措置も、さしたる実効を挙げることができず、東条は「時ニ『堪へラレス』ト密カニ感シタル場合ナシトセサリキ」と日記に記すほど、常に国務と統帥の不統一に悩まされることになった(御厨貴『歴代首相物語』)。」(138~)
⇒権限は首相(東条)に集中させたけれど、初めての試みであっただけに、東条は大変な苦労をしたということでしょう。
恐らく、首相直属のスタッフが質量ともに不足していたということもあったのではないかと想像されます。
なお、東条には、その任に十分耐えられるだけの能力がなかったという可能性も考えてみました(注77)が、結論的には、そんなことはなさそうだ、と言えそうです。
(注77)「陸士・海兵の難易度<については、>・・・海兵の方がかっこよかったのと、人数が少なかったのとで、陸士よりやや難しかったそうです。・・・
他の教育機関と比較すると、旧制高校の中でとくに難しかったナンバースクール(第一高等学校から第八高等学校まで)の平均レベルくらい、と言われました。
一高(東京)や三高(京都)よりは易しかったけれど、六高(岡山)や七高(鹿児島)よりは難しかった。まあ、五高(熊本)のレベルでしょう。
現在の学校と大雑把に比較するならば、僕の独断ですが、国公立大学の医学部の易しい所くらいかな、と思います。・・・
知力だけなら一高、陸・海軍の経理学校が<横一線の>最高峰<だったと言えそうです。>・・・」
http://blog.livedoor.jp/saka388/archives/462571.html
東条は、「学習院や幼年学校時代の成績は振るわなかった<が、>陸士では「予科67番、後期10番」であり、入学当初は上の下、卒業時は上の上に位置する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96.E3.80.81.E5.9B.BD.E5.86.85.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.81.AA.E3.81.A9
また、「陸大27期<では、>卒業序列 11位(陸大卒業者数56名)<であり、>・・・東条はトップではないが、かなり優秀な方であった。」(「陸軍参謀 エリート教育の功罪」三根生久大/著 参照。)」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q141871604
「首相を務めた東條、小磯、鈴木について「彼らは負け相撲であったから、凡有る悪評を受けているが、悪人でもなければ、莫迦でもない。立派な一人前の男である。ただその荷が、仕事に勝ち過ぎたのである。・・・徳富蘇峰」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96.E3.80.81.E5.9B.BD.E5.86.85.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.81.AA.E3.81.A9 前掲
むしろ、スターリンはともかくとして、身体的に病人であったローズベルト、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
精神的に病人であり(コラム#省略)学歴もなかったチャーチル、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB#.E7.94.9F.E6.B4.BB.E7.BF.92.E6.85.A3
学歴のなかったヒットラー、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC
らこそ、能力不足だったと言っていいでしょう。(太田)
(続く)
一財務官僚の先の大戦観(その42)
- 公開日: