太田述正コラム#8741(2016.11.19)
<ナチス時代のドイツ人(その4)>(2017.3.5公開)
次に、彼女は、率直にドイツ人兵士達の勇敢さは認めつつ(acknowledging)、しかし、ロシアに侵攻することでドイツが「信じられないほどのリスク」を冒したと吐露して(admitting)、そんなことをあえてやる「権利」はどこにあるのだろうかと不思議に思う、と疑問を提起した。
「まるでスズメバチに刺されたかのように」、この兵士と彼の同志達は、ドイツ人達が未開(wild)で野蛮(barbaric)な侵略者達であるという観念に対して、口を揃えて激しく諸異議を唱えた。
「彼らは我々を攻撃したかもしれないのだよ」「その諸計画が見つかっている」「<そもそも、>ヴェルサイユ<条約なんぞ>の下で、ドイツは生き延びることさえ困難になっていた」、と。
ハイルブロン(Heilbronn)<(注6)>から来た少年は、ドイツが犠牲になっているということを裏付けているところの、ヒットラーからの適切な諸引用が載っている本を取り出すことさえした。
(注6)「ドイツ<南部の>バーデン=ヴュルテンベルク州北部の・・・かつての[53の自由]帝国都市[のうちの1つ]」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%87%AA%E7%94%B1%E9%83%BD%E5%B8%82 ([]内)
しかし、ひとたび、この兵士達が、昨秋、スイスに対して備え付けられた「諸砲」に言及するや否や、彼女は、一連の主張の火ぶたを切って落とした。
「ドイツ最高司令部は、スイスの<ドイツ>侵攻諸計画も見つけたとでも言うの?」と。
彼女は堪忍袋の緒が切れていた。
これらの「男達は、何年も何年もプロパガンダを叩き込まれてきた」ので、彼らの諸観念が、どれほど「誤って」いて、「非人道的」かが想像できないのだ<、という思いからだ。>・・・
<その>彼らは、「木々からぶらさがっているロシア人達」の諸写真を彼女に見せるために再び集まって来た。
この諸写真は、ドイツ人達の怒りを公然と示すために撮られたのだ、「抑止だ」、と。
「我々は柔弱になる(go soft)わけにはいかない」、とライン地方人(Rhinelander)の男は説明した。
彼は、前線に早く戻りたいと願っていた。
「療養していると柔弱になってしまうよ、婦長さん」、と。
このスイスのボランティア達は、ドイツ人達の義務感と彼らがそれが求めているところの堅固さ(hardness)を養おうとする諸努力、に何度も遭遇した。・・・
スイス人達はすぐに民主主義と人道主義を持ち出すのに対し、ドイツ人達は、少なくともこのスイス人達が書いた記録の中では、ありきたりの文句と総統からの諸引用を用いて言挙げした。
このドイツ人達の諸言葉はこのスイス人達を驚愕させた。
スイス人達は、ドイツ人達の、涜神と神聖の間、「精神的不具者達」と「戦争不具者達」の間、極端な暴力と完全な信頼(faith)の間、を行きつ戻りつする「全体主義的」な物の考え方(mind-set)と見えたところのものは、耐え難いと感じた(found)。
「他の全てのものは、すなわち、ドイツとは関係のないものなら何であれ、存在している意義はない、というのは要するにナンセンスだ」、と。
それとは対照的に、ドイツ人達は、第一次世界大戦後に彼らが耐えさせられた苦しみを巧みに詳述しつつ、自分達によって<他者に>加えられた暴力は、容認できる(acceptable)、いやそれどころか、当然のことだ(appropriate)、と見ている。
このスイス人達が遭遇したこのドイツ人達は、彼ら自身の国家的ドラマに完全に没入していた。
全くもって、彼らが開陳していたこのナルシシズムは、彼らの極端な力の行使に資するもの(instrumental)だったのだ。」(B)
(続く)
ナチス時代のドイツ人(その4)
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