太田述正コラム#8519(2016.7.31)
<一財務官僚の先の大戦観(その55)/私の現在の事情(続x82)>(2016.11.14公開)
「江戸時代、藩札の発行が行われなかった天領である大阪や京都の商人間で多く用いられるようになったのが手形<(注111)>であった。
(注111)「<日本では、>18世紀以降・・・商人間の資金決済手段は、ほとんどが「銀目手形」と呼ばれる信用通貨であった。銀目手形制度は、金銀貨幣の交換や預金・為替を取り扱っていた両替商を核として発達した信用制度であり、形態としては両替商が預金者に対して発行した預かり証(または銀貨の保管証)としての「預り手形」と、預金者が両替商に対して預金を引当てに振り出した「振り手形」の2種類がある。預り手形は、第三者への譲渡が容認されており、事実上貨幣的な役割を果たしたと考えられる。他方、振り手形は今日の小切手に相当するとみられるが、これにはおそらく一般流通性はなかったと考えられる。
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/1996/96-J-01.pdf
「日本の「かわせ」の語は中世、「交わす」(交換する)の連用形「かわし」と呼ばれていたものが変化したものである。日本で「為替」という言葉が生まれたのは、鎌倉時代である。この時代、鎌倉で俸給をもらう下級役人が現れており、俸給として鎌倉に入って来る年貢を先取りする権利が与えられた。その際に権利証書として「為替」が発行されたのである。あるいは、鎌倉番役や京都大番役を勤める中小の御家人が、地元の所領からそれぞれが金銭や米を持ち込まなくとも、大口の荘園や有力御家人の年貢の運送に便乗する形で、鎌倉や京都で金銭や米を受け取るシステムとして、為替の仕組みが生まれている。つまりこの時代の為替は、金銭のみならず米その他の物品の授受にも用いられていたのである。
いわゆる金銭のみの授受としての、日本で最古の為替の仕組みは室町時代の大和国吉野で多額の金銭を持って山道を行くリスクを避けるために考えられ、寛永年間に江戸幕府の公認を受けた制度であるとされている・・・
江戸時代・・・<の日本は、>為替(手形)による取引が発達<によって>、当時の世界ではもっとも優れた送金システムを築き上げた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E6%9B%BF
「戦国時代は「手形」(てぎょう)という証文が存在した。これは合戦の際、敵方に殺されそうになった武者が、命乞いの為に紙または布に自らの掌に血を付けて押し当て手形を作成し、後日お金を渡す証としてそれを相手に渡すものである。助けた相手は合戦が終わった後にその手形を持ってそれを発行した武者のもとへ赴き約束のお金を貰った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%BD%A2
⇒松元は、この前後のくだりには一切典拠を付しておらず、心許ない限りなので、私自身で、上掲のような典拠群に当たり、ざっとした検証を試みるとともに、他のくだりで、彼が付す、余談(彼自身の蘊蓄の披瀝のため?)的脚注も転載してみました。(太田)
商人間の決済は、江戸では手形よりも金銀貨によるものが多かったが、京都では50パーセント、大阪では99パーセントが手形であった。
振り出された手形は正貨である大判、小判に引き換えられることなく転々と流通し(廻り手形)、現金と同じ役割を果たした。
そのような状況を踏まえて、両替商は十分な正貨の引き当てを持たない空手形を発行するようになり、一万両の資本で6、7万両の手形を振り出す場合も見られた。
それは、今日の銀行の信用創造の原型ともいえるものであった。
そして、江戸時代の遠隔地間の決済において幅広く用いられたのが為替であった。
為替による送金は、古くは鎌倉時代の弘安年間(1278~87年)に記録が見られるが、近代的な為替手形は、寛永5(1628)年、大阪の天王寺屋五兵衛によって創設されたとされている。
江戸時代には政治の中心である江戸と経済の中心である大阪との間の商品流通が盛んで、その決済手段として両替商あるいは江戸、大阪それぞれに店舗を持つ大商人を仲介とした為替取引が発達した。
為替取引は、消費都市である江戸の商人達からの支払いだけでなく、幕府や諸藩の年貢米の売却代金を大阪の蔵屋敷から江戸屋敷に送金するための手段としても広く用いられた。
為替がいかに幅広く利用されていたかは、為替の手数料が一両につき1、2パーセントという定率であったことからうかがうことが出来る。」(194~195)
(続く)
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–私の現在の事情(続x82)–
この前のkomuroさんのご教示を参考に、J:COMのセットトップボックスに繋いであったUSBハードディスクをTVに繋ぎ直し、このハードディスクをTVに認識させた上で登録し、いつでも・・しかも、これまでよりも簡単に・・録画できる態勢を構築できたのですが、今度は、何がなんでも、(だんだんうまくいかなくなり、ついには諦めて、一年以上やっていなかったところの、)タブレットでのセットトップボックスを通じてのTV視聴、を実現したくなり、一昨日、J:COMのサポートに電話しました。
しかし、あれこれ指示してくれた通りにタブレットを操作しても視聴できず、本日、13:00~15:00の時間帯に担当者が拙宅にやってくることになりました。
昨日、大田区の最寄りの出張所で東京都知事選の期日前投票を済ませたのは、投票日の今日、投票のために外出すると、今日が日曜で、ピアノとNHK大河ドラマの日であることから、コラム対応の時間が不足する恐れがある、と思ったからです。
で、本日、ほぼ13:00ちょうどに担当者が来訪。
そして、タブレットをちょっといじったかと思ったら、すぐTV視聴ができるようになったので、あっけにとられてしまいました。
タブレットのJ:COM画面上でセットトップボックスにアクセスするのではなくアンドロイド画面上でアクセスする点には変わりがないのですが、関連ソフトのアップデート、と、圧縮モードを選択する、というのがミソだったようです。
(タブレットとセットトップボックスの距離が離れれば離れるほど、非圧縮モードでの視聴は困難になる由。)
こんな簡単な話だったのに、どうして電話した際に適切な指示をしてくれなかったのかですが、J:COMの旧JCN部門のこの分野の人材が依然不足していて電話サポートにまで練達の人材を回すことができない、ということなのでしょうね。
そもそも、最新の推奨視聴方式を、ダイレクトメールか電子メールでタブレットを提供した顧客達に連絡してくれていなかったのが不親切です。
とまれ、タブレットで都知事選の開票状況等の番組をチラ見しながら、このコラムを書き終えることができ、私としては大満足です。
一財務官僚の先の大戦観(その55)/私の現在の事情(続x82)
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