太田述正コラム#9055(2017.4.25)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その24)>(2017.8.9公開)
「江戸時代には百花繚乱といえるほどに秘具<(大人のオモチャ)>が盛んになった。
その頂点の存在が両国米沢町の薬研堀(やげんぼり)(現在の東日本橋1丁目)に店を構えていた四つ目屋<(注75)であった。
(注75)「長命丸、帆柱丸、などの媚薬、肥後ずいき(ずいき)、牛角などの淫具などを売った店。日本最古のアダルトショップと云われる。店頭の招燈には黒地に四目結(よつめゆい)の紋所を染め出したものをかけていた。イモリの黒焼きの元祖といわれ、『通詩選諺解』には同家の祖先が明応年間、長崎にわたり、その後、寛永年間、江戸で売り始めたとある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%9B%AE%E5%B1%8B
「明応(めいおう)は、・・・延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%BF%9C
「惚薬(ほれぐすり)も媚薬の一つであるが,これを用いれば相手が特定の人物に恋慕の情をつのらせると信じられた。〈イモリの黒焼き〉はその代表的なもので,・・・撒布薬である。交尾期のイモリの雌雄を節をへだてて竹筒に入れると一夜のうちに節を食い破って交尾し,引き離して焼けば山を隔てていてもその煙が空中でいっしょになるという言い伝えから考案された薬だが,一説にはこの俗信のもとになった<支那>のイモリは日本のものとは別だという。」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%81%AE%E9%BB%92%E7%84%BC%E3%81%8D-1271118
⇒世界最初のアダルトショップ(Sex shop)は、英語ウィキペディアには、何と、1962年に開店した西独のフレンスブルク(Flensburg)の店である、とあります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sex_shop
下川に、このウィキペディアへの四つ目屋の話の加筆までは求めないにしても、せめて、日本のアダルトグッズショップについての日本語ウィキペディア・・まるで戦後起源のような書きぶりです・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%83%E3%82%BA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97
にはそうして欲しいものです。(太田)
店の「能書き」(薬の効能などを記した広告)によると、四つ目屋が創業したのは1626(寛永3)年で、最初は・・・媚薬の販売をメーンとしていたという。
それから約60年後の貞享年間(1684~1688年)には、すでに江戸の有名店として知れ渡っていた。・・・
1824(文政7)年刊の『江戸買物独(ひとり)案内』<(注76)>に・・・「諸国御文通にて御注文の節は箱入り封付にいたし差上げ申す可く候。飛脚便にても早速御届申し上ぐ可く候」とある。
(注76)「大坂で出版された江戸市内の・・・商店約2600店を紹介するガイドブックである。3巻から成り、上巻と下巻は薬種問屋等の商店名をイロハ順で掲載されている。3巻目(飲食の部)には飲食関係の商店についてが掲載されている。いずれも、商品や商店の名前の他、屋号や住所が書かれている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%B2%B7%E7%89%A9%E7%8B%AC%E6%A1%88%E5%86%85
つまり地方から注文があったら箱入りで封もきちんとし、ほかの人には荷物の中味が分からないようにする、飛脚便による注文も受け付けるというのだから、これは通信販売の広告にほかならない。
ウィキペディアによると、日本初の通販は1876(明治9)年に「農学雑誌」という雑誌がアメリカ産トウモロコシの種の通信販売を行ったのが第1号だというが、四つ目屋の秘具の通販はそれより半世紀以上先行していたのである。<(注77)>」(207~208、214~215)
(注77)このウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E8%B2%A9%E5%A3%B2
によれば、世界最初の近代的な通信販売は、ウェールズで1861年にフランネルを扱って始まった。
⇒ウィキペディア上掲が言う「近代的」は意味が必ずしも明らかでないところ、考えようによっては、四つ目屋の秘具のこそ、世界初の近代的通信販売なのではないでしょうか。
四つ目屋のは、恐らく代金引換で決済が行われたのでしょうが、文書や商品や代金の運送経路の安全性、運送手段の信頼性、顧客の信頼性、等が確保されていなければおよそ成り立ちえない商取引であるところ、それらが少なくとも19世紀前半までには確保されていたらしいことの背景には日本社会の人間主義性があった、ということでしょう。
いずれにせよ、こういうところからも、性欲が人間の創造的営みの根源的起動力であることを痛感させられます。(太田)
(続く)
下川耿史『エロティック日本史』を読む(その24)
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