太田述正コラム#0463(2004.9.5)
<トロイとイギリス(その1)>
1 トロイの末裔がイギリスの祖?
たまたま、読者からも問題提起がありましたが、イギリス史にはトロイ(Troy)の姿が見え隠れしています(注1)。
(注1)トロイについても、そのものズバリ、「トロイ(Troy)」という、ブラッド・ピットらが出演するトロイ戦争を扱った映画が今年封切られている。残念ながら、家内と息子は見たが、私は見ていない。
例えば、イギリスの妖精はトロイ語を話していた、という伝説があります(http://www.acronet.net/~magyar/english/1997-3/GRAIL.htm。9月1日アクセス)。
また、12世紀のイギリスの僧であったマンモス(Geoffrey of Monmouth。1100???1155?年)は、1136年に完成した著書Historia Regum Britanniae ("History of the Kings of Britain")の中で、概略次のようにイギリス史の始まりを記しています。
「滅亡したトロイの王室の血筋をひくブルートゥス(Brutus)(注2)なる人物がイタリアから大西洋経由でアルビオン(Albion)に遠征を行い、ゴグ・マゴグ(Gog-Magog)を頭目とする原住民の巨人達との戦いに勝利し、アルビオンを占領し、そこを自分の名前をとってブリテン(Britain)と改名した。遠征にあたって美の女神ダイアナは、ブルートゥスに対し、「汝は脈々と続く王統の始祖となり、汝の子孫の王達はやがて世界を支配することになろう」と予言した。ブルートゥスは後にロンドンとなる大きな町、トリノヴァトゥム(Trinovantum=New Troy)を建設し、現在のセント・ポール寺院の場所にダイアナを祀るお宮を建立した。以上は紀元前1000年頃のことだ。ブルートゥスとその一味は、トロイ語ないし訛った(crooked)ギリシャ語をしゃべっていたが、これが後にブリトン語(British)となった。」
(以上、http://members.lycos.co.uk/Brit_Nephilim/troy/troydeaustin.htm、http://individual.utoronto.ca/ullyot/verticals/geoffrey1.html及びhttp://phdamste.tripod.com/trojan.html(いずれも9月4日アクセス)による。なお、マンモスはこの著書の中でアーサー王についても詳細に記している。)
(注2)マンモスは、ブルートゥスはアエネアス(Aeneas。プリアムの従兄弟にしてトロイ戦争の時のプリアムの同盟者。http://www.pantheon.org/articles/a/aeneas.html(9月4日アクセス))の子孫、としている。
更に、英国女王のエリザベス1世(Elizabeth??。1533??1603年)は、「プリアム(注3)の国のかぐわしき後裔にしてトロイ再躍動の希望の星(that sweet remain of Priam’s state, that hope of springing Troy)」と褒め称えられたことがあります(http://phdamste.tripod.com/trojan.html上掲)。
(注3)プリアムは、トロイ戦争の時のトロイの王。プリアムの子供がヘクトル(Hector)、パリス(Paris)、そしてカッサンドラ(Cassandra)。(http://www.pantheon.org/articles/p/priam.html。9月4日アクセス)
2 新「学説」の登場
マンモスの上記著書は、同時代人からさえフィクション視されましたが、アーサー王の話は史実を踏まえたものであったことが明らかにされつつあります(コラム#462)。
他方、トロイの末裔がイギリスの祖、という話の方は、現在に至るまでヨタ話扱いが続いてきました。
そこに、マンモスの顔色をなからしめる、途方もない「学説」が登場したのです。
(以下、特に断っていない限りhttp://phdamste.tripod.com/trojan.html上掲による。)
何とトロイはイギリスだった、というのです。
この「学説」を唱えている人物は、オランダ人のアマチュア研究家のウィルケンス(Iman Jacob Wilkens)であり、彼は1990年に上梓された著書’Where Troy Once Stood?―The Mystery of Homer’s Iliad and Odyssey Revealed―’において、初めてこの「学説」を提示しました。
大いに迷ったのですが、この「学説」の面白さに惹かれて、皆さんにもご紹介することにしました。
(続く)